Violets for Your Furs
八月に入ってすぐ。
リュウの誕生日を私が知らなかったように、私の誕生日ももちろんリュウは知らなかった。
もしも知られてしまったら、私が返しきれない物を寄越すだろうから誰にも秘密にしていたのだ。
しかしその日、何故かリュウは私の誕生日を調べ出し、当日の予定が朝から晩まで一杯な事を知ると勝手に残念がってしばらく機嫌を損ねてしまった。
私がリュウの誕生日を知らなかったのも、聞いたら聞かれてしまうだろうと思って敢えて触れて来なかったからだ。
知りたくなかった訳では無いが、知ったら浮かれる事は分かっていた。
もちろん、お互いにである。
何か機嫌を直す良い方法はないかと考えていると、アンティークショップの店主から「見つかったよ、例の物」と連絡が来た。
情報通の店主には、名前も知らなかった若いピアニストを調べて、写真か写真の載った雑誌を探してもらえるか協力を仰いでいた。
数日前、物々しく「絶対に口外しないで欲しい仕事があるんだけど。お礼は弾むわ」と持ち掛けたら、その気になって、まるでスパイに成り切ったかのように今日まで付き合ってくれている。
それが見つかった報告だった。
「では、予定通りに」
不適な笑みを浮かべ、私もノリノリで答える。
雑誌の切り抜きや古い写真を綺麗に復元できる所を探して、街の小さな写真館で交渉もしてあったので、後で早速〝ブツ〟を確認し、運ぼう。
計画は順調に進んでいる。
その事については触れないまま、私はリュウに、来たるデートではお互いに欲しい物を一緒に探して贈り合おうと提案をした。
いつもは事前に観察し、喜ぶだろうという仮定で物を買って反応を伺っている控えめな私達なので、お互いに「これが欲しい」と主張するのはとても貴重な事なのだ。
週末ギリギリになって、私の浴衣が届いた。
結局見付けられずに反物から仕立てた、白地に柳柄の私専用。
ルイがくれた簪と、ヴィヴィが作ってくれた巾着、それに入る小さいサイズのお財布はエルメスが、マスターは草履で一日中歩くのは大変だろうと和風の可愛いサンダルを買ってくれた。
ココはブランド物の真っ赤な口紅、ルルは大人っぽい香水をくれた。
私が、ノートやスケジュール帳を真っ黒にさせながらあちこち走り回っているくせに、自分の支度は何一つしていない事をみんな知っていたみたいに、頭のてっぺんからつま先まで、デートの準備を揃えてもらえた。
世界に一つだと思って喜んだ浴衣は、ティファニーさんは勝手にリュウの分まで色違いで作っていた。
「こんなの二人で並んで歩いたら、まるでそうみたいじゃない」
「ええやん」
みんな、ご機嫌だった。
「お嬢、仕上がりましたよ」
指折り数えて待ち望んでいると、もう一人、陽気なおじいちゃんが私のお願い事を聞いて連絡をくれた。
先日、アンティークショップで『マリア・レオノワ』というロシアの女性ピアニストが日本で行ったチャリティコンサートのポスターを手に入れた。
そしてその日のうちに、そこに写る小さな小さな彼女の宣材写真を、どうにかL版サイズにまで伸ばしてもらえないかと、二十歳のティファニーさんを撮った写真館のおじいちゃんにお願いをしていたのだ。
待ち切れずにすぐ確認にいったが、白いピアノに寄りかかり、すまして笑う彼女は、とても綺麗なグレーの瞳をしていて、多少手を加えたらしいが、それは立派に写真に見えた。
これは、私が最初に思いついた、リュウへの誕生日プレゼントだ。
お互いに欲しいものを購入し合うと言っても、どうせリュウは気を使って大したものをねだってくれないだろうから、これはこれで用意して良かったと思う。
リュウが一枚しか持っていない大切な家族の写真は、一応逃げ場になっているあの家にまだ置いてある。
だから、どうしてもソレイユにも置いてあげたかった。
死ぬつもりだった心を、生きようと再び奮い立たせるほど力のある人だ。
これから先どんな事があっても、きっと心の拠り所になる。
毎日の安らぎになる。
どんな顔するだろうな。
喜んでくれるといいな。
何をあげたって喜んでくれる事は分かってる。
だからこそ、心からありがとうって笑ってくれる顔が見たいし、特別な何かをあげたい。
そう思って決めた。
一生懸命考えて、もう一度それを私の手から渡せたら、それはとっても運命的でロマンチックで、私にとっても素敵な事だと思ったから。
私、覚えている。
まだ街に一人で出始めたばかりの頃。
見るもの全てが新鮮で、何にでも興味があった私は、声の掛け方も分からないのに、背の高い外国人に話しかけてしまった事がある。
同じバスに乗っていて、その人は空港から乗って来た。
明るい髪色も、香水もピアスも高そうなスーツも、田舎町じゃあまり見ないから珍しくて、すごく印象的だったの。
終点の街について、座席に残った封筒に気付かず降りてしまった彼を追いかけて、服の袖をつかんで捕まえた。
とても大きくて、怖くなかったわけでは無いけど、そんな失礼極まりない小さな私の声を聞くために、その人はしなやかに背中を丸めてくれて、その細くて静かな立ち姿が、すみれの花みたいだと思った。
大きな色の濃いサングラス越しにも凄く綺麗な薄い色の瞳をしていることが分かって、見惚れてしまった。
「どうも」
忘れ物を渡しただけ。
でも真っ直ぐ私を見つめ、きちんとお礼を言ってくれて、言い終えて微笑んでくれた。
その一言が身体中に何度も響いて、その日は一日ぽかぽかとあったかかった。
誰かのために何かが出来た。
自分にもそれが出来た。
そんな小さな事が嬉しくて、それが街に出る理由のひとつになったなんてとても言えない。
まるで、ドラマや映画みたい。
あの日の事はお互いに印象に残っていて、ずっと心のどこかで想い合ってた。
照れ臭くて誰にも言っていないけど、間違いなく、これは運命なんだわ。
始まりのあの日にもう一度二人でかえったら、何が起こるかためしてみたいの。




