32
■ ■ ■ ■ ■
クレリアが洗濯物を持ってリビングに入ると、ロザリーがまたテレビに近づいて画面を見ていた。
「姫様、洗濯が終わったので干すのを手伝ってください」
「……はーい」
名残惜しそうにテレビから離れるロザリー。
画面には、女性タレントがパンケーキを食べているところが映し出されていた。
二人でベランダに出る。
本日も快晴。近所に高層建築物がないおかげで、マンション十二階からの見晴らしは良好。
天気予報では三十五度以上の猛暑日だと注意を促していたが、二人には気にならない気温だった。
「これを干したらお昼ご飯を食べに行きましょう」
「うん」
ロザリーは慣れた手つきでシャツをハンガーに掛けている。
クレリアも籠からバスタオルを取って干そうとしたその時、自分に向けられた気配に気づく。
「生ゴミを捨てるのを忘れてました。すぐ戻ってくるので、こっちをお願いしていいですか?」
「うん、いいよ」
お願いしますね、とロザリーの頭を軽く撫で、クレリアは生ゴミの袋を持って足早に一階の共用玄関へと降りる。
操作パネルにキーを掲げて扉のロックを外すと、玄関の物陰から赤い髪を揺らして女が出てきた。
昨日会ったヴィオラだ。
「呼び出してもうてすまんな」
「用件は?」
笑顔のヴィオラに、無表情で対応するクレリア。
「いやな、ちょっとアドバイスしようと思ってん」
「……アドバイス?」
また何か探りに来たのかと思いきや、予想外の返答。
「悪いとは思ったんやけど」
まったく思ってない表情でヴィオラは一枚のメモを取り出した。
「あんたらの事、ちぃっと調べさせてもらったんよ。そしたらなんと、ちゃんと住民登録しとるやないかい」
「……?」
それの何が気になっているのかクレリアには思いつかない。
「あんたはクレリア・アルカディア。一緒におる嬢ちゃんはロザリー・アルカディア。まあ登録の際には小細工をしてるものの、このマンションでさえちゃんと買うとる」
「……何が言いたいのかわからないわ」
「そんな手続き、手間なだけで必要ないやろ?」
なるほど、とクレリアは理解した。
魔法の存在しないこの世界。
住民登録時に、どこの国出身なのか誤魔化すため、ある程度気にされないようにはしたが、そもそも自分たちはこの国のルールを守る必要がない。
魔法の抵抗がない、魔法に気づけない人間を操るのは簡単だ。
住みたい場所があれば勝手に住めるし、必要な金銭も誤魔化せる。
だというのにクレリアはそれをせず、しっかりと手続きをして支払うものは支払っている。
「言っておくけど、普通に暮らしてる人からは何も奪ってないわよ」
「金のことやろ? あんなクズ共の肥やしになっとるくらいなら、可愛い嬢ちゃんの生活に使ったほうが有意義やわ」
どうやら誰から金を奪ったのかも調べがついてるようだ。
「なんで住民登録なんしてん? うちかて無理やり登録されてへんかったらしとらんで」
「そんなの、姫さっ……ロザリーがここに住んでいるんだから当然。この国では当人がそこに存在するという証明でしょう?」
姫様と言ってしまいそうになり、言いかえる。
今のところヴィオラに悪意は感じないが、ロザリーが王族だと教えるには信用がない。
しかしそれをすぐにつっこまれた。
「嬢ちゃんのこと姫って呼んどんのか? あはははっ、可愛いなぁそりゃ」
「…………」
腹が立つものの、親密な呼び方だと勘違いしてるようなのでクレリアは無言で我慢した。
「でもうちが気になったのはそこやねん。あんた、クレリア一人やったらこんな事しとらんやろ?」
「そうね」
「嬢ちゃんが存在しとる証明なんて言って、過剰に可愛がっとる様に見えんねん」
「それが?」
何よりも、命を懸けて護っているのだ、他人からは過剰にも見えるだろう。
「まるで自分一人で護れるっちゅー顔やな」
「ええ、私一人で十分ね」
やっぱり分かっとらん、とヴィオラは首を振る。
「あんた一人で嬢ちゃんを育てられるし、護れもするのはうちかてよー分かっとる。ただ、あんたらがここに越してきてから、嬢ちゃんがあんた以外の者と接した形跡がない」
「何が言いたいのかわからない」
「住民登録をしたのなら知っとるやろ? この国じゃ、嬢ちゃんくらいの年の子は小学校っちゅーもんに通うんや。お勉強やな」
「知ってるけど、そんなところに行かせるつもりはないわ。勉強なら私が教えているもの」
「それじゃ友達ができんやろ?」
「友達? そんなの必要かしら?」
クレリアの反応に、どこか懐かしむようにヴィオラは頷いた。
「そー思うよな? うちかてそー思っとったんよ。自分一人で十分やってな」
「意外だけど、子育て経験があるのかしら?」
「あるで。だからうちとよー似とるあんたにアドバイスをしに来たんや」
ヴィオラはクレリアを指さす。
「クレリア、あんた一人がいれば嬢ちゃんの生活は安泰や。けどな、それで嬢ちゃんが幸せになれるかって言うたら別の話やねん。護る以前に嬢ちゃんの幸せを願っとるやろ?」
「当然。あの子には誰よりも幸せになってもらうわ」
「子を持つ親は大体みんなそう思ってん。けどどう頑張っても親だけじゃ子供を幸せにはできんねん」
「あなたの経験談かしら?」
「経験談と、他の親子を見て学んだ結論やな」
クレリアは黙考する。
ロザリーが成長する過程で、自分以外の価値観や視点を持つ誰かと接触するのは利点だ。
いずれアルカディアの王になるかもしれない御方だ、他人の思考を読み解く力を磨いておくのは必須だろう。
「あなたの言いたいことは理解したわ。小学校に行かせるのは悪くないようだけど、その前に最低限の護身術を身につかせてからね」
「いや、なんも理解しとらんやんけ! 小学校行かせんのになんで護身術やねん! それに小学校は一つの選択肢で別に行かせんでもいい。うちが言いたいのは、友達を作らせてやったらどうやって話や」
「だからそんなの必要かしら。私も友人なんていないけど何も困らないし、それが不幸だとも思わないわ」
「わかる! それはよー分かんねん!」
「……なんなの? そんなことを言いに来ただけなら戻らせてもらうわ」
「いや、ちょお待てって」
きびすを返したクレリアを慌てて止め、ヴィオラが一枚のクーポンを渡した。
「なにこれ?」
カフェの三十パーセントオフクーポン。
知らない店舗名だが、住所はそう遠くない。
「嬢ちゃん連れて食べに行ってみ」
「この店に何かあるのね?」
「女の子が好きそうなメニューが多いで」
クーポンの裏側を見ると、パンケーキとパフェの画像が印刷されていた。
さっきまでロザリーがテレビで見ていたものと似ている。
「人の家のテレビまで監視してるわけ?」
「は? んなことするかい」
ただの偶然のようだ。
「この店に行かせる目的は?」
「用心深い姉ちゃんやな。まあ、ただのお節介や。疑うなら行かんでもええで」
言うなり、用事は終わったとヴィオラは帰っていった。
「…………」
クレリアは受け取ったクーポンを財布に入れる。
ヴィオラから悪意は微塵も感じなかった。
本当にただのお節介に来ただけなのかもしれない。
(パンケーキか)
ロザリーはまだ食べたことがない。
昼食の選択肢に入れてもいいかもしれないと、クレリアはエレベーターに乗り最上階のボタンを押した。




