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ANNA  作者: 神崎 銀
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Tea for two


 数日の間を置いて、私は再び街へ出た。

 髪を巻き、珍しくきちんとした服を着て、目的を持ってやって来ていた。


 あの日マスターに頂いたお土産の中身は、型に入ったままのプリンだった。

 ケーキだと思い込んでいたので、箱を開け、飾り気のない銀色の型に入ったままのプリンがふたつ並んでいた時は呆気に取られたが、色気こそ無かったものの、実際に食べたそれは正しく絶品で、申し訳無いけれど期待値が低かったこともあって「至高」の一言に尽きた。

 もともと私はプリンが特別好きな訳ではないし、自分で買うことも無ければ、冷蔵庫に放置されている誰のものかわからない賞味期限間近のプリンだってよっぽど空腹でも食べない。

 それでも、美味しかった。

 美味しすぎていっぺんにふたつ食べた。

 私も私で、お皿に出しもせずそのままスプーンでほじくって美味しく頂いた訳だが、食べ終えて洗ってみて、その型がどう見ても使い込まれた店の備品に見えたので、返却とあの日言い足りなかったお礼をしに行こうとやって来た。

 街に出てすぐに専門店の一番大きなチョコレートの詰め合わせを買う。

 洋菓子を扱うお店に甘いお菓子の手土産はどうなのかと考えなかった訳ではないけれど、ティファニーさんがチョコレート好きな事は先日聞いていたので、少なくとも彼女は喜んでくれるだろう。

 私にしたら、それだけでも充分だった。


 駅を通り抜け反対側へ出て、少し解りづらい小道に逸れる。

 レトロな街灯の並ぶ、茶色い石畳の通りの一角に店がある。

 ランチタイムを目前にして店はもう開いていたが、建物を覆う蔦と、分厚く歪んだガラスの窓からでは中の様子は判り辛かった。

 意を決して扉を開けると、チリンチリンと高い鈴の音がいくつも重なって、誰もいない店の中に大きく響いた。


 店内は落ち着いた雰囲気の色合いでこぢんまりとしているが、床が少し下がるせいか天井が高くて圧迫感は感じない。

 高い位置にある窓から自然光が入る小さなステージには、店の名刺に描かれていたロゴと同じ真っ白なピアノが鎮座していた。

 日差しを受けて、つやつやとやわらかな光を反射し、まるでピアノ自体が発光しているように見えた。

 店中至る所に所狭しと魅力的な焼き菓子が並び、店の一角には焼きたてのパンやサンドイッチ、通りへ面したショーケースにはキラキラしたケーキまで飾られ、店中にコーヒーの香りが充満している。

 バーよりも、かなりカフェ寄りだった。



「こんちは」

 まじまじと店内を見回していたら、カウンターの中から声がかかった。

 初めて見る、目つきの悪い金髪の少年だった。

 カウンターの向こう側にいて、ずいぶんと小柄で横暴だったが、制服らしきものを身に付けているので店員なのだろう。

「こんにちは。お仕事中にすみません、先日お世話になった者です……」

「ああ、お前!」

 辿り着くまでに、何度も練習した台詞を読み終えない内に、見慣れないその店員はいきなり私を指差して大きな声をあげた。

「お前人間だったのか」

 私の事を知らない訳では無さそうだったが、大して興味が無いのか話を聞く気が無いのか、彼はそのまま大声で色んな名前を叫びながら奥に引っ込み、代わりにすぐヴィヴィが出て来てくれた。


 返す物を返し、渡したかった物を滞りなく渡すと、ヴィヴィは大げさに喜んで褒めてくれ、私はカウンター席を勧められた。

 席に着くと『マスター』や『エルメス』とあの日の夢の住人たちが次々と現れては、やたらと距離を近く取って私を取り囲み笑顔を向け、靴音を響かせ最後に堂々登場したティファニーさんに至っては、挨拶もせず満面の笑みで私に飛びかかって来たので、体の柔らかい所に顔が埋まった。

 体調を気遣い、朝食は食べたのか、暑くはないか、何か欲しいものやしたい事は無いかなど、ティファニーさんは一人でのべつ幕無しに言葉を投げかけてくるので、ひとつひとつに頷くのが精一杯だった。


