For get me not
ティファニーさんの「買い物」は豪快だ。
出発前にマスターから先に忠告されていて心の準備が出来ていたから良かったものの、そうで無かったら早々に応援を頼んでいた事だろう。
本当によく歩いて、荷物が次々増えていく。
目に付き、良いと思うとすぐに買ってしまう。
私が「可愛い」などと言おうものならそれも買いそうになる。
むしろ確実に自分の物では無い物もいくつか購入していた。
一応私についていく体だったので、初めこそ私を優先してくれたものの、少し目を離すとふらふらとどこかへ行って店を物色したり、店員に挨拶したり、時には試食をおねだりしたりし出すので目が離せない。
かと思えば、私が何気なくそこらに置いてある靴を手に取ると履いてみろと言い、履いてみたら歩いて見せろと言って熱心に私の靴を選び、ティファニーさんが行きたいと言った下着屋さんでは、私まで試着室に放り込まれた。
私より背も高く、脚も長いので歩く速度が尋常じゃない。
故にちびの私は常に小走りで追い掛ける始末。
まるで彼女の為の一日だ。
街の中で、ティファニーさんは有名人だった。
すれ違い様に振り返って見て行くような人にも挨拶をしてしまう人懐こさのせいかもしれないが、彼方此方で「ティファニーさん」と呼ばれ、ごきげんよう、こんにちは、お元気ですかと声を掛けられてはそれに笑顔で答えていた。
隣に並ぶ私にも同じ様に、皆「こんにちは」と頭を下げては「良い一日を」と送り出される。
「いいお天気で良かったね」
「また寄ってね」
「いつでもおいでね」
私を知らない筈の人達が、私がティファニーさんの連れだというだけで優しくて、ティファニーさんも満足そうに私を見せびらかして歩いた。
日も暮れ始めた夕食どき、お腹が空いたと言うティファニーさんがお寿司屋さんへ連れて行ってくれたのだが、そこでも普段一人で来ては寿司を食べずに酒を煽っていくティファニーさんが食事をしに来たと店の大将は驚いて、二人分とは思えない量の「おまかせ」を出してくれた。
ティファニーさんが女の子を連れて歩くのは大変珍しい事らしく、今日行った他の店でも同じ様な反応を何度も見た。
今日は私だけで無く、ティファニーさんにも、いつもとは違う一日になっているようだった。
お腹はぱんぱん、食べ切れない分はお土産に持たされて、ここでも優しく送り出されて二人で帰路につく。
大荷物と、先程冷酒を一人で六合も飲んだので、ティファニーさんの足取りもだいぶゆっくりになっていた。
「アンナ」
「はい」
呼ばれたから返事をしただけなのに、ティファニーさんはにこにこ笑う。
そして用も無いのに、何度もそれを繰り返して歩いた。
駅前の小さなタバコ屋さんの前を通りかかった時、店の前を掃除していた小さなおばあさんにご挨拶をした。
「あらあら、今日は随分おめかししてどこ行って来たの?」
「可愛いでしょう、娘とデートして来たの」
「まあ、素敵。良かったねえ、良い子ねえ」
おばあさんは曲がった腰を跳ねる様に伸ばし、嬉しそうな声をあげると、タバコ屋だから売れる様な物は何も無いのよなんて言いつつポケットを弄り、みかんと飴を出して私に持たせてくれた。
お喋り好きなおばあさんとティファニーさんは、そのままそこで立ち話を始めてしまったので、私は街の音に耳を澄ませた。
一日、私だけの休日では無かったのに、とても満たされていた。
ついて回るのは大変だったけれど、よく知っている筈だった街が、今日は目に入るもの、向かう場所、耳に入る音や人の流れさえも、なんだか違って見えた。
今まで頑張って探したって見つからなかった“私がときめく物”が、今日はいとも簡単に見つかって、豪快なティファニーさんにつられてついつい色々と買ってしまった。
一人で見渡せば、よく見知った私の街だ。
けれども平日の夜に、こうして何も警戒する事なく無防備で居られるのは、守ってくれる大人がそばに居るからだ。
本当は、ごく普通の良い子でいる事は、言うほど苦じゃ無い。
誰にも咎められないことは、そこが正解で安全だからだ。
でもそのはずなのに、そうあらねばと思うばかりに、いつも何かに責められて、何かから逃げていた。
誰からも咎められずにいるために、いつからか、誰の目にも止まらない人になろうとしていた。
