Love Me Tender
それからずっと、リュウはアンナに恋をしている。
リュウはギターを覚えると、休みの日にはよく街へ出て、時々歌を歌った。
特に、駅前のタクシー乗り場のすぐ近く、アンナに初めて出会ったあの場所は、リュウの始まりの場所でもあり、この街で一番思い出深い場所だった。
申し訳程度の緑を周り込めば、タバコの吸える小さな広場があって、座って落ち着く事が出来るのでとても気に入っていた。
どんなにソレイユが認めてくれようとまだまだ自分に劣等感があって、仕事としてやらせてもらっている以上、いつもそこには大きなプレッシャーがあった。
日に日に蓄積されていくストレスに、自分の心境がいまいち分からずもやもやと燻っている時、誰のためでもない音楽に触れていると心が落ち着いた。
歌を通せば恥ずかしいことも堂々と言えたし、感情や想いも素直に表に出せた。
そしてそんな音楽に触れていると、見失いかけていた自分の心の動きが、とてもわかりやすく伝わってくるのであった。
内から自然と溢れ出る、素直な気持ち。
誰かの指示も期待も無く、ただありのままの自分のかたち。
そして機嫌が良くなると、大声で愛を歌っていた。
そして、去年の夏。
アンナが現れた。
やっと、今の生活が〝日常〟になって来た頃だった。
声をかけてきたのは、アンナの方だった。
『レオン』と呼ばれた時は心底驚いて、衝撃が走った。
平凡に慣れてきていたので、ここに来てまさか閉じかけた過去を引きずり出されるとは思っても見なかったし、決して捨て去ることの出来ない自分の闇や自分がここに来た意味を、やはり彼女は知っているのかと驚いた。
単純に驚いていたのかもしれないし、ついに来たこの日に喜んでいたのかもしれない。
焦りだったのか、恐怖だったのかも曖昧だけれど、大きく打つ心臓が、ギュッと締め付けられて息苦しかった。
全て知っていて、彼女は初めて会ったあの日と変わらず、無垢だった。
わくわくした顔で、きらきらした目でリュウを見ていた。
アンナは、リュウの声掛けに応えて、認めて、笑ってくれた。
その笑顔を見たら、ただ愛しくて愛しくて、涙が出そうになった。
その日から、アンナは『アンナ』を受け入れて、さも自分がずっとアンナたっだかのように振る舞った。
ティファニーやマスターもアンナがリュウの事を『レオン』と呼ぶ事を知り、初めは警戒して監視していたが、アンナはいつだって素直な良い子だった。
己を隠して生きる事や、人の期待に応える事を苦にも思わずやってのけ、まるで魔法の鏡のように、人に向けられた言葉をなんでも受け入れて、望んだ通り望まれた事を返し、人の心さえ読み取って寄り添い、こちらが一番心地よい距離を保ちながら、同じだけの想いを返す。
『アンナ』でいる事に、幸せすら感じているようにみえた。
その姿を見て、次第にソレイユでもアンナは特別な存在になって行った。
リュウにとっても、こんなにも近くにアンナがいてくれる生活は、まるで夢のようだった。
名前を呼び、笑ってくれて、逃げもせず、手を伸ばせばすぐ届く。
こんなに近くまで来てくれた事は奇跡に等しかった。
しかし、その時からリュウには不安もあった。
誰かの為に動くとき、行動の芯の部分に『自分』が無ければ、そんなもの実際には、ただ言う事をよく聞く都合のいい人形である。
聞けなくなれば捨てられる。
反抗すれば壊される。
人の声をよく聞くだけでは、声をかけられなくなった時には、己を見失っている。
外ばかり気にして内を見れずにいると、いずれ身を滅ぼす。
その痛みを、リュウは知っていた。
過去の自分を見ているようで、守ってあげたいと思った。
彼女に救われたこの命、彼女の為に尽くそうと心に決めて、精一杯の愛情を送り続けた。
リュウにとって、アンナは自分の命そのものだった。
笑えば嬉しくて、悲しめば同じように悲しんで、機嫌が悪そうだと不安になった。
ソレイユに出会い、かつての自分と同じように、日に日に人間らしくなっていくアンナの姿を見るのは楽しかった。
でも、自分以外の人間に懐くのはちっとも面白くなかった。
アンナが全身全霊で人のために尽くし、人の幸せを願える姿は、羨ましくて格好良かった。
でも、他人には誰にでもそうであるのに、アンナはアンナ自身を大切にすることをいつも後回しにしていて心配だった。
アンナの愛するソレイユの一員で居られることは、とても誇らしかった。
でも、それとリュウ個人とはイコールで繋がらない事は虚しく、哀しかった。
アンナが毎日笑顔でいてくれる事が、リュウの幸せだった。
でも、その笑顔を守りたいと強く強く願っていたのに、アンナは傷付き、涙を流し、心を閉ざし、壊れていった。
止められなかった。
気付けなかった。
