You Raise Me Up
そして私はまたいつものように、天蓋付きのふかふかベッドで、安らかに眠る事が出来るようになった。
ティファニーさんは部屋に着くと、ベッドの上に自分の宝物を広げて見せてくれた。
それは肌身離さずいつも持ち歩いているという、母子手帳だった。
中にはリボンや写真や折り紙など、私の覚えのあるものから無い物まで、ここ一年間の様々なアンナの痕跡が大切に保管されていた。
「女の子だったの。生まれていたらあなたと同じ年よ」
ティファニーさんが私を『天使』だと言って可愛がってくれた理由が、分かりやすく理解できた。
ティファニーさんの本名は柳澤園美さん。
一回り以上歳は離れ、母親も違うけれども、リュウの実のお姉さんだった。
ティファニーさんが生粋のお嬢様として何不自由なく暮らして居た家を飛び出したのは、蝶よ花よと育てられつつも、きちんと跡取りとしての努力も欠かさなかった自分に対し、「男の子なら良かったのに」と言い放った両親との衝突だった。
今思えば、その頃愛人との間に生まれたリュウはいずれ引き取ることが決まっていたので、父が男児に心を揺らした気持ちも分からなくは無いが、悔しさに母までもが自分を否定したことは、未だに許せないと言う。
どちらかだけでもいい、認めて欲しかった。
十八歳の夏だった。
自分の生まれも育ちも、過去も未来も全て無意味になってしまった。
行くあても無く彷徨っている雨の晩に、優しく傘をさしてくれた人に恋をして、そのまま駆け落ちしたそうだ。
彼はお金の無い劇団員で、二人の生活は決して豊かでは無かったけれど、心から自分を愛して認めてくれ、大切にしてくれる人だった。
二十歳を目前に子供が出来て、彼の家族に結婚の報告をするために、そして新しい家族を迎える準備をする為に、この街へ来るはずだった。
そんな幸せの絶頂に、二人は引き裂かれた。
大きな事故だった。
何人もの怪我人が出て、二人はバラバラに病院に運ばれた。
ティファニーさん自身も生死の境を彷徨い大きく傷付いて、目が覚めた時には彼の行方は分からなくなっていた。
目が覚めた知らせを聞いて駆けつけた両親は「許してあげるから帰って来なさい」と言ったが、許せなかったのはティファニーさんの方で、逃げて逃げて、ここまで来た。
彼の生まれたこの街で、そして一緒に来るはずだったこの店で、彼女はたったひとつ彼が自分に残してくれた指輪を目印に、今も帰りを待っているのだ。
マスターが、そうしなさいと言ったそうだ。
ここに来るはずだったなら、きっと来る。
彼が帰る場所に決めているのは、ここか、君の元だろうから、どちらもここにあればいい。と。
「初めて見た時から特別だと思って居たの。あなたは私に笑ってくれて、私を慕って甘えてくれて、私からの不器用でぶつけるような愛情を、喜んで受け取ってくれた。私はそれが嬉しくて、十五年も待ってこの子は帰って来てくれたんだと神さまに感謝したわ。あなたの事を、あなたとして見ていなかったのは本当なの。同じ想いで、同じ所に立ってあげられなかった。心が離れてしまっても当然ね。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
母子手帳を撫で、何度も中身を重ね直しては、穏やかにティファニーさんは言った。
「いいんです。私も、ティファニーさんのその愛を、何度も疑って来ました」
「わかっていたのね、ちゃんとあなたは」
「いいえ、なんにも。私、リュウとティファニーさんは恋人同士なんだと思っていたので、二人に嫉妬していじけてたんです」
「……なぜそうなるの?」
「二人はお互いにとても深く愛していて、だからこそ、その真ん中に居る私の事を大事にしてくれているんだとばかり。本当は私の向こう側に贈っている愛情を、私は勘違いして受け取って喜んでいたんだって、今日までずっと」
「なぜそうなるの!そりゃあ私だって、リュウがあんまり大事にする女の子だから興味が湧いた所はあるけれど、だからってリュウが可愛いかって言われると……違うと思うの」
「でも大好きなのは本当ですよね。ティファニーさん、自分が甘えられる人には、照れ隠しで冷たくするんです」
からかうと、ティファニーさんは呆れたような困ったような顔で、唇を突き出していじけてみせた。
その唇の先を指で突くと、慌てて引っ込めて身動ぎし、両手で顔を隠してしまった。
