WHAT A WONDERFUL WORLD
退院してまずは、お祝いとバカンスを兼ねて、キングの生まれ育った沖縄へ。
閉鎖的すぎた空間を一歩出た時から私は浮き足立っていて、辿り着くまでの飛行機や船でさえ全て新鮮で、とてもはしゃいだ。
沖縄の海は美しく、気持ち良かった。
連絡も無しにいきなり帰った孫とその連れを、キングの育て親であるおばあは快く受け入れて、美味しいご飯とふかふかのお布団、ご近所を巻き込んだ歌と踊りの大騒ぎ付きで迎えてくれた。
あれ何?これ何?触りたい、食べたい、やりたいと、思い付いた事はすぐ口に出して行動し出しても、私より更に好奇心の塊みたいなキングは、そんな私を面白がって、わがままをわがままだとも思わずなんでもやらせてくれた。
入院中は意図して聞かないようにされていた音楽も、キングはどんどん近付けて与えてくれ、短い滞在期間中に私は三線が弾けるようになった。
一緒に生活してみて分かったが、キングの方が私の三倍はわがままだった。
それを不思議と受け入れてくれる人ばかりに囲まれて生きているせいか、私が言う事も当然のように聞いてくれるのだ。
もちろん、嫌だとか面倒くさいとか今は駄目だとも言うけれど、よっぽどの事で無ければ許可が出る。
やってみてダメなら一緒に残念がってくれるし、笑ってくれる。
アメリカでの生活も、キングの言う通り不自由は少なかった。
現地のコーディネーターや学校が、怖いものや危ないものからは守ってくれたし、心配していた英語も最初のひと月ばかりで日常会話が出来るようになった。
もっとも、言葉を早く覚えられた一番の要因は、日本のサブカルチャー大好きガールと友達になれた事が大きいだろう。
写真やファッションを解説し、本や動画を英訳しては音読し、時に歌って演じて、毎日のように彼女に感動を与えていた。
最初は知っている単語を組み合わせただけだったが、彼女も彼女で一生懸命理解しようとしてくれたし、その内よりわかりやすく、でも正しく伝えようと頑張る私に応えるように、彼女も受け取り方が上手になっていった。
伝えたい意思と、分かりたい意思があれば、なんとか通じ合えるものだ。
彼女とは、親友になれた。
僕と一緒に世界を見に行こう。
その約束通り、最初の一年をアメリカで過ごした後、キングは短期で予定を組みながら、私を世界中飛び回らせた。
時には留学では無くただ旅行にも行ったし、日本も四十七都道府県全て行ってみた。
一日一日過ごしていくだけで、好きな事が見つかって、得意な事が分かって、知りたい事もやりたい事もどんどん増えた。
そして世界中に、年齢も性別も、言葉も国境も越えた友達がたくさんできた。
私だけでなく、そうやって私が見て、得てきたものさえ、全てキングは受け入れて喜んでくれた。
面白そうな事が大好きなのだ。
キングは私を通して、一緒に世界を見て回っていた。
私を面白がって甘やかし、ずっと守りながら育てて、一番近くで背中を押し続けてくれた。
それは、私が選んで望んで興味を持つものを、同じ位置から一緒に見て楽しんでいたに過ぎないが、そこに居てくれるだけで私は安心して前を向いて歩く事が出来た。
彼は本当に王様だ。
きっと世の中は、殆ど彼の思い通りになるだろう。
しかし私はそんな彼の事を、今ひとつ信頼し切れない時があった。
手に持ちすぎるとこぼしてしまう。
大事なものは秘密にして隠しておかなきゃいけない。
私が良いと思うものは、もうみんなが良いと思っているものだから、気をつけていないと無くしてしまう。
変わり続けなければ、興味は薄れていつか居なくなってしまう。
だから一人で生きていけるよう、急がなくてはと、私はどこかで怖がっていた。
