How Deep Is Your Love
店の配達車をお借りして、帰りはリュウが送ってくれた。
持って行くと決めた電子ピアノは持ち運び用のケースと称された本体を守る袋が付いていたものの、バスと徒歩で一時間以上かかる道のりを、私一人でどうにかするには難儀な品だった。
隣に並んで、丸いハンドルを握るリュウの姿はなんだか新鮮だった。
「ちょっと寄り道してええ?」
「うん」
出発して間も無く、よく考えもしないで答えると、車はコインパーキングに停まった。
「行こか」
わざわざ車で来る必要が分からないくらいの距離、しかしドアを開けられて手まで差し出されては、着いて行くしか無い。
なんだかそわそわして、もじもじしている。
それでも一応私を気遣いながら時々振り返り、向かった先は、ショッピングモールだった。
「何か欲しいの?」
「ん?んー……」
返事も適当。
人でごった返す街の中、私がリュウを見失わないようにするのはそう難しくは無かったが、リュウは何度か私を失くしかけた。
その度にきょろきょろと焦ってその場でくるくる回り、時々屈むのが面白くて、二、三回わざと離れて隠れてみたりした。
「早よ」
入り口はすぐそこなのに、先を急ぐ様子はまるで子供のようだ。
わあっと、歓声があがる。
リュウの待つそこに辿り着いた瞬間、入り口に飾られていた巨大なクリスマスツリーのイルミネーションが、今年最後の点灯をし始めた。
下から順に、てっぺんの大きな星に向かって光が上る。
オルゴールの音と、ベルが鳴る。
目の前全部が、きらきらしていた。
「よかった」
ぽかんと口を開けてその光景を眺めていた私の横で、リュウは小さな声で呟いた。
声の向かって来た先に視線を移せば、モミの木では無く、彼は私を見て嬉しそうに微笑んでいた。
「これ、見たかったの?」
「見せたかってん。綺麗やろ」
冬の時期、ここはカップルで溢れる人気のデートスポットだ。
年頃の男女が二人で見つめ合うには丁度良い場所だが、自分が当事者になるとおかしな気分である。
どんな言葉を吐かれても、耳が勝手に拾ってくる周りの甘さや目から入る違和感に、私の頭の中はもう一杯だった。
「金曜日な、ここにツリーあるのは知っててんけど、点くとこは初めて見てん。綺麗やなぁって思って、アンナに見せたいなあって思て、それだけはちゃんと覚えてんねん。その時はまだ、絶対にギター持っててん」
「それ〝だけ〟は?」
「あとは、忘れてしもた」
そうしてリュウは、本人も曖昧だという金曜日の話をしてくれた。
あの夜……夜どころか、多分もっと前から彼は、体にその臭いが染み付いてしまう程に酒を浴び、煙を纏い、夕方には記憶を無くしていた。
自分でも何をしていたか全く覚えていない。
しかしとんでも無い事をしてしまった事は、土曜日の朝に目を覚ましてから、時間を追う毎に自覚して行った。
リュウは、十九歳だった。
つまり、未成年なのである。
まだソレイユで守られながら、良い子と認めてくれたサンタクロースからはプレゼントが貰える年である。
以前高校生だとは聞いていたが、通っているのは夜間定時制。
そこには一般的な年齢層とは違う高校生もいる事を知っていたので、リュウもそうなんだと思っていた。
お酒やタバコを、常習的に嗜んでいた事も知っている。
隠しているつもりだったとは今初めて知ったけれど、リュウにとって、いつも持ち歩いている龍の柄入りライターとタバコの煙は、心を落ち着かせる作用があるのだ。
何か気分を切り替える時、ぼんやりしたい時、考え事をしている時、常にそれは手元にあって、私やティファニーさんの近くなどタバコが吸えない時は、ポケットにしまった手の中でライターを転がしている。
それから、ステージに立つ前は必ず一杯ひっかけている。
緊張したり、不安になったりした時は、頭の中でもやもやしているものが動く邪魔をする。
それはお酒を飲むことで暫く吹っ切れ、行動に思い切りが出るんだそうで、その習慣は他でも無いティファニーさんから聞いていた。
合わせて使えば効果は覿面。
しかし、その一時的な解放感で満足し切れないと、同じ行為を繰り返した挙句、記憶自体が曖昧になるまで続けてしまう。
それが、金曜日の出来事だった。
そういった中毒性が高い事もあって、この国では未成年に対して禁じられているのだと私は考えている。
目の前で泣き出しそうな顔をしながら、ぽつりぽつりと話す所を見るに、きっと彼自身にも罪悪感はあったのだろう。
だから、今日まで言えなかった。
でも、言わなければならないと思ったのだ。
言っても大丈夫だと信頼してくれたのかもしれないと思うと、少しこそばゆい気持ちになった。
私が木曜日の夜から店にいる事は、ティファニーさんもリュウも知っていた。
二人とも当然あの秘密の特訓に誘われていたのだが、用事があって来られなかった。
リュウは念の為にいつも通り私に電話をかけてはみたものの、出ないからって何も心配はしていなかった。
ソレイユに行けば二人とも居ると思って安心していたから。
