Year Of Decision
熱を出した。
それも、これまでに体験した事も無い位派手なやつで、何度かこのまま目が覚めないのでは無いかと覚悟しながら、起きては眠りを繰り返していた。
クリスマスの日に帰宅した時点で体の不調は感じていて、なんとか乗り切った終業式の後から泥のように眠っていた。
季節的にもタイミング的にも怖い感染症では無かったかと心配する私をよそに、みんなが元気でいる事は、時々目を開けると枕元でちかちかと賑やかに光る携帯電話が教えてくれた。
私の携帯は、ただ寒くていじけていたのか、充電したらちゃんと使えた。
そんな判断さえ出来ないほどに傷心していた自分がまるで遠い昔の話のように、心はもう随分と大きく構えていられた。
全てに返事は出来なかったけれど、きっと待ってくれている。
離れているのに、すぐそこで生活している家族よりよっぽど近く私の事を気に掛けて守ってくれて、その存在を常に思い出させてくれる。
だから、安心して眠った。
気を抜き切って、何も考えずに体を休める事が出来た。
そうしている内に、私は心身ともに健康を取り戻した。
パーティーの夜、やっとの思いで繋ぎ止めて隠しておいたぼんやりしたものも、今はきちんと形作って動いていた。
経験は何より自分の身になる。
窮屈に感じた思い出も、苦いも辛いも酸いも甘いも、一度知ればそれより大きく構えていられる。
これが成長というものかと、十五歳の私は偉そうに、他人事のように受け流した。
とりあえず水分だけは取って、生きる努力を続け迎えた日曜日、私は久しぶりにお洒落をした。
朝、屋根に積もった雪に反射する、キラキラした光を吸い込む様に深呼吸をすれば、まるで生まれ変わったかのように体は軽く、頭もスッキリしていた。
「おなかすいた」
ソレイユにたどり着いたのはおやつ時。
元気になり過ぎた私は、ドアを開けた途端に漂った美味しい匂いに耐えかねて、何よりも先にそんな事を口走った。
無理矢理にでも、使い方がおかしくても「ただいま」と帰ってやろうと思っていたのに失敗した。
もちろん笑われた。
大きめのマグカップいっぱいのチャイと、甘いのもしょっぱいのもごちゃ混ぜにパンを六つ、仕上げにアイスとホイップを添えたプリンまで食べて、弱っていた細胞もすっかり全て呼び覚まされた様に、活力が漲った。
クリスマスを過ぎて一週間、世の中は新しい年を迎えようとしていた。
ソレイユではついこの間休んだばかりなのに、今日もバーの営業はせず早々に店仕舞いし、家族の時間を取るらしい。
なのでこれから、今夜の夕食はもちろんだが、明日何にもしない為におせち料理を仕込む。
「おせち料理、何が好き?作る人の特権で、無くならないように好きなものはいっぱい入れるの」
「写真で見た事はあるけど、食べた事ないの。まめとか昆布くらいは分かるけど」
「あらそうなの?それじゃあ今年は色々作って、全部食べてみよう」
知らない事を驚きも馬鹿にもせず、ヴィヴィは嬉しそうに卵の数を増やし、買出し係に電話をする。
お重の一段が卵で埋まるくらい、甘い卵焼きはみんなの大好物なのだそうだ。
私はエプロンを借りて、煮物用に人参を花形に切り出したり、こんにゃくを丸めたり、包丁の使い方や出汁の取り方など懇切丁寧に教わった。
ヴィヴィは私が楽しんでいる事をよく分かって、作り方だけ教えて私だけで数品作らせてもくれた。
先週末と比べだいぶ規模は小さくなったけれど、その夜もまるでパーティーだった。
街で買い集めた美味しい物をつまみながらみんなで同じテレビを見て、同時にトランプもしちゃう。
順番にお風呂に入って、人を枕にして寝そべってみたり、足を投げ出して本を読んでみたり、今日の話と明日の話をしてみたり。
てんでばらばらに好き放題して過ごしているのに、何故か同じ部屋に居る。
大きな声で笑い合い、いろんなものが触れ合う。
贅沢な時間だった。
たっぷりとその贅を味わい尽くし、除夜の鐘を聞きながら「二年参りに行きたい」と寝言を言って、私の大晦日は終了した。
もこもこのパジャマと大きなクマのぬいぐるみ、ピンクの毛布、猫の枕。
