世界にひとつだけの花
「おはよう」
目を開けると、クマを挟んだ正面に、私の手を握って笑うティファニーさんが居た。
すぐに飛び起きて、ソファの一角に纏められた自分の荷物の中から特別に見える白い封筒を手に取り、再びベッドに飛び乗った。
伸びをするティファニーさんに封筒のまま差し出すと、ティファニーさんはそれを受け取り、中を見て、嬉しそうに笑った。
「高校生になるのね。おめでとう。凄いじゃない、よく頑張ったわね」
何をどう言えば良いのか分からず、起き抜けでからからの喉は痛む程で「おはよう」も返せない私を、ティファニーさんは強く抱き締めて「いいこいいこ」と撫でてくれた。
私が求めていた答えは、その言葉で正解のようだった。
心も頭も、とても閑かだった。
「ただいま」
「おかえりなさい。待ってたのよ」
「大好き」
「ありがとう。私も大好き」
まるで子供の様に、しっかりとくっついて離れず勝手に微睡む私を、ティファニーさんは嫌がるどころか喜んで受け入れてくれた。
「ごめんなさい、早く会いたくて来ちゃいました。でもご挨拶の前に眠くなっちゃって」
「いいのよ。嬉しかったから。私も、寂しくてクマさん勝手に借りていたの。返すわね」
「今日からここのお家の子になる」
「そうね。学校も近くて良いわ」
そしてストレート過ぎる私の願望と本音に、躊躇いもせず返事をした。
何を言っても返事があまりに早いので、面白くなって笑ってしまった。
着替えて挨拶をしに行くと、宣言通り朝食は二人分の特別豪華なものが用意されていたが、マスターは目を丸くして驚いていた。
「いつの間に帰って来たんだい?」
「お日様が出る前に」
「私が寝る頃もう居たわ。お陰様で、良く眠れた」
「それは……よかったね」
マスターは、何か言いたそうだけど飲み込んだような、そんな感じで呆れて笑っていた。
「朝から機嫌が良くて何よりだ。素敵な一日になりますように」
そう言いながらマスターは、私達二人を席に座らせて、テーブルの上に用意されたシャンパンに飾られたカードをティファニーさんに渡し、慣れた手つきで景気の良い音をたてた。
朝からシャンパン……
盗み見たカードに並んだ筆記体に見覚えがある。
エルメスの字だった。
盗み見るまでもないシンプルな一行のメッセージに、青くなった。
リボンを付けて来いと、そう言ったマスターの冗談を冗談として真面目に受け取ってしまっていた。
〝Happy Birthday〟
青い顔で呆然とする私を見て、マスターはまた呆れた顔をした。
今日は、ティファニーさんのお誕生日。
それを知らなかった私は、今の今まで自分の事しか考えていなかったと言うのに、ティファニーさんは「今日の一番初めに会いに来て嬉しい報告し、大好きと言ってくれた」と、自慢気に言いふらしてご機嫌だった。
「マスター、アンナにもご褒美をあげて。とっても頑張ったの」
「それは、もちろん」
「良かったわね、アンナ」
エルメスからのプレゼントであるピンクのシャンパンを片手にご満悦なティファニーさんを見て、マスターは満足そうに下がって行った。
「ティファニーさん、食べたらお買い物へ行きましょう」
「あら、嬉しいわ。私もそうしたかったの。制服が新しくなるでしょう?新しい靴を買わないと」
「私のものはいいんです。ティファニーさんのお誕生日じゃないですか」
「私がそうしたいからよ。あなたが新しく歩いて行く為の、旅立ちの靴を贈れるなんて、とっても幸せな事だわ」
にこにこと、心の底からそう思っているようだった。
「ティファニーさん、なにか欲しいものはありませんか?」
「たくさんあるんだろうけど、今は思いつかないわね」