「アンナ、良かったわ。本当に会いに来てくれたのね」


 ティファニーさんはにこにこと当然の様に隣の席に着き、一緒にメニューを見て同じ物を頼み、二人で昼食を取った。

 彼女はあの日と変わらず、美しくて優しくて、私の事に興味津々だった。

 出鼻こそ挫かれたものの、訳も分からずちやほやされる事は、慣れてこそいないけれども不快では無く、ここにさえ居れば一日が良い方向へ転がっていくような気分になれた。

 頼んだ物を待つ間、マスターはピアノを弾いてくれた。

 演奏してくれたのは、どれも有名な曲ばかりで聴き覚えがあったので、自然と耳に馴染んだ。


 おいしい匂いと炭酸水の小さな呼吸音、優しく流れるピアノの旋律、氷が溶けて行く様子を眺めながら、傍《かたわら》には人の気配を常に感じる。

 穏やかな時間だった。

 一枚板の立派なカウンターテーブルと脚の長い椅子が私の背伸びを後押しするように、ぐっと大人になった気分。

 何もしないという贅沢を知った様な気がした。

 ティファニーさんとお喋りを楽しみながらの食事、それもサービスてんこ盛りの大盛りを済ませて、私はそこで一日分の栄養を全て摂取した。



「今日はこの後どうするの?」

「そうですね。特に考えていなかったのですが、せっかくなので買い物にでも行こうかと思います」

「あら素敵。ご一緒しても良いかしら?」

 食後のお茶も終わる頃、そろそろお暇しようかと当たり障りの無い返事をしたつもりが、ティファニーさんは目をキラキラさせて食いついて来た。

 それどころか、もう行く気になって居るらしく、立ち上がって遊園地に連れて行って貰えると分かった子供みたいにはしゃいでいた。

「ティファニー」

 マスターに突かれてティファニーさんは頬を膨らませていじけて見せたが、マスターはそれを見てすらやらない。

 「すみませんねえ。お気になさらず」と謝られても、隣で不貞腐れてしまってはなんだか申し訳無くて、私は結局了承してしまった。

 すると、ティファニーさんの機嫌はたちまち直り「お洒落してくる」と駆け出して、その背中を今度はにこにことマスターは見送っていた。

 二人の作戦だったのかもしれないと、奥のキッチンから聞こえたエルメスの笑い声で、我に返った。



「きっとあれは、似たようなお花柄を選びに行ったんでしょう。用が済んだらこちらに連絡してください。きっとくたくたになる程歩き回った上に荷物が多くなるでしょうから、困った時にいつでも良いです。すぐにお迎えに行きます」

 そう言いながらマスターは、私に店の名刺と電話番号が書かれたメモをくれた。

「これは……」

「私は一日中店に居ますので」

 恐る恐る見上げると、名刺の店の電話番号を指で示しながらそう言って、小さくウィンクされた。


 マスターはなんでもお見通し。

 人の扱いが上手いとか人の心を読むとか、そんなレベルで無く、きっと未来まで見えている。

 恐ろしい程に。


 疑いが確信に変わり、それが何を表すのか聞いても無いのに分かってしまい、耳まで真っ赤になった。

 マスターは一日中店にいるので、マスターを呼びたければ店に電話をかけたらいいのだ。

 ならばもうひとつの番号は、電話ひとつで、彼女の荷物を持ちに来る人間の番号だ。

 ティファニーさんなら知っていて当然だし、本人が困ったらきっとそうするだろうに、わざわざ私にこれを渡して言付ける。

 お腹のあたりが熱くてくすぐったくて、それなのに背筋は凍るように冷たくて、また具合が悪くなりそうだった。

 伏せた瞼の裏に、グレーの瞳が浮かんだ。




 マスターの言った通り、十分ほど待つと、ティファニーさんは紺色に小花柄のロングワンピースでやってきた。

 それは、私が今日着てきたスカートの柄ととてもよく似ていて、まるでお揃いだ。

 はしゃぐ彼女に腕を引かれ、店を後にする。


「いってらっしゃい」


 いくつもの微笑みと柔らかい言葉に、私まで一緒に送り出された。



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