All of Me
ハリセンボンは美味しいのか気になったので聞いてみたら、針を抜けばほぼフグで、フグは美味しい事を教えてもらった。
〝ゆびきりげんまん〟の〝針千本〟は裁縫針である事は聞いた事があるけれども、その時の私の頭の中は美味しいものを口に入れたい衝動に駆られて、耳に入る言葉をなんでも食べ物に変換してしまっていた。
一般的な晩御飯の時間帯、お腹が空いても当たり前なのに、二人には大声で笑われた。
夕食を食べていくよう勧められたけれど、食べたいものがあったので丁寧にお断りした。
早く帰りたかった。
破けたオムライスでもいい、不細工なアップルパイでもいい、スープでも、パスタでも、サンドイッチでも、和でも洋でもなんでもいい。
メニューじゃない。
場所。
その時、手の空いている人たちが集まって食べる、うちの晩御飯。
今日は金曜日だから、賑やかなはず。
今連絡を入れた所で、マスターは許してくれても厨房には文句を言われそうだし、少し前のことがあるからきっともう心配してる。
私の事を大切に想い、私の身に起きる事をなんでも把握していたい人がまだ居るんだ。
私が毎日たくさん食べてたくさん寝て、にこにこ生きているだけで幸せを感じてくれる人。
おはようからおやすみまで、挨拶するだけで元気になってくれる人。
私の痛みを自分の痛みに変えてしまう人。
私の帰りを、待っていてくれる人。
だから怒ってたのか。
言わないから、悲しんでいたのか。
分からないから、怖かったのか。
分かってしまえば、なんて他愛ない。
ちゃんと謝ろう。
今日言えなかったことと、今まで言えなかったこと。
携帯電話をなくしたことも、それが何故かも、今どこで何をしていたのか、どうしてすぐ連絡しなかったのか、聞かれる前にちゃんと言おう。
心配するから言えなかった、平気なフリをしていたかったってちゃんと言おう。
だからごめんなさいって、見守ってくれてありがとうって、ちゃんと言おう。
困った、助けてって、ちゃんと言おう。
きっと、そうして良い人。
帰るのならば迎えに来てもらった方が良い、おじいさんやお母さんに頼んで、大人から言い訳をしてもらったほうがその後の流れがスムーズだと悪友に悪知恵を吹き込まれて、電話を借りた。
「はい、ソレイユ」
「アンナです。お迎えを頼みたいんだけど、誰か出れる人いませんか?」
電話に出たのは、エルメスだった。
「アンナ?」
「……アンナ」
疑問形で返されて、ため息をつかれた。
「忙しいよね、ごめんなさい。でも、色々事情があって……」
「今どこに居るの?安全な所?」
「高木医院、分かる?」
「分かった。すぐに行くから、絶対に動かないで待ってて」
声は優しかった。
外はもう薄暗く街灯の灯りだけでは寂しいだろうと、もう受付は終わっているのに、おじいさんが駐車場にまで灯りを点けて看板も煌々と照らしてくれたので、門の外まで出て待った。
高木医院と言っただけでエルメスが分かったくらいだから、きっと地元民には分かり易い場所なのだろうけれど、これだけ派手に照らしておけば、誰が来たって大丈夫だ。
帰ってからも、きっと大丈夫。
お腹が空いたと言ったら、何よりヴィヴィはそれを満たす事を最優先してくれるだろうし、反抗期と思春期の心は未だにそうなルイが分かってくれる。
マスターはとりあえず全部話を聞いてくれるし、どこかが取り乱してもエルメスが正してくれる。
リュウが怒ったとしてもティファニーさんが泣いたとしても、受け入れる準備は出来ている。
伝え方の練習もした。
お説教だって、聞いて学ばなきゃ。
もしもぶつかり合ってヒビが入ってしまっても、今度はそれを愚痴りにここに来れば良い。
夏の匂いがする夜なのに、私の気分は晴れていて、体は軽く、耳も聞こえが良くなった気がした。
車の音で聞き分けられる。
足音で分かる。
期待を込めて、耳をすませる。
それは、驚くほど早かった。
呼ばれたような気がして顔を上げた。
再び動こうとし始めた胸を、いきなり跳ね上げるような声が私を呼び、しっかりと耳に届いた。
むしろ、そうであってほしいと望んでいたからこそ探し出せた。
私のお迎えと言ったら、浮かんでくるのはやっぱり『彼』だった。
「アンナ‼︎」
車の行き交う大通りの向こうに、肩で息をするその人は私を見つけ、安心したような困ったような、疲れ切ってなんとも言えない複雑な顔をしていた。
「リュウ」
名前を呼んだら、聞こえたのか少し笑った。
大きく手を振ると、額から伝う汗を手の甲でぐいっと拭い、疲れたような呆れたような、見てるこっちが不安になりそうな、なんだか不思議な顔をした。
私は、身体がうずいて歩道に駆け出した。
左右を見回し、一番近い横断歩道と歩道橋を見比べて、若干遠いが歩道橋の方が安全だろうと考え「あっちへ」と指差しながら、もう一度視線を戻す。
目を離したのはほんの一瞬、その瞬間だけだった。
それなのに、在ろう事かその一瞬の内にリュウはガードレールを飛び越えていた。
「ダメだよ!やめて‼︎」
騒音の中でも、リュウの耳にも届くであろう大きな声で、私は止めた。
片側一部三車線、この辺りでも一番大きな通りで、帰宅ラッシュと重なったこの時間、車は絶えない。
誰がどう見たって、車が途切れているタイミングでは無かった。
そんな中に、私しか見ていない馬鹿野郎は飛び出して来て、
クラクションと急ブレーキの音、
そして大きなトラックに紛れて見えなくなった。
時が止まった。
止まったかと思った。
止まって欲しかった。
破裂しそうな程騒ぐ心臓の音だけ切り離したように、全てがスローモーションで流れて行く。
襲いかかる酷い騒めきに、目も耳も効かなくなって、色も音も無い世界がやってくる。
一歩踏み出した足はそのまま宙に浮き、行きたい方向と反対側に強く引かれて、目の前には人の壁が出来た。
力の限り暴れても、私を傷付けない約束をしたばかりの二人は、私を離してくれなかった。
嫌、離して。
私行かなきゃいけない。
彼、耳が悪いの。
目で見て得る情報がとても大事なのに、今ちゃんと見てなかった。
いつも自分では「そんなに急がんでええよ」って言うくせに。
ちょっと走るだけで危ないって困って、一緒に歩くときは置いて行かないように手を繋ぐか、先に歩かせるかしないと不安になるくらい、臆病で心配性なのに。
人より色々鈍くて、ただでさえドジでちょっと抜けてるし、ハイヒールを履いた私に負けるくらい足も遅くて、いつも守るふりして守ってもらってるくせに。
私の言う事なんかひとつも聞かないの。
でも、いなくなっては困る人が居るの。
だから、力尽くでも止めなきゃいけないの。
本当はとっても良い人なの。
みんな大好きなの。
だから行かせて。
私に行かせて。
代わりに




