Spring is here
初恋は、実らない。
何故ならば、人は初めてその感情と対峙した時、快楽に舞い上がって気を狂わす。
幼すぎるその想いは不器用で未熟で、そこから生まれた愛さえも守り切れずに壊してしまい、時には伝える術も分からないまま、心の片隅で遠い日の思い出と化してしまう事もあるだろう。
初めては誰にでもある事で、それが上手くいかない事も、当然と言えば当然だ。
手にしただけで満足し、そこにある事が当たり前になってしまったら、もうそれは特別なものではない。
大好きなぬいぐるみを抱えていたって、テレビに映るきらきらしたプラスティックは魅力的なものだ。
だから、人はまた恋をする。
でも確かに初めて触れたその時は、緊張ではない胸の高鳴りを感じ、甘酸っぱくて淡いその想いが胸に満ちるだけでその日は一日中幸せでいられるくらいに、明るい気持ちで居られるものだ。
寒い冬の街角に、すみれの花を見つけたようなそんな気付きに、心を躍らせていたはずなのだ。
友喜ちゃんを初めて見た時に感じた既視感と違和感の正体を突き止めて、私の中に生まれた不思議な感情は、この時すっきりと消え去った。
見ても気付けないほど捨ててしまう直前になって、ちゃんと思い出す事が出来た。
それもついこの間、思い出したばかりだった。
「もう大丈夫だね」
「うん」
「ごめん。男の子だと思ってた」
「うん」
返す言葉は短いが、友喜ちゃんは嬉しそうだった。
友喜ちゃんの提案で、中庭に出て三人で一緒にランチをする事になった。
悠生君は再び購買に走り、その間に友喜ちゃんは顔を洗って私とベンチを確保し、麗らかな春の昼下がりに、二人でさっき悠生君にもらったクッキーを分け合った。
友喜ちゃんはぴったりと私にくっついて隙あらば腕を絡め、悠生君はフルーツサンドとミルクティーを追加で私に捧げた。
入学当初の私にこの未来を教えてあげたら、きっと発狂するに違いない。
天にも昇る心地だったろう。
あの頃の、まだピュアな私ならば。
今、友喜ちゃんに対して抱いていたあの胸の高鳴りが恋でなく、悠生君に対しても親近感と勝手な想像が生み出した錯覚だったと気付いてしまったら、もういちいちきゃーきゃーもわくわくもどきどきもしないのが私である。
一度通り過ぎてしまった事には、すぐ慣れてしまう。
早く大人になりたいと願ったばかりに、大きく構えることを良しとしすぎて何事にも動じなくなってしまった。
本当に可愛げが無いと思う。
二人は日付まで覚えていた去年の秋口。
塾へ向かう途中の悲惨な事件だった。
うっかりが多い悠生君は、財布や携帯電話を鞄ごとどこかに置き忘れる事が多かった為に、友喜ちゃんのアドバイスで鞄を腰ベルトにチェーンで繋ぐという荒業を取っていた。
まさにその二日前に自分の鞄を無くしていて、家にあった手頃なサイズの入れ物を無断で拝借したので、念には念をいれた結果が仇となってしまった。
カラーギャングによる、通り魔事件。
気付いた時にはもう地面の上。
ついさっきまで隣で笑っていたはずの人が、ちょっと目を離した次の瞬間に、目の前をバイクで引き摺られて行く。
悍ましい光景だった。
恐怖に震え、声も出ず、追いかける事が出来たのは誰かが声を上げてくれた後だった。
死んだと思った。
ぐったりと地面に転がる体を見た時。
勢い良くアスファルトに打ち付けられた時。
そんな時に「大丈夫だよ」と、はっきりと言い切った人が居たのだ。
その人は自分も怪我をしているのに「ぼくたち」の心配をしてくれた。
当事者である「ぼくたち」にも出来なかった、はじめの一歩を迷うことなく踏み出して、助けてくださいと声をあげ、そして手を差し伸べて寄り添い、穏やかに笑ってくれた。
不思議と心が落ち着いて、大丈夫なんだと安心した頃、
確かにいた筈なのに〝その人〟はふわりと何処かに消えてしまった。
絶対に存在した筈なのに、誰も信じてくれなかった。
恐れもせず、怯みもせず、自分よりずっと大きなものに立ち向かった人。
冷静且つ的確に指示を出し、その場を正しく導いてくれた人。
まるでヒーロー。
それからというもの、足がすくもうと、嫌な記憶がよぎろうと、毎日あの道を通って歩き、時に待った。
そこだけが、唯一の接点だった。
どうしても、また会いたかった。
会って、お礼がしたかった。
ギターケースが強く印象に残っていた被害者の兄は、ライブハウスに通いつめた。
外見だけでもいきがってみせろと口うるさい妹に言われて、退院早々髪を染めてピアスを開けた。
人の印象に残りやすくなってどんどん知り合いが増え、便利だった。
あの時、視界を奪い、死角を生み、ただ邪魔だったメガネはコンタクトに変えた。
新しく見えた世界は広く、新鮮だった。
男の子みたいだった妹は髪を伸ばし、スカートを履いてメイクを覚えた。
一人称は「ぼく」であり、スカートなんて幼稚園の制服から泣いて拒否していたのに、女の子でいる事を誇らしく思えるようになった。
いつだって、強くて格好いい人になりたかった。
のんびり屋で自分の世界にばかり浸り、いつもぼんやりしている兄を守れる人でありたかった。
でも実際にそれをやって見せてくれたのは、ヒールにばっちりメイクの、髪の長い女の子だった。
どうしてそれが『アンナちゃん』なのか。
そんなのは簡単である。
ソレイユに居た人間をいくら黙らせた所で、私はこの街の中ではすっかり「ソレイユのティファニーさんのアンナちゃん」なのだ。