寝床にあるのは、どれもこれも少し幼い女の子らしい品ばかり。
目はすっかり覚めているのになかなか動く気になれず、隣で私の枕を抱いてまだ眠る幸せそうな顔をしばし眺めて過ごす。
人の視線は不思議なもので、触れる事は無いはずなのに刺激がある。
一本一本数えていたまつげがぴくりと動き、薄っすらと目が開いた。
開いたばかりの重たそうな瞳が、ふわりとまた閉じて、口元がほころぶ様は、ずっと見つめていられる程に美しかった。
「おはよう」
「おはようございます」
「素敵な朝ね」
「良い一日になりそうです」
すっかり慣れて居心地の良くなってしまったティファニーさんのベッドで二人、冬の朝の温かい布団を十分堪能してから、下に挨拶をする前に出掛ける支度をした。
年を跨ぐ前から、ルルとココに一緒に初詣に行こうと誘われていた。
それを昨日話しておいたせいだろうか、ティファニーさんは朝からしっかりと私に晴れ着を着せてくれた。
深い赤色に菊の花柄の振袖、金と銀のめでたい帯は後ろで大きな飾り結びにし、髪はシンプルにまとめて、サンタさんに貰った花と羽根の髪飾りをさす。
そして私が仕上がると、ティファニーさんも慣れた手つきでクリーム色のお着物に着替えた。
支度を整え、のんびりと各々好きな事をしていた住人達に挨拶をして回ると、お決まりの言葉を吐いただけなのに褒められて、もれなくお年玉が貰えた。
「まだあったんだね。あれ以来見ないから、気に入らなかったのかと思った」
「振袖なんて着られないもの。でも、取っておいて良かったわ」
「そうか。よく似合うよ、アンナ」
一目で私が身に付けるこれが何だかわかったらしいマスターは、嬉しそうに、そして満足そうに何度も頷いて褒めてくれた。
この振袖は、ティファニーさんが二十歳の時にマスターが贈ったものだそうだ。
一度着て写真を撮ったらそれっきりになっていたが、そのせいか、その割にか、とても綺麗な状態で保管されていた。
ティファニーさんは嫌がったけれど、その時の写真もあるそうなので、後でこっそり見せて貰う事になった。
初詣にティファニーさんは当たり前の様について来て、それに続く様にみんなでぞろぞろと、何でも願いを叶えてくれるらしい冗談みたいな神社へ行ってお参りをした。
「良縁、縁結び」と願い事が口から漏れているココの横で、今私を取り囲むこの良い縁が、いつまでも守られます様にと心から祈った。
顔を上げて見回せば、小さい私を見失わないように、右も左も前も後ろも、知っている顔が並んで私を見張っている。
どんなに暗い闇の中だって、白い靄の中だって、同じような人間の集団の中だって、きっと私をみつけてくれる頼もしい大人たちだった。
甘酒を貰って、お守りも買って、ティファニーさんとのデートでよくお会いする街の人にも出会い、ご挨拶をさせてもらった。
中にはお年玉までくれる人もいた。
みんなで引いたおみくじは、私は健康の欄に「危うい」と書かれたくらいで全体的にそう悪くもなく、気になっていた受験の事も頑張れば良い結果が出るとの事だった。
「アンナ先生、恋はどうなのよ」
今ひとつだったらしいおみくじをさっさと結んだココが覗いて来て、二人で確認した恋愛の欄には「叶わず」と書かれていた。
「結ぼ」
「良いことも書いてあるよ」
「叶えたいのも結ぶんだよ」
そう言われてはそうしないといけないような気がして、記憶する為にもう一度しっかりと目を通すと、待ち人の欄に不思議な文字が並んでいた。
〝連れがあり〟
こんな結果がある事を初めて知った。
「結ぼう。そんなの駄目、許されない。利き手じゃない方で結ぶんだよ」
「恋愛が全てじゃないよ」
「ほぼ全てだよ!利き手どっち?」
熱くなるココを鎮めていたら、昔巫女さんのアルバイトをしていたルルが、笑いながら「待ち人」と言うものを教えてくれた。
待ち人とは文字通り〝自分が待っている人〟の事であるが、広くは〝自分を良い方へ導いてくれる人〟と言う意味合いを持つらしい。
もちろんそれはココの望む通り運命の相手であったり、長いこと会いたいと恋い焦がれた人であったりもするけれど、一生の友人や理想の上司の可能性もあるらしく、つまりは良い結果のようだ。