笑顔でいて欲しいと望んだばかりに、笑顔以外を隠す様になってしまった。
これ以上傷付けるのが怖くて、歩み寄れなかった。
塗り替える事の出来ない真っ黒い過去を持った自分と接しているせいで、アンナまで黒く染まっていくような感覚に、焦って不安定になった。
どんなに傷付き、どんなに消耗しても、決して真実を語らず、一度離れた心の距離が縮まる事は無かった。
もどかしくて、辛くて苦しくて、リュウ自身も壊れてしまいそうだった。
次に手を離してしまったら、アンナはどこかへ行ってしまう。
そんな恐怖を抱えて、リュウは今日を迎えた。
アンナを憎いと思った事は一度も無い。
いつだって、可愛くて可愛くて仕方なくて、そこにいるだけで幸せだった。
でも、捻くれた自分の心が曇った時、いつだってアンナはそこを見抜いて突いて来て、リュウは自分を責めてしまうのだった。
リュウの行動は、全てアンナへの愛情表現。
いつだってリュウはアンナの事ばかり考えて、アンナで喜び、アンナで悩み、アンナで悲しんで、アンナのために生きて来ていた。
******
恋は、人を夢中にさせて、盲目にさせて、狂わせる。
それは、人を強くも弱くもするものだ。
強い想いはそれだけ力を持ち、相手に届けば信頼を生み、跳ね返れば自身を傷付ける。
黒い想いは心を蝕み、伝わらない想いは何も生み出さないまま傷んで行く。
秘めた想いを秘めたままにして、そのたった一言を伝えなかったばっかりに、二人が出会ってから今日までに何度すれ違っていた事か。
いつ交わったっておかしく無かったのに、お互いに〝すれ違うはずの無い同じ方向を向いて歩いている〟と思い込んでいたものだから、差し伸べられているその手にも、向けられている視線にも、これまで気付かずに来てしまった。
私が勝手に黒に嫌なイメージをつけてしまっていたせいで、どこかでいつもリュウを疑っていた。
本当は、身体中にある傷跡が透けて見えないように、夏でも我慢して色の濃い長袖を着ているだけだって始めに言ってくれてたら、私はもっと早くリュウのこと、優しい目で見てあげられたのに。
私とルイが、ティファニーさんとリュウを特別な関係だと思い込んでいる時、二人も私達をそう思っていたらしい事を聞いて、悲鳴をあげてしまった。
ルイが執拗に私に突っかかって来るのは、ティファニーさんとリュウの平和な日常を私から守る為に、自分が間に入ろうとしていたからだ。
すでに目がハートになっている私の好意を自分に向けるのは無理だとしても、常にリュウの代理ができる事をアピールし、輪に入って見張る為、あの手この手を尽くしていた。
だから初雪の夜やクリスマスにもしゃしゃり出て来たわけだが、その言動はいつもリュウの心中を掻き乱し、かえって不安定にさせてしまっていたようだ。
「アンナなら俺の部屋で寝てるぜ」とクリスマスにリュウ失踪事件の引き金を引いてしまって、二人の関係性について誤解があった事をやっとそこで知ったので、それ以来わざとらしい事はしなくなったのだが、一足遅く、あの事件からは私の気持ちの方が変わってしまった。
ルイの悪意が無く、正直にあの日私がルルとココにサンドイッチされて寝ている事を話してくれていたら、私はティファニーさんの広いベッドに運んでもらって、快適に当日を迎え、物語はパーティでハッピーエンドだったのに。
それか、そもそもその前に勢いででも私が告白してたら、毎週仲良くご飯を食べて、おてて繋いでデートしている相手は、ティファニーさんじゃなかっただろうな。
馬鹿みたい。
人のことを散々言っておいて
私が一番、馬鹿だった。
リュウが自分を責めるのは、いつだって私のせい。
リュウが私に対して不信感を抱いたり嫉妬したり、黒い感情を持った時、それは鏡のように跳ね返って私に害が出ると本当に思っていたから、忘れる努力をしていたのだ。
黒い掲示板を見てリュウが何を思っていたかって、アンナに降り注ぐ罵詈雑言を自分の事のように悲しみながら、私がよく話題に出すハルちゃんやユウちゃんが女の子じゃ無かったことに一番ダメージを受けていた。
その頃にはルイの誤解も解けて、ソレイユの後押しもあって、自分が一番アンナの近くにいると自負していたから、余計に混乱させた。
だいたいそんなことばっかり。
ヤキモチ妬くなんて可愛い。
そんな素直な下心も、はじめから私が伝えていたら良かったんだね。
私が認められずに伝えられなかったんだもの、リュウだって同じだったんだ。
リュウも、私と同じ気持ちでいてくれた。
こんな幸せなことある?
今一度、互いに名前を呼び、手を重ね、しばし見つめ合った。
確かめるように、静かなひと時だった。
どちらの口からも、ついに〝その一言〟が伝えられる事はなかったけれど、とても満足そうに微笑みあった。