「私も何か贈りたいです。ティファニーさんが喜ぶものが良いです」
「久しぶりに可愛い寝顔を見せて貰ったわ。一緒に朝ごはんを食べて、デートのお誘いまでしてくれて、こんなに素敵な誕生日は初めてよ」
「言葉遊びをしたいんじゃありません。なにか形のあるものにリボンをかけてお渡ししたいんです」
「アンナに貰えるなら折り紙だって嬉しい」
「じゃあ後でラミネート加工も持ち運びも出来ないように、緻密で立体的な大きめの物を何か作ります」
「あら、嬉しい。楽しみね」
馬鹿みたいな話だが、不思議なことにその表情からは、嘘やお世辞では無い事が伝わって来る。
欲しいものを聞いても無駄そうだったし、好きなものは何かと聞いたらそれこそ返事に困りそうだったので、その場はそこで終了させた。
そう言えばクリスマスに「貰って欲しい」と不用品を押し付けて来た人も居た。
なので私も、食事を終え、出掛ける準備をしにティファニーさんが席を外した隙を見て寄って来たマスターに、ご褒美は何が良いか聞かれたので「ここから学校に通わせて欲しい」と頼んでおいた。
欲しいと言われて、二つ返事でいいよと返しておきながら、あげたつもりになれなかったらしく、その後ヴィヴィとエルメスにも探りを入れられた。
ティファニーさんとマリアンナへ行き、そこで本当に私のローファーを買った。
色や形の違ういくつもの中から実際に履いてみて合わせ、濃いブラウンの一番スタンダードだと思うものにした。
中敷きにはしっかりと「Marianna」のロゴ、そしてティファニーさんの指示で踵に「S」の印が入れられた。
サイズでは無い。
「Soleil」の「S」だ。
私が歩いて行く先を、照らして守ってくれます様に、そして毎日無事に帰って来るようにと願いを込めて。
この「S」が消えたら買い替えだそうだ。
私はよく歩くからすぐに買い替え無くてはならないかもしれないが、それもまた楽しみだと言いつつ、ティファニーさんは帰り際にタクシーチケットをくれた。
「さあ、次は運動靴よ。年中使える物だから、この二つを揃えておけば、こういう中途半端な時期の夜道をサンダルで歩く事も二度と無いでしょう」
今日が今日じゃ無かったら、もしかしたらどうにかなっていたかもしれない迫力だった。
ちょっと怖かった。
そして、靴を買いたがった理由が少し分かった。
運動靴を買い、鞄の下見をして、諸用を済ませ、久しぶりにティファニーさんと手を繋いで歩く〝デート〟を楽しんだ。
私はつとめて「これ良いな」「素敵」なんて言葉を吐かないようにしていたが、帰る頃にはやっぱり荷物がいっぱいになった。
そして気を付けていたのに、甘い香りに誘われて花屋の前を通った時、店先に居たトイプードルに目を奪われてつい甲高い「可愛い」を発してしまった。
それは実際の犬では無く生花で作られたアレンジメントで、ふりふりとした花弁が毛並みを感じさせ、ぎゅっと詰め込まれた丸いフォルムと何とも憎めない愛嬌のある顔で籠に収まり、こちらを見ていた。
「あら本当、可愛いわ」
「ティファニーさん、この子お部屋に飾っても良いですか?」
「良いわよ」
ティファニーさんも気に入ってくれたので、すぐに購入する事を決めた。
店の中に声をかけると、「はいよ!」と元気な、聞き覚えのある返事が返って来た。
春らしい黄色やピンクのお花に囲まれるには若干不似合いな、チャラチャラした音の鳴る飾りの多い服と、きっちりセットされた束感の強い髪がある種の完成度を上げて、不自然極まり無い。
近くに居た店員さんまで笑わせながら、ご機嫌で出て来たのは、ロバートだった。
「いつお花屋さんになったの?」
「残念!今不器用な男子に女の子が喜ぶプレゼントの選び方をレクチャーしてた所」
