You’re got a friend
名前を、呼ばれた。
現実に引き戻された体は重く、そこら中痛くて苦しくて、寒かった。
泣きたいのはこっちなのに、頭の上でびしょ濡れのハルキとユウキが泣いていて、仕方なく私は我慢した。
「金魚、死んじゃう」
肺呼吸のくせに陸でむせ返って窒息しかけている私がいるのだから、エラで呼吸できる魚にだって、合わない水がある。
強すぎる塩素の中で、苦しみもがく金魚を想像していた。
マスターの部屋で読んだ、金魚の飼い方の本にそう書いてあった。
私は本気で心配したのに、二人は呆れて「嘘だよ」と教えてくれた。
酷い嘘だと文句を言っても二人はそれ以上私を傷つけなかったし、それどころか謝ってくれたので、私も素直に許し、謝れた。
濡れたせいか泣いたせいか、なんだかよく分からない液体でぐしゃぐしゃな二人の顔はとてもじゃないが不細工で滑稽で、水嫌いなのに全身ずぶ濡れの私はもっと酷いんじゃないかと思ったら、笑けてきてしまった。
結局三人で、泣きながらゲラゲラ笑った。
安心して「ああ、よかった」と呟けば、二人も同じく返してくれた。
久しぶりに、ほっと、一息つけた。
その分を埋めるように、肺いっぱいに空気が入った。
放課後、ハルキが下駄箱を開けると、そこには見覚えの無い可愛らしい字を書く『友喜さん』からのお手紙が入っていた。
名前の漢字は同じだし、内容が物騒だったので手近な『友喜』を叱ってはみたが、もちろん「違う」と怒られた。
そもそもユウキは、魚になりたくてスイミングを始めたくらい、魚が大好きだった。
だから心配になってプールに来てみたら、放たれていたのは私。
そこからの二人の動きはとても高校生とは思えない程俊敏で勇敢なもので、届くべき所に届いたら表彰されるくらいの活躍だった。
私はよくわからないし、残念ながら目撃者も居ないが、ユウキが言うにはそうだった。
あと一歩で救急車を呼ばれるところだった。
それをしないでくれただけで君たちは勇者だと褒め称えたら、二人は似たような苦い顔で一応は納得し「ただし、連れて帰る」と声を揃えて言った。
二人のご両親は共にお医者さんだ。
案内された「高木医院」はシンプルな古びた看板とは反して、施設としてはなかなか立派な建物だった。
地域密着型の、外科・内科・小児科どんと来いな家族経営クリニック。
聞けばひいおじいさんよりも前から代々お医者さんの家系らしい。
びしょ濡れで、べそをかきっぱなしの孫に両脇を抱えられて来た私はさぞ重症に見えたのか、すぐに処置室に通してベッドをひとつ貸してくれた。
大騒ぎをする割に双子はなんともない事を知って、早々につまみ出されてしまったが、診療の間をぬってお母さんとおじいさんが代わる代わるすっ飛んで来て体をあちこち調べ、今日ついたわけでもない傷まで診てくれた。
「良く頑張ったね。本当に良く頑張った」
一応大丈夫、という曖昧なOKを貰い、今後の注意事項をしっかり聞いて、やっと二人と対面出来た時、お母さんは三人まとめて褒め、はじから頭を撫でてくれた。
「かっこよかったね」
そう言われたハルキとユウキは、すごく可愛い顔をした。
神様からの試練に耐えていたのは、私だけでは無い。
私だけが、特別不幸だったわけじゃない。
ユウキに至っては、入学当初から我慢と葛藤の毎日だった。
優等生の中の一番の優等生が妬み嫉みの対象になる事を、私なんかよりもずっと知っているユウキは、笑顔の真ん中で笑顔を作り、これまで一人で戦っていた。
一番であり続ける事がユウキの誇りで、唯一の居場所だった。
それを蹴落とした人間が現れた時は心底怨み、口にも出した。
それが憧れの女の子だとすぐに分かっても、何度弁解をはかっても、一度口から出た言葉は戻らなかった。
その輪の外れ方をユウキは知らなかった。
足掻いた結果の謹慎処分。
取り巻く全ての人間を拒絶し、差し出された手を振り解く事でしか、逃げ出す術を見つけられなかった。
「アンナさえいなければ」
「アンナに関わるな」
「アンナは悪い人」
ユウキを想う人のそんな助言を、力一杯拒絶した結果だった。
同じクラスの女の子を突き飛ばし、厳しい言葉で咎めた。
目撃した教師が止めに入ったほど激しかった、覆らない事実。
処分を受け、優等生から最初に転落したユウキは、それを気に病んで私と距離を取っていた。
完全に悪いのは自分で、信用を落とし、敵を増やした事を一人反省していた。
特に付き合いの浅い私に対して、巻き込んではいけない、嫌われたくないと、向き合う事を恐れてそんな心配ばかりし、日々独りぼっちで寂しい生活を送っていた。
そんなユウキの話を聞いて、私は心を痛めた。
守りたいと思った人が、知らない所で傷付いていた。
それは、とても苦しく、悔しい事だった。
ハルキにも直接的なものでは無く精神的な嫌がらせがあったようなのだが、本人はそれをユウキに言われて今知ってしまったくらい鈍感だったので、同じクラスに居ながら気付けなかった私は少し安心した。