出ても引いてもいけない。
誰の敵にもならないようにしたかったのに、気付けば味方がどこにもいなかった。
常に気を張っていて、息が詰まり、休まる場所がどこにも無い。
だからきっと私は、羽を伸ばすという名目をつけて、わざわざ反抗してきたのかな。
そんな当たり前のようなこれまでを振り返り、気付き、特別な今日がまた更に愛おしくなる。
一緒に過ごして出歩くだけで、好きなものを沢山知れた。
お礼だけ、それだけきちんと伝えたら、もう来ないつもりだった。
会う事も無く、探される事も無く、そのまま思い出にする筈だった。
私という存在が誰かの中に出来てしまうと、私はまた私を作る。
望まれる通りの誰かになろうとする。
だからまた自分を隠す場所を探して、なるべく距離をとっておきたかった。
それがどうした。
私ときたら。
大通りの向こうに気持ちが向く。
柔らかいギターの音色に乗って、今日は大きな声で生き生きと歌っている。
少し懐かしいポップスで、ラブソングだった。
「レオン」
可哀想なあだ名をつけてしまった。
「お迎え呼ぶ?」
いつの間にか世間話をやめたティファニーさんが後ろから声をかけてきたので、私の思考回路が戻され、作り始めた『アンナ』が戻ってきた。
「お迎えなら、もう来てます」
「あら、呼んだの。ありがとう」
その様子では、ティファニーさんは呼んでいないようだった。
呼ばなくても来るのか、ここを通るだろうと見越してああして暇を潰していたのか、しかし人を待つつもりならば、もっと人通りの見やすい所にいれば良いのに、また木の壁の向こう側の死角に居る。
私が声の元から視線を戻すと、ティファニーさんは辺りを見回して、通り過ぎる車や行き交う人の頭の上を探していた。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「どこ?」
「ここからでは見えませんけど……いきましょうか」
私が声をかけると、ティファニーさんは一瞬不思議そうな顔をして、私に着いて歩き出した。
大通りの交差点を渡り、駅へ向かって歩いて行くと、次第に歌声がはっきりと聞こえて来る。
ざわめきや手拍子もちらちら聞こえて、二人で壁を回ってその姿を認める事が出来たのは、ちょうど歌い切って拍手が上がった時だった。
「あんた何してんの?」
何人ものギャラリーの真ん中で照れながら頭を下げている『彼』に、ティファニーさんのよく通る声が刺さるように投げられ、彼もこちらに気付いた。
目が合った。
次の瞬間、あろう事か彼は、持っていたギターをその場に置き去りにして、一目散に逃げ出した。
「えっ」
私が乱暴に捨て置かれたギターに気を取られた一瞬のうちに、隣に居たはずのティファニーさんまでもが消えていた。
風のように、身軽になって、追いかけて行った。
残されたのは、大量の買い物袋と私と真っ白いギター。
そしてそれを囲むように、歌を聴きに来たはずの人達が目的を失って立ち尽くしていた。
見るものが無くなって、皆私を見ていった。
ずるい。
ひどい。
私も多数に行きたかった。
遠くの方で叫び声が聞こえたので、あっけなく『彼』は捕まったようだった。
それから間も無く、私が置き去りにされた買い物袋とギターを回収して、ベンチに残された酒盛りの跡をどうしたら良いものかと四苦八苦している所に、呼んでも無いのにマスターが駆けつけた。
マスターは帰りの心配をして出て来た所だと言い、駆けて行く二人の姿は目撃したらしいので事の顛末を話すと、本当に申し訳無さそうな顔をして荷物を半分以上持ってくれた。
「せっかくですから、続きは店で聴きましょう。ここよりもっと良く聴けます。私もご一緒したい」
マスターは、なんだかわくわくしているように見えた。
「あの、お二人は?」
「〝おまわりさん〟に任せました」
不意に飛び出た言葉の並びに、ついぎょっとしてしまった。
「ご安心ください。私の古い友人で、ついそこで会ったんですが、なにせ走って逃げて行く人は追いかけてしまう性分でして。うちの子はみんなお世話になっているし、『リュウ』もティファニーも彼の前では大人しくなるので任せてみましょう」
おまわりさんにお世話になっている?
