04 私は、あなたのこと――
ゴールデンウィークが明けて、学校はすっかり平常運転に戻っていた。
休みボケで気が抜け、授業中はぼんやりしている生徒も少なくない中で、僕の気持ちはむしろ引き締まっていた。まるで乾いたスポンジが水を吸い込むように、授業の内容がすっと頭に入ってくる。
それもこれも、連休前に抱えていた数々の悩みが、一通り片付いたことが大きい。
ユエさんのペットロスは落ち着き、ひじりんの目覚めはアカウントの乗っ取りで幕を下ろし、切腹した店長からもきちんと給料が支払われることになった。
そしてなにより、一番胸に引っかかっていたカグヤ先輩のパパ活問題が、ただの誤解だったとわかった。
家が焼けて、大人のお姉さんのヒモになった事実だけが残ったものの、それを含めて今の僕には、学校にまで持ち込むような悩みはなかった。
この調子で夏休みまで駆け抜けられれば、それでいい……そう、思っていたのだが。
それは問題と呼べるほどのものではない。悩みというには、あまりにも些細だ。
けれど、胸の奥で「ん?」と首を傾げたくなるような、妙な違和感があった。
連休明けから、どうもやけに人の視線を感じるのだ。
僕を見て、なにやらこそこそと話している気配もある。
これをサチさん相談しようものなら、「アルミホイルを頭に巻きなさい」とありがたい助言を頂くことになろう。
被害妄想、あるいは思春期特有の自意識過剰。そう言われてしまえばそれまでだ。
そうした自覚はあるものの、喉に刺さった小骨のような違和感は拭いきれず、「なんだかなー」と思いながらも誰にも話さないまま、金曜日を迎えた。
放課後、コウくんに頼まれて掃除当番を代わり、昨日よりも三十分ほど遅い下校となった。
帰りのホームルーム直後とは違い、下駄箱前はすっかり人の波も引いていて、どこか時間がゆっくり流れているようだった。
下駄箱から外靴を引っ張り出したとき、不意になにかがふわりと落ちた。
目で追うと、それは折りたたまれた便箋だった。
「……コウくんの下駄箱と間違えられたな」
ドキリと胸が跳ねることもなく、一つ上の段に収まっているコウくんの上靴をちらりと見て、僕はそうぼやく。
封筒には入っていない。差出人の名前も、宛名もない。
『伝えたいことがあります。
放課後、校舎裏で待っています。』
中身は案の定、簡素なものだった。
「困ったな……」
二年、三年の女子がコウくんを呼び出すなんて、今更できることじゃない。無茶や無謀を通り越して、恐れ多いという言葉を使うレベルだ。
だから、こんな簡素な手紙で呼び出そうとするのは、新入生だろう。
このまま手紙をそっと戻して、見なかったことにすることもできた。
けれど、今もその送り主は、校舎裏で待っているのかもしれない。
告白のために呼び出すには、それなりの覚悟が要ったはずだ。それなのに、相手が来てくれなかったら……それはきっと、辛いだろう。
だったらいっそ、下駄箱を間違えたことを伝えてあげたほうがいい。恥ずかしい思いをさせるかもしれないが、惨めな思いをさせるより、ずっとましだ。
悩んだ末にそう結論を出し、僕は校舎裏へと向かった。そこに足を踏み入れると、まだ陽の高い午後の光が、白い壁面に淡く反射していた。
遠くで部活の掛け声が聞こえてくる。
そんな中、制服姿の女子生徒がひとり、こちらに背を向けて立っていた。
「あ……」
僕の気配に気づいたのか、彼女は振り向き、小さく息を飲んだような顔をした。
その表情が落胆に変わる――と思ったが、
「来てくれて、ありがとうございます。若井先輩」
嬉しそうに微笑んだのだ。
「え……?」
呆気に取られる僕の前には、緑のリボンが揺れていた。それは紛れもない新入生の証だ。
しかも、どこか人目を引く華やかさがある。クラスで一番可愛いと言われても納得できるような雰囲気。なのに、その笑顔にはどこか親しみやすさもあった。
そんな彼女が、たしかに言ったのだ。若井先輩、と。
「えっと……コウくんの下駄箱と、間違ったと思って来たんだけど……」
「いえ、間違っていません。私が手紙を入れたのは、たしかに若井先輩です」
ゆっくりと首を振ったあと、彼女は深々と頭を下げた。
「面識もない間柄なのに、お呼び立てしてしまって、申し訳ありません」
「いや……それは別にいいんだけど……」
間違いでもなく、面識もない。
なのに、なぜ?
「ダメなことは……わかってるんです。迷惑をかけるくらいなら……このもやもやとした気持ちを抱えたまま、今まで通り、遠くから見てるだけのほうがいいって」
彼女はどこか後ろめたそうに、僕の足元に視線を落とした。
「それでも……どうしても若井先輩の口から聞きたくて。迷惑ならそう言ってもらえれば……この気持ちにも、ちゃんと諦めがつくから」
「……えっと、ごめん。君がなにを言いたいのか、ちょっとわからないや」
僕は後頭部を撫でながら、逃げるように視線を逸らした。
……いや、本当はわかっていた。
彼女のような可愛い子なぜ、なんて信じられない気持ちや謎はあるけれど、ここまで言われて察せられないほど鈍くはない。
「若井先輩」
「は、はい!」
その声に込められた決意に、思わず姿勢を正した。
緊張で、胸の鼓動がやけにうるさく響く。
まずは、彼女の言葉を最後まで聞こう。
その上で、自分なりの答えを探せばいい。
「私は、あなたのこと――」