同じ動きをするリュウを、今日見たところだ。
違うようで良く似てる。
私はまた二人が愛しくなった。
リュウは、三年前にティファニーさんが道端で拾った。
最初は、綺麗な身なりの男の子が、雨の中地べたに這いつくばっているのが可哀想で、傘をさしてあげただけだった。
ひと目見て、お互いに両親の顔が頭を過ったそうだ。
多くを語らず、探り合いもせず、気付けば納得し合って隣に居た。
ティファニーさんが、大嫌いな父親にそっくりなリュウを、黙って側に置いて世話を焼いているのは意地だ。
待望の〝男の子〟さえも幸せにしてあげる事が出来なかった父の代わりに、リュウを一人前の立派な大人にする事が彼女にとっての復讐だった。
リュウの幸せは、ティファニーさんの喜び。
リュウの人生が豊かであればあるほど、ティファニーさんは自分の価値を高める事ができるのだ。
やっぱり二人は、特殊で格別の、特別な関係だった。
「こうしてティファニーさんの気持ちを聞けて、本当に嬉しいです。私はティファニーさんの事、これからも大好きでいて良いんですね」
「もちろんよ。愛してる」
「生まれて初めて、そんな素敵な言葉を聞きました」
「何度でも伝えていかなくちゃね。これからもずっと。分かっていると分かっていても、きっと言うわね」
「じゃあ、分からないフリをしていたら?」
「もう。やられて泣いてる男の子が、近くに居るんじゃない?」
「心当たりが無いですね。そもそも全然言わないし。私がにこにこしていれば、へらへらしちゃう男の子しかここには居ないです」
私が目を細めると、ティファニーさんもうふふと笑って返してくれた。
大事な手帳は枕の下へおさめ、二人で柔らかいタオルケットにくるまった。
じっとりとした夏の夜は、ふわふわタオルと冷たいシーツが心地良い。
「もしもリュウに恋人が出来たら、ティファニーさんはヤキモチ妬きませんか?」
「歓迎するわ。興味を持つし、すごく仲良くなりたいと思う。だって、きっと良い子だもの」
「いつか私に恋人が出来て、帰って来なくなっても怒りませんか?」
「あなたが幸せなら。一緒に眠れないのは寂しいけど、口出しはしないよう努力するわ。でも傷つく前に帰って来て。そして私も一緒に戦わせてちょうだい」
額におやすみのキスをして、秒針の音に耳をすませば、間も無くめまぐるしかった今日が終わろうとしていた。
「ん〜……やっぱり嫌!」
十二時を過ぎて、夢の中でティファニーさんが吠えていた。
大丈夫です。私ここより良い場所をまだ知りません。十五かそこらでする甘酸っぱい恋なんて、きっとつまらない喧嘩をして酸っぱいだけの思い出になってしまうんです。出会わなければ良かったなんて泣いて後悔するような相手には、あなたの知る人は誰も当てはまりません。だから今は恋人なんかいりません。
「私、ずっとここに居たい」
それが、私の願い。
『私』も『アンナ』も、過去もこれからも、嘘も本当も全部受け止めて。
思っているより私はきっとずっとわがままで、大して美人でも無いのに欲張りで強がりで、嫌なところや可愛く無いところ全部見て恋なんて醒めてしまえばいいんだわ。
『アンナ』なんて、居ても居なくても同じになっちゃえば良いのに。
どんなに自分を作って嘘と誤魔化しで塗り固めても、それが恋の魔法じゃ無くっても、一緒にいるのが当たり前の人でありたい。
私の恋は醒めたけど、それでも彼の幸せを祈り、その姿をこれからもずっと見て行きたいと思ったあの日の気持ちは忘れていない。
だからこそ、同じところに立って欲しい。
同じ気持ちでいて欲しい。
初めて会った日が初めて会った日じゃなくて、あの日私が感じたときめきは既視感が生み出した錯覚だったとしても、知り合った今ならそんな間違いが起きる筈ないでしょう。
私がもっと大人になって、色んな事が分かって来ても、帰る場所はここなんだから。
でも、もしもその気があるのなら、今度はちゃんと恋をさせて。
何度でも。
そして私にも、心から誰かを愛させて。
病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、愛し慈しみ、死が二人を分かつまで、一緒に居るってそういう事。
この命尽きるまで真心を尽くす事だって、私はもう誓えるよ。
私を支えて来てくれた、全ての人へ。
私と一緒に、生きて欲しい。