ふと疑問が浮かんだが口には出さないでみる。
「大丈夫。二人とも良い子です」
やっぱりマスターは、聞いてもいないのに返事をした。
きっとこの荷物や帰宅時間さえ見越して、応援まで引き連れて出て来たんじゃ無いかと思った。
だって、なんでもお見通しなんだもの。
『リュウ』
私は、会話の中に自然と紛れ込んだ、「彼」の名前を聞き逃さなかった。
「そう。うちではね、みんなそう呼ぶんです」
マスターは全てを知っている顔で、意味深長な言葉をかけ、また笑った。
私が彼の名を知らない事を知っていて、彼にはそれ以外の名前がある事を教えて来る。
店に向かって歩いていると、見覚えのある二人が真ん中におじさんを挟んで同じ方向へ向かっている所に追いついた。
両脇でそれぞれ文句を言い合っている間で、話を聞いていないおじさんが的外れな相槌でなだめている。
私達が追い付いたのに気付いたのか、しばらくするとおじさんだけが歩幅を小さくしてこちらに合流し、二人はそのまま大股で歩いて行った。
「解決したかい?」
横まで並んだところで、マスターが声をかけた。
「さあな。俺には分かんねえや。なあ」
同意を求められ、つい頷いてしまったら、がははと大きな声で笑われた。
彼が噂のおまわりさん『近藤さん』である。
近藤さんは、目に妙な気の強さを感じる、なんとも見覚えのあるおじさんだった。(そして今日は、柄シャツに柄パンツを合わせるハイセンスな格好をしていた。)
しばらくじっと見つめて来たので張り合うように見つめ返すと、目尻にくしゃっとシワを寄せ、小さな声で「今日は機嫌が良さそうだ」と囁いた。
この人、私を覚えてる。
やっぱり彼は、あの日私を見つけていた。
あの、ちぐはぐなおじさんだ。
横断歩道の向こう側で、間違いなく「私」を見ていた。
職業柄か、人の素振りや顔をよく観察しているのだろうか。
あの日あの時、焦点の合わない目でふらつきながら青い顔をしている私に気付いて居たのだ。
そして、〝要注意〟のレッテルを貼った。
世間は狭い。
なんて恐ろしい。
マスターは隣に居たので聞こえただろうに内緒話には触れず、近藤さんは街の中をふらふらして居ることが多いので、気軽に声をかけるよう勧めてきたが、出来たら知り合いたくは無かった。
前を歩く二人は小声でまだ文句を言い合いながらも、行き先が決まっているので少しずつ離れて行き、私はその様子を紳士二人に挟まれながら眺めていた。
歩幅どころか足音まで揃う。
互いに互いをよく知っている。
癖や本質、所々がよく似ている。
今日のたった数時間で分かった事と、更けていく夜が休日の終わりを急かし感傷的な気分になる。
悲しいくらいはっきりと、胸の奥が痛くなる。
「ティファニー」
不意にマスターがその足を止めさせた。
「着いたらそのまま音楽室に上げておくれ」
間延びした軽い返事をしながらゆっくりと振り返ったティファニーさんは、一度私をちらりと見てから悲鳴をあげて困った顔をし、何故かリュウを叩いた。
私の存在を忘れていたのだろう。
なにせ二人とも酔っ払いなのである。
ワンテンポ遅れて振り返ったリュウはまんまとその平手を頬で受けて、よろめいていた。
足を止め、振り向きざまによろめいたら、当然進み続けていた私達との距離が近くなる。
「中途半端になってしまって物足りないだろう。邪魔はしないから聞かせておくれ」
ちょうど落ち合えたところで、マスターは自分の希望のように言葉を並べてはいたが、私の肩を抱いて、まるで私達二人の意見であるかのようにリュウに伝えた。
リュウの目は、相変わらず大きく見開いてマスターと私を順に眺め、それぞれの顔をぐるりと見渡してから、何も言わず、ただ物凄く嫌そうに「えぇ……」と呟いた。
それをしっかり見てから、事後報告で私に「ね」と同意を求めるので、私もつい頷いてしまった。
全て思い通りにできるのは、お姫様だけでは無い。
マスター、恐ろしい人。




