One Love
街が静かな大騒ぎになった翌週から、私の生活は平和を取り戻した。
私はこの週末、一歩も外に出してもらえなかった。
お抱えの栄養士と調理師に、口にするものを三食プラスおやつまで徹底的に管理され、趣味のピアノや映画観賞も時間を決めて区切られて、空いた時間で遅れていた勉強を詰め込み、夜は二十一時には床につきママにお腹をぽんぽんされて眠るという、軟禁生活を送った。
栄養と睡眠、そして安静が第一とお医者様に言われて実行したおかげか、たった二日ですっかり体調は良くなった。
幸運のお守りであったオープンハートは、簡単に正体を明かした背の高いサンタクロースが、切れてしまったチェーンをきちんと直してもう一度届けてくれた。
今度こそ大事にすると約束して、私は私を取り戻し、憧れだった女の子になるべき努力をもう一度始めることにした。
やりたい事を、やりたいように。
神さまは、ちゃんと見てる。
まるでそれがきっかけだったみたいに、私の元を去って行ったものが、少しずつ戻って来た。
学校で使う物は全部ティファニーさんが揃え直してくれたし、栄養満点の朝ごはんと、目にもお腹にも優しいお弁当が勝手に用意されていたので、朝はゆっくり準備が出来た。
仲直りをして以前よりずっと絆の深まった親友は、また駅で待っていてくれるようになった。
学校に着いてみれば、下駄箱に名前が貼られ、壊れていたロッカーは扉も鍵も直されて、置きっ放しにして没収されたと思っていた教科書は、新品になって一式机の中に入れられていた。
戻るどころか、むしろ前より良くなった。
学校では朝からまた生徒指導室に呼ばれたが、今度はユウキとハルキが一緒だったので心強かった。
何年生の誰それと交流はあったか、何月何日の何時頃どこにいたか、プールに金魚を放ったかなどを聞かれた。
胸を張れるところだけしっかり答え、あとは適当に流していたが、一通り質問の答えを返した所で解放してもらえた。
質問の内容が、もう事件の全貌と犯人の確定に迫りすぎていて、私たちは廊下に出た途端笑ってしまった。
イエスと答えない事も、自分を守る為に必要だと知った。
私たちの一言で、きっと誰かの人生を変えてしまう。
例えそれが真実でも、彼らが味方になる気があったとしても、私の目指す所はそこでは無い。
正しいだけが正義じゃない。
同調だけが理解じゃない。
イエスかノーだけが答えではない。
どこかで誰か泣くのなら誰かの敵に進んで成る気は無いし、やったらやり返されるなら、悪い連鎖は誰かが止めなければならない。
嫌だと伝えるのは分かってもらう為に必要で、助けてと声をあげる事はとても大切な事だ。
でも、いつどこでそうするか、それを決めるのは自分であっていいのだ。
自分の平穏と平和な日々を守る為に、そして誰かの意思を守る為に、時には曖昧が有効だったりする。
それも、適当というものだ。
それからは、不思議な事に私達への執拗な関心は瞬く間に無くなっていった。
気にならなくなっただけかもしれないが、本当に街にも学校にも平穏な日々が戻り、あれだけ存在感を醸し出していたカラーギャング達さえ、その多くが姿を消した。
正式な面倒くさい手続きを踏んだら、いつか鞄ごと無くした財布と携帯電話も手元に戻ってきた。
懐が温かくなって早速、私はユウキと一緒にマリアンナへ行き、背中の大きく開いたドレスを買った。
門限十九時を越えないように、休み時間や放課後を利用してハルキと音楽を楽しみ、駅前ロータリーという新しいステージでギターの弾き語りデビューもした。
好きなものや大切なものを優先的に手の届く所に置いておけば、生活はもっとずっと豊かになる。
みんな知ってて、多くの人が実践している事だ。
一生懸命頑張ることは、なにも肩を怒らせて力み、何でもかんでもがむしゃらに爪先立ちで突き進む事じゃない。
例えそうだとしたって、表に出してしまったら優雅じゃない。
聞こえない声は無理に聞かず、本当に伝えたい事を伝えようとしてくれる人や、ちゃんと伝わるまで聞いてくれる人を大事にすれば、ひとりの時間も怖くない。
大好きなものを身につけて、大好きな人に囲まれて、胸を張れる事をする。
そこに信念があれば、後ろ指も後ろ髪も気にならない。
私が「大好き」を表に出す事を躊躇わなくなったら、リュウの愛情表現も日に日に遠慮が無くなっていった。
挨拶をしただけで笑顔になり、週に一度はお土産を買って帰り、その他は寄り道もせず真っ直ぐ帰宅して触れ合いを楽しみにする、まるでハートフルなホームドラマのお父さんみたいになってしまった。
可能な限り同じ空間で同じ時間を過ごし、たまには同じ物を一緒に作って食べて、曲は知っているのに見た事が無かったという名作映画の数々も見た。
ギターもピアノも、新しい曲を覚える時は、やっぱりリュウに一度弾いてもらうのが一番早く身に付いた。