そもそも元から無視や仲間外れを気にするタイプじゃない。
浮いているのは仕方ないし、悪い噂が流れようと、黒い影が立とうと、自分がどんな立場にされようと、我が道を突き進む事に定評のある彼には関係の無い事だ。
かごめかごめの輪になんか、彼だけは最初から入っていなかった。
それなのに私はそれに気付いてもいなかったし、疑ってさえいた事を恥じた。
「アンナは何も言わなかった」
アンナの役に立ちたいからアンナの言う事ならなんでも聞く。
それ以外の、棘のある言葉や自分を嫌う人の想いなど、いちいち汲んでいられない。
ただ毎日学校へ来て顔を合わせ、それが貼り付けた笑顔だとしても笑って毎日過ごしていたので、求められた時に応えられるように、いつでも準備をしていた。
それがハルキの言い分だった。
そうは言っても、ユウキはすっかり変わってしまって張り合いも面白みも無く、ずっと待っていたのにアンナは自分に何も求めてくれなかった。
辛くなかったわけじゃない。
自分は自分のなりたい自分で居て、好きな事を一生懸命したいだけなのに、どこか物足りなくてつまらなかった。
関係が悪くなって行っている事には気付いていた。
けれども、これまで唯我を独尊しすぎて、他人との友好関係の保ち方がいまいちわからなかった。
だから求めてくれるまで、ただ毎日、ただ一人変わらずに待ってくれていた。
「てか、そんなお手本みたいなイジメ、ハルキは同じ教室にいて見てただけ?」
「アンナは努めて嫌とは言わないし、何を好むかは個人の自由だ。机に菊の花が置かれたって『貰っていいのかな?』って喜んでたし、教科書無くなっても丸暗記してるとか言ってルーズリーフに自作しちゃうような子だよ。そこまでして自力で対処するんだ。僕の出る幕なんか無かったよ」
「一組は馬鹿しか居ないの?」
「それが問題だったなら先生は全部知ってる。大人は勝手に動くでしょ。ニコニコしてるアンナのことみんな引いてたけど、女の子が壁になってるより見やすくて僕は良かったよ。花をプレゼントしてくれた人も、机やロッカーを弄ってた人も、後で聞かれたら教えてあげようと思って顔と名前ちゃんと覚えてるから、気になったら聞いて」
「それ、聞かなきゃ教えてくんないの?」
「興味がないなら、別に知らなくても良いかなって思うよ。敵なのかファンなのか、その区別は僕に出来ないから、アンナに聞かれた時のために代わりに記録してるだけ」
「まず止めろ、せめて理由を聞け。たまには動け」
「他勢に無勢。闇雲に攻撃しても反撃されたら痛い目見るのはアンナなんだよ。ユウキは役に立たないし、アンナは好機を狙っていたのかもしれない。その手の内も明かされない内から余計なことしたら、僕がアンナに嫌われる」
「そうやって隠れてたんだろ」
「反撃が一斉に僕に向くなら怖くないさ。保証が無いからしなかったんだ。アンナの敵は僕の敵だよ。何もできなくても盾にはなれる。命の危機に瀕した時は喜んでこの身を差し出すよ。今度こそね」
「わあ、カッコイイ。むかむかする。そういうのは盾になってから言えって」
「しなくていいよ。いのちだいじに。そんな事して何かあったら、自責の念で私は私じゃ無くなっちゃうわ」
「僕にこの覚悟をさせたのは君なんだけどね。人にされたら嫌な事は、自分だってしちゃいけないんだよ」
溜め込んでいたものを、それぞれ全部吐き出した。
吐き出して、繋ぎ合って、やっと分かち合う事が出来た。
目と目で通じ合える程の仲には、私達はまだまだ遠い。
人の心なんて誰にも読めない。
ちゃんと言わなきゃ伝わらない。
伝わらないと知り合えもしない。
これからは、ちゃんと分かり合えるように、毎日たくさんお喋りしよう。
伝え方が分からないままだと、いざ何か言いたい時にこんがらがってしまうから。
伝わるまで、方法を変えて、言葉を変えて、伝え合おう。
大切な人が、知らないところで泣いているのは悲しいし、助けになれないのは悔しい。
それはお互いに思っていた事。
言わないまま離れると、亀裂も誤解も生まれて、戻りたくても戻れなくなる。
想像が真実になり、幻想が違う誰かを作り出す。
なんでも言えて、なんでも知っていて、なんでもわかってくれて、いつもそこに居るのが当たり前で心地良い、そういう仲になれたら良いね。
一緒に笑って、一緒に泣いて、喧嘩だってたくさんしよう。
そうやって、一緒に大人になろう。
親友って呼んでも、良いよね。
「ずっと一緒だよ」
三人で指切りをした。
あっちだこっちだそうじゃない、痛い痛いと騒ぎあい、絡まり合った小指は、不恰好だけれど愛おしく、その固さと熱さと、微かな痛みに喜びを感じる。
人はそれぞれ違って当たり前。
だからこそ互いにその違いを認め合わないといけない。
そんな中で「同じ」を見つけて積み重ねられたら、きっともっと仲良くなれるね。