あの場にいた関係者全員が知らん顔をした所で、特徴をあげて、点と点を結んでいけば、名前があがってしまうのもおかしくない。
それが今日、繋がった。
今日まで繋がらなかったのは、二人が私と同じ十五歳であったこともあるし、私の事情を知っているソレイユやティファニーさんが口止めに動いていた可能性も否めない。
ただ確かなのは、二人が今までの自分を突き放してでも「会いたい」と願った『アンナちゃん』は、間違いなく私だった。
二人に送ってもらってソレイユに帰り、今日一日の楽しい話を待ってにこやかに迎えてくれたマスターに、新しい友達が出来た事を報告した。
「でもね、同時に恋が終わっちゃったの」
良かったねと言いたかったマスターは、目を丸くして言葉選びに困っていた。
次の日には、早速悠生君は軽音部を辞め、友喜ちゃんはスカートもメイクもやめて、数日後にはロングヘアもやめていた。
いきなり過ぎて周囲は啞然としていたが、二人にとってそれはあるべき形に戻っただけで、決して不自然なことでも悲しいことでも無く、むしろ夢がひとつ叶って新しく生まれ変われた事を喜んでいた。
悠生君は元来あの大きなシンセサイザーやパソコンを駆使し、自分で作詞作曲までしてしまう程に音楽に精通している人だった。
音楽好きな叔父さんの影響で、生まれた時から自宅には存分に音楽が出来る環境が整っていたらしい。
軽音部に入ったのはライブハウスに出入りしやすく、知り合いを増やしアンナの情報を集めやすくするのが目的だったので、目的を達成した今、本人にとっては魅力を感じなくなったという理由で辞めてしまったが、部長をはじめ部員達からは相当残念がられたようだ。
「悠生君ってすごいんだね。私、人の真似しか出来ないから憧れちゃう」
「僕が出来る事ってだいたい友喜も出来るんだよ。友喜が出来ない事やろうと思って、自分で考えて創り出して、突き詰めて来れたのが音楽だった。それだけだよ」
「意外と負けず嫌いなんだね」
「友喜に対してだけはね。だからアンナちゃんの事も、本当は友喜より先に仲良くなりたかった。部活の見学来てたし、暇な時机弾いてるし、音楽やる人なのは知ってたから興味もあったよ。アンナちゃんの事、僕は顔を殆ど覚えて無かったから不利だったけど、声は覚えていたから薄々は感づいてたのかな。また助けてもらって、殆ど確信に変わってからは、毎日どうやって近付こうかそればっかり考えてた」
「私の声って特徴的?」
「うん。すごく綺麗。たまに歌ってるし、鼻歌さえ上手なんだもん。僕はこんなだから歌える人は尊敬する」
「ちょっと待って、私そんなに歌ってる?」
「頻繁に。曲のチョイスが古いけどお洒落だよね」
「無意識だった」
「僕は好きだよ」
放課後の昇降口で友喜ちゃんを待つ間、そんな話をした。
人に苦手とされる、悠生君の小さくて早口な喋り方。
それをしっかりと聞き取れる耳を持っていて本当に良かった。
悠生君は、本当に良い子だった。
気になっていた子と仲良くなれた。
クラスでも注目される女の子になれた。
大人も認める優等生になれた。
自分でお金を稼ぐ事が出来るようになった。
私の為にと動いてくれる人がいて、誰かの為にと動ける私になった。
目まぐるしく毎日が過ぎていく。
なんて充実した高校生活だろう。
本の中でしか存在しないと思っていた夢物語みたい。
けれども不思議な事に、不思議というか不気味な程に、こんな夢みたいな瞬間も私の心はピクリとも動かず、嬉しいはずなのにどこか冷めていた。
私は本当に可愛くない。
もっと幸せに貪欲であったって良いじゃ無いか。
『アンナ』は、私の理想を兼ね備え、何でも叶えてくれる奇跡の女の子。
アンナが幸せでいてくれたら私も満たされる。
そう思っていたのに、アンナばかりが幸せになっていく事に、私の中の何かが決壊した。
辛うじて『私』と『アンナ』を分けていた境界線が消え始めていた。
藤原友喜は、いずれこの学校のトップに立つ事だって叶うような人気者。
藤原悠生は、すでに自分の生きていく道を見つけ出して歩き始めている才能の持ち主。
そんな二人が頭を垂れて、そんな二人を侍らせて歩く『アンナ』は、たちまち学校の中でも注目の的となった。
根も葉もない噂が、尾鰭どころか足まで生えて勝手に一人歩きする。
人は皆、きらきらしたものが大好きなのだ。
きらきらに憧れて、きらきらに触れたくて、その光が届くところに人は集まり、さも自分もその内の一部になれたと酔いたがる。
夢を見に来る。
「ねえ、どうしてアンナなの?」
「靴に名前が。本当はマリアンナなの」
最もらしく嘯いて、私は自分で自分を騙す。
自分を殺して、自分を作る。
アンナは傷ついたって大丈夫。
強くて優しくてかっこいい、スーパーヒーローだから、どんな悪にも決して屈せず、どんな困難にも立ち向かい、何にも負けたりしない。
誰しも人生に三回は訪れるというモテ期の第二回目を迎えた『アンナ』を、『私』は他人事のように傍観する。
塗り固めたロウの翼が光の熱に溶けて落ちても、『私』は痛くないように、鍵をかけて閉じ込めて、隠して守る。
心と体を切り離し、表面上の良い子を作る。
仮面をつけている事さえも気付かせない程に、上手に魅せる。
つけている自分さえ騙してしまう。
大丈夫、平気なフリは一番得意。
私そうやって生きてきたから。
みんな、アンナちゃんが、大好き。