二十歳の誕生日に、キングは私に立派な振袖を贈ってくれた。
成人式にはどこにも参加しなかったけれど、写真館で写真を撮ってもらった。
その時、私はキングに夢を話した。
もちろん、叶えるために、これから歩んでいきたい道とその到達点の話。
音楽と共に生きて行きたい。
音楽を生き甲斐とし、生業としたい。
新しく歩き出した私を最初に迎えてくれたのは、人の温かさと音楽だった。
沖縄を立つ時に、おばあが私に三線をくれて、それと一緒に世界を回っていた。
何も知らない私を、人と繋げてくれたのも、音楽だった。
学生寮の小さな一室や学校の中庭で、私は三線を毎日披露していた。
面白い楽器だねと寄ってきてくれた人が、私に違う楽器や好きな歌を教えてくれた。
日本中、世界中、どこに行ってもそこにあり、どこを向けば良いのか分からなくなっても、音楽はいつも私を支えてどんな時にも寄り添ってくれた。
縁側に始まり、道端や小さなライブハウスやパブ、言葉も通じない土地でも、私の演奏や歌に反応があるのは面白く、嬉しかった。
表現者になりたい。
目指すところを決めてからというもの、ミュージカルにオペラ、各種コンサートやライブ、時にはヒーローショーやパレード、映画も本もテレビもたくさん見て吸収し、各地で仲良くなった友人達にも色んな話を聞いた。
彼らは皆、優しく頼もしく、背中を押してくれた。
そして何人かは、共に手を取り、並んで進む道を選んでくれた。
キングはそんな私の話を、目をキラキラさせて聞いていた。
そして、これからも共に歩む事と、そんな私の未来に今後も投資する事を約束してくれた。
これは投資。
彼はバックを求めている。
そして、利益を確信している。
彼は私を『金の卵を生む鶏』と称した。
だからそばに居たのかと思うと、納得して安心して、ますます好きになった。
私が自分の足で歩く為に作ろうとした道は、キングの歩きたかった道。
一緒に居ることに意味がある。
それはそのまま、私の自信になった。
好きな事を押し通すだけで、支え合えて来れた私達ならば、どこに行こうともう無敵だ。
それからすぐに、私は劇団を旗揚げした。
大きな舞台に立ちたい夢は日に日に膨れ上がり、私はついに自分で作ってしまった。
叶えたい夢を持ち始めてから秘密裏に動いていたので、思い立ってからは早かった。
私に英語を教えてくれた彼女をはじめとする、旅の途中で出会った仲間たちは、私やキングに並び立つほどチャレンジ精神が旺盛で、向上心と生命力に満ち溢れていた。
流暢な関西弁を話すアメリカ人に、下積み三十年目のベテランと、おっぱいが大きくて美人なニューハーフ。
並べただけでもう面白い。
はじめの一歩はたった六人だったのに、世界中から年齢も得意分野も違うくせに妙に一体感だけはある有志が集まった小さな集団は、贅沢こそ出来ないがまるで家族のようで、支え合い、助け合い、とても温かくて心地良く、みるみる仲間が増えていった。
舞台の上ではなんでも出来る。
お姫様にもなれるし、空も飛べるし、良い子にも悪い子にもなれるし、誰かの恋人にだってなれた。
初めてのキスが散らかった稽古場でジャージだったのは嫌でも忘れないと思うけど、それもいい思い出。
歌を歌ってダンスして、想いを吐き出し、生き様をぶつけ、好きな事もやりたい事も全部できて気持ちいい。
身体中の血が騒ぎ、生きている事が熱と呼吸と心の動きで伝わってくる。
満たされる感覚。
溢れ出る感情。
その度に私の心はもっともっとと欲張ったけれど、何度でも満たされた。
欲しいものは自分で手を伸ばし、開いてなければ開けてしまい、無ければ作る。
本気を出せば鶏だって飛べるし、ましてや人は月まで行ける。
こうして、新しく夢を見る場所を、私は手に入れた。