そう言ってロバートはティファニーさんにラッピングされた紙袋を渡し、代わりに私が欲しがった犬を抱えて店内に入って行った。
「贈り物ですかぁ?」
「私用です」
「やっぱりこっちが良い〜」
「私のだってば!」
「増やすな」
ノリの良すぎるロバートが、店員さんの真似をしたままレジに割り込もうとするので、慌てて止めに入ると、ほぼ同時に素っ気ない返事が返ってきた。
たった今商品を受け取ったばかりなのに、言葉の割に財布を開き直しているお人好し。
不器用な男子とは、リュウの事だった。
あまりにもタイミングが被りすぎて聞き取れなかったのか、変な間ができた。
沈黙の後、抱えた巨大な花束の扱いに困り、驚いたような焦ったような顔をしながら、私と犬を見た。
「大丈夫、自分で買う」
しっかりと告げて、場所を取る二人を狭い店内から追い出し、ロバートから奪い取った犬は無事精算された。
私がほくほくと店から出る頃には、本物のトイじゃないプードルくらいありそうな大きな花束は、持っていた荷物と全部交換されて、ティファニーさんの腕に抱かれていた。
ロバートに少しだけ荷物を運ぶのを手伝ってもらい、仲良く歩く二つの背中を追いかけながら、四人でソレイユへ帰る。
「良かった、また会えて。お引越しの準備はどう?」
「毎日バタバタ。でも、ロンドンも楽しみにしてくれてるよ」
「そりゃあそうだよ。待ちに待った二人の生活が始まるんだもの」
「そうなんだよぉ」
この世の幸せを全部独り占めした様な顔で、ロバートはくねくねと喜びを表現してくれた。
「毎日会えて、いってらっしゃい、おかえりなさいって言ってくれるんだよ。それだけで僕、なんでも出来る」
その気持ちは、私にもよく分かる。
多分ロバートは、ロンドンがロバートを想う以上にロンドンの事が大好き。
真っ赤になって怒っていても、泣いても笑っても、全部「可愛い」と言い切れるような人だ。
それを「いつもへらへらして、人の話を聞いていない」と解釈され、他所に愚痴として吐かれているのだから報われないが、そんな二人の気持ちを両方知っている私は、ただただ幸せな気持ちになった。
二人の間に収まりきらないハッピーを、溢れさせてお裾分けまでしてくれる。
そんな二人の新生活と末永い幸せを願わずにはいられず、いつまでも可愛い苦情を言い合うが良いと偉そうに思った。
その日の夜は盛大なお祝いのパーティー。
卒業記念の海外旅行中だったルイも夜には文字通り飛んで帰り、ティファニーさんのお誕生日と私の合格と、ロンドンとロバートの門出をまとめて祝福してもらった。
本革のペンケースと電子辞書、そして気の早いマスターからは、早くも「私の部屋」が贈られた。
様々な要素を含んだ「おめでとう」が飛び交う夜は、温かくて心地良かった。
寝るまでの間に、私は本当に折り紙で花を折り、束にしてティファニーさんに贈った。
ティファニーさんはそれはそれは喜んでくれたけれど、花は広げるとお手紙になっていると説明すると困惑していた。
やり過ぎて引かれたのではなく、ティファニーさんには、勿体無くてそのお花を解く事が出来ないだろうとわかっていてやった。
だから本音をたくさん書いた。
恥ずかしい言葉も、隠していた事も、言い訳も、素直な気持ちをストレートに書いた。
私の春休みが終わる前に、ティファニーさんは入学祝いと言って私に折り紙のお花をくれた。
それは、マリアンナのお上品な包装紙で出来ていた。
私はそれを、もらってそのままの形で自分の部屋の机の上に飾った。
顔を上げれば目に入る位置に置いた「ソレイユの新しい家族写真」の横で、枯れない花は凛として誇らしげだった。