好きこそモノの上手なれとはこの事だと、ティファニーさんは笑っていた。
だからエルメスとマスターは張り切って、私とリュウと二人の先生になった。
「アンナ」
「はーい」
自分が眠たくなってくると、リュウは私に声をかける。
部屋や音楽室に居ない時でも、探して見つけて必ず言う。
おやすみを言うための、リュウの日課だ。
夜間高校も夏休みに入って、一緒に居られる時間が増えた最近は、前よりずっと柔らかい顔になった。
お互いに、家に帰る事は忘れている。
私の部屋はすっかりリュウの部屋になって、荷物は多少置かせて貰っているが、電子ピアノは共有し、私が眠る事は全く無くなった。
その代わり、毎日きっかり同じ時間に、今度はリュウが私に叩き起こされている。
おはようを言うための、私の日課。
ティファニーさんの部屋に入ると、彼女はもう寝る気になって先にベッドで待っていた。
空いたスペースに潜り込み、スケジュール帳で明日の予定を確認する私を、ティファニーさんは布団の上から撫でる。
もうこれも、癖になっている。
時々耳の後ろや顎まで掻くので、猫か何かだと思っているかもしれない。
「ティファニーさん、ご相談が……」
「なあに?」
「来月の七日、お泊りで出掛けてもいいですか?」
「ぇえ」
イエスの返事では無かった。
手帳の隙間から表情を伺うと、眉が下がって唇が突き出ていた。
「ダメですか?」
「いいえ、ちょっと残念だっただけよ。夏休みだものね。誰とどこに行くの?」
「ハルキとユウキと海に行くんです。大先生が夜釣りに連れて行ってくれると仰って。なので昼間は居ます」
「あら、よかったわね。楽しんでいらっしゃい。でもそれなら、昼のうちにしっかり食べてよく寝ておかないと、また倒れちゃうかもしれないわ。どこまでだって迎えに行くから、何かあったらすぐに呼んでちょうだいね」
「大先生が居るから大丈夫ですよ」
また、と、随分前の話をする。
なるべく淡々と返してみせた。
「もう一年になるのね。もっとずっと一緒に居た気がするわ」
残念がってみせたのは、ティファニーさんにとっても、その日は特別な日になってくれていたからだった。
八月七日は、アンナの誕生日。
私とティファニーさんが初めて出会い、私がここに初めて来た日だ。
私の休日を、私の為の休日になる様に、きっと何か考えていてくれたのだろう。
出発は夕方。
だからそれまでは、大好きなここで一日を始め、好きな物を食べて、仕事をして、終わったら今度は大好きな友達と一日が終わるギリギリまで楽しいまま騒ぐ、そんな壮大な計画をたてていた。
最初はただ単に藤原家で夜通しホラーゲームをするはずだったのだが、時期的な会話の流れで「海を見た事が無い」とこぼしたら、釣り好きのおじいさんが連れて行ってくれる事になったのだ。
今の私は、人に恵まれていると本当に思う。
「気をつけて行って来てね。そして、出来たら八日はなるべく早く帰って来てちょうだい」
「大丈夫です。そんなに起きて居られないし、ここから長く離れるのは私の身がもちません」
「それなら良いのよ。男の子とお泊りで出掛けて帰って来ないなんて聞いたら、今度こそ何やらかすかわかったもんじゃ無いわ」
「なんの話ですか?」
「それ意地悪で言ってるの?リュウの話よ。私もう止めてあげないわよ」
「どうして?」
「二十歳になっちゃうんだもの」
聞いてすぐ、私はベッドを飛び出して隣の部屋に飛び込み、ほぼ寝ていたリュウに勢いでデートを申し込んだ。
寝ぼけながらも、もちろん即答で「ええよ」と返ってきたけれど、当日は平日で昼間は仕事があったので、リュウと会えるのは夜になる。
せっかくのお誕生日祝いのデートならと、本人の希望で一日一緒に居られる直前の週末に、夏祭り見物を兼ねて買い物をする事になった。
部屋に戻ってティファニーさんに報告すると、今度はその前にティファニーさんと浴衣を買いに行く約束ができた。
もちろん当日は当日で何かしらのお祝いはするだろうけれど、これなら一足早く、誰よりも早く、お誕生日のお祝いができる。
私にとっても、素晴らしい計画だった。
惹かれあったまま離れた二人が再び出会い、巡り合わせた夜と朝、運命的な一年前の二日間。
そこから一緒に新たな一年が始まって居た事を知り、私は奇跡を感じて喜んだ。
「忙しい夏休みね」
どきどきする。
本当は黄色い高い声できゃーきゃー言いたいくらいわくわくしてる。
次の日から、もう忙しかった。
マスターには正直な理由を告げてシフトの調整をしてもらい、浴衣はティファニーさんと何件も探し回り、海に行く事を知ったルルとココとは、使うかわからないけど水着を買いに行った。
夏真っ盛りも、暑い事と雨が多い事は相変わらずあまり好きにはなれなかったけれど、他はあまり苦にならなかった。
毎日がやる事とやりたい事であふれている。
とても充実していた。