なのに、朝来たらティファニーさんの部屋には誰も居なくて、私はルイの部屋で寝ていて、自分は追い出されてしまったので、文句を言うためにティファニーさんを探しに出た。
そして気付けば、一日中街を彷徨っていた。
その後ティファニーさんがリュウを見つけて保護してくれなかったら、もしも先に見つけたのが近藤さんだったら、今頃もう会う事すら叶わなかったかもしれない。
それで散々人に心配も迷惑もかけておいて、形見の品まで無くしたとなれば、マスターの前に出て行ける筈も無い。
だから、言わなかった。
言わない方が良いと、あの部屋で、ティファニーさんと二人で決めた。
残念ながら、そこに私の存在を忘れていたばかりにすれ違いが生まれ、次の日の朝にはソレイユで全てが繋がり、結局互いの悪事を晒す羽目になってしまった訳なのだ。
ソレイユでは、アンナはリュウを迎えに出て行き、帰ってこない内は「デートでもしているんだろう」と気楽に考えていて
ティファニーさんは、リュウを見つけた時にアンナは一緒に居なかったから当然帰ったものだと思い、そしてとてもソレイユに連れて帰れる状態では無いリュウの事を誰に伝える訳にもいかなくて
リュウは、まさか自分が探されているとも待たれているとも思わずに、更にはそこにアンナが関わっているだなんて思ってもいなくて
思った所で覚えていなくて。
なんて馬鹿馬鹿しい。
誰も何も言わなかったから、誰も何も知らないまま、最後に丸くなるまで誰の何が悪かったのかもわからなかった。
それでも、私ももうちゃんと仲間に入れて話をしておかないと、きっとまたすれ違って事件が起こる。
二日も引きずるような酷い胸焼けになるから、吐いてしまって楽になるべきだった。
もう通り過ぎてしまってからでは、今更揺らぐ心など私は持ち合わせていなかったので、はあーっと大きなため息をついた。
「ごめん」
「うん。もういいよ。話してくれてありがとう」
言いたい事はもっと他にあったけど、悲しい顔をこれ以上崩す気にはなれなくて、曖昧な言葉で隠して笑顔を見せた。
ほんの少しだけ、リュウの頬も和らいだ。
精一杯頑張って、既にお腹がいっぱいの私のご機嫌を甘いもの以外でどうにか取ろうとしてくれた彼の気持ちは、素直に嬉しかった。
「今度からは、何でも言う。隠し事もせえへんし、噓もつかん」
まだ、少し落ち着かない様子ではあったけれど、リュウはしっかりと私の目を見て言ってくれた。
「言いたい事だけ言えば良いよ。リュウの口から聞いていない事は、知らないふりしてあげる」
「それが怖いねん。アンナは俺も知らんうちに何でも知っとる」
「何にも知らないよ」
「人の心が読めるんちゃうかなって思う時すらある」
「もしそうなら、今こんなにもやもやしてない」
「なんかある?」
「……うん」
きらきらをもう一度目一杯、満足するまで見た後に、体ごと向き直ってリュウを見上げる。
真っ直ぐに私を見て、聞き逃すまいと姿勢まで低くして構えるリュウの目を、私も真っ直ぐ見返した。
「実はずっと、聞きたい事があって……。でも、言ってもいいのかわからなかったの」
一瞬外してもったいぶって、もう一度目を合わせる。
「でも、みんなにはわかってたみたい。だから私も知りたいの。リュウの口から聞きたいの」
心の動く音がする。
感情に合わせ、風が吹く。
リュウの前髪が柔らかく揺れて、私の呼吸を模った白いもやが流れてく。
「今なら聞ける気がする」
瞬きをみっつ数える。
ひとつ数える度に、瞳が真剣な光を帯びていく。
「歯は、いつから無いの?」
さよならロマンス。
イタズラ大成功。
たった一言で、リュウは口元を隠して飛ぶように数メートル下がり、耳まで真っ赤にして花壇の陰にしゃがみこんだ。
あれだけ決意を固め、意気込んださっきの言葉は何だったのか、答えるどころか両手で顔を隠して立てなくなったので、けたけた笑って置いて逃げた。
リュウがどんな人間であろうと、私がどんな人間であろうと、これからも一緒に居る事さえ分かれば、私はもう何でも良かった。
法に触れた事も、誰かの大切なものを粗末に扱った事も、私の存在を忘れた事も、もう十分反省はしているし、罰も受け、それも含めて彼なのだ。
だから全部綺麗さっぱり忘れて、流してしまう事にした。
リュウの歯は、昨日の朝会った時にはもう無かった。
口を開ける度、湿布や絆創膏よりもその端正な顔を台無しにするので、ずっと気になっていた。
喧嘩でもしたのか、ドジして転んだのか、別にどっちでもいいし大して知りたいとも思わないけれど、まだまだ私から罰を望むので応えてあげた。
まったく、酔っ払いのする事はよく分からない。
でも、そんなの本来、まだまだ分からなくて良いはずだから。
どんなにロマンチックを気取っても、子供の私達が真意を知るにはまだまだ未熟で、ショッピングモールの中で鬼ごっこをして怒られている方がお似合いだ。
お互いの気持ちを手探りで確かめ合い、決まり文句で気遣った絆を育むより、こっちの方がよっぽど楽しい。
恥じたり息巻いたり、前よりもずっと素直に表情を変えて、困ったように笑いながら、最後は隣を歩いてくれるのなら、私その先なんて知らないままでいい。