連れがあると言うことは、私の人生を豊かにしてくれる人に、近々複数出会えるということで、それはこの上ない贅沢な事だった。
きちんと聞いたら嬉しくなって、おみくじは今日の記念にやっぱり持って帰る事にした。
元の輪に戻ろうと見回せば、良い目印がすぐ近くをふらついているので、安心して目を離して居られる。
輪は時々崩れて誰かを見失ったが、気付けばきちんと元に戻っている。
少なくとも二十歳の時には既にソレイユに居たらしいティファニーさんが今いくつでどう生きてきたかは知らないが、知り合いの多い街の中、知っている人も知らない人も、声を掛けられれば分け隔て無く笑顔を振りまき、柔らかく礼をして、背筋を伸ばし静かに歩く姿は見ていて清々しかった。
晴れ着姿の人も多かったけれど、シンプルな着物なのにずば抜けて目立ち、立ち居振る舞いも美しい。
それを一歩下がった所で観察しながら、身を引き締めて吸収した。
連れて歩くのに、恥ずかしい人間であってはならないと、こっちだって真剣だった。
ソレイユの住人達は、ソレイユの住人と言う括りの中で、この街に愛されて生きているんだと思い知るには充分な一日だった。
そんな人になりたい。
より一層強く思えた。
店に帰り、圧迫し続けていた帯から解放されると、もうどこにも出掛けないつもりの格好で、思う存分おせちを食べて、マスターの部屋にお邪魔した。
以前お邪魔した時よりも床の面積が少なくなった気がする、本だらけのマスターの部屋の一角には、ソレイユの歴史とも呼べる家族のアルバムが綺麗に並んで仕舞われていた。
昔は写真が趣味の人がいて、何でもない日常写真も多かったのだが、最近はめっきり撮らなくなったとマスターは少し残念がりながら、約束通りティファニーさんの写真を見せてくれた。
写真館できちんと撮られたらしい重たい表紙をめくると、私なんかよりずっと綺麗に同じ振袖を着こなして、凛と佇むティファニーさんが写っていた。
二十歳にしては大人っぽく、そして写真の質感から感じる時の流れに違和感を覚える程、今と大して変わらないティファニーさんだった。
少し細くて、少し機嫌が悪そうだった。
「ティファニーさんて、ずっとこの顔なんですか?」
「不思議でしょう。十年以上前なんだけどね、今の方が綺麗だろう」
そう言ってマスターは、ソレイユに新しい店員が増えると記念に撮っているという写真を集めたアルバムを出してくれた。
ティファニーさんがこの店に来たのは、どうやら二十歳の時で良さそうだ。
パーティーでお会いした気がする人たちに囲まれ、マスターとホリーさんに両脇を固められて、さっき見た写真と全く同じ顔で、腰ほどしかない小さなルイを大事そうに抱えて立っていた。
ページを進めていくと、まだあどけなさの残るヴィヴィや、エルメスにも出会えた。
ルイが大きくなるにつれてよく知る顔も増えていき、最後のページは今の住人と、店の制服姿でカメラから目を逸らした、恥ずかしそうなリュウの写真だった。
「もう一枚、増やそうね」
見終わってアルバムを閉じると、マスターは優しく笑ってくれた。
この笑顔に守られて、色んな人が、愛情も人間味も溢れる人にここで育ってきたんだと、何故かありがとうを言いたくなった。
ソレイユは、そう言う所。
「約束ですよ」
増える予定のもう一枚は、きっと私の分。
そう信じて、とても曖昧でいい加減な言葉を使ったが、マスターは「楽しみだねえ」とニコニコして、約束してくれた。
それがまた嬉しくて、私もにこにこし返した。
笑顔は笑顔を呼ぶ。
涙も涙を呼ぶ。
人は鏡。
何か笑えない理由がある時は、どんな手段を使ってもすぐに吐き出して笑い飛ばしてしまわないと周りの笑顔を奪うことになる。
だから、自分一人でどうしようもなくなった時は存分に二人に頼る事。
どんどん求めて良い。
そして求めた上で与えられたものは、残さず受け取って良い。
「自信を持って。貴女は愛されている」
私の人生を変えてゆく、とある紳士のお言葉が、今更とても身に染みた。




