On my own
走って走って、背の高い木が生い茂る広い駐車場の隅で一人、ひたすら泣いた。
泣いた事なんて覚えている限りもう随分無かったから、控え方も止め方も分からなければ、溢れてくるこの感情が何なのかさえも分からない。
どんなに怖い思いをしても、傷付いても、寂しくて悲しくて、悔しくても、死にたくなった時だって、決して泣いたりしなかった。
泣いたって何も解決しないし、泣いている人間を見ると落ち着かない。
泣くことはいけない事だと思っていたから、涙を流すほど心を揺らす事の無いように努力をしてきた。
それが私にとって、私を守る為に大切な事だったから。
「しにたい」
吐いた言葉はもう一度自分の耳に入り込み、何からも救ってくれなかった。
秘めていたはずの感情は尚も暴れ、隠し方さえ忘れてしまった。
この良く分からない苦痛を吐き出す先が欲しくて、大きな声で「助けて」と言える場所に帰ったつもりだった。
期待した自分が恥ずかしかった。
私なら、私にはと、得意になっていた自分が滑稽だった。
懲りない自分を何度も何度も責め立てて、色んな言葉で貶してやった。
ほらごらん、やっぱりだめ、言ったよね、分かってたでしょ、いつもそう、言う通りにしないから、どうして出来ないの、何度言わせるの、それくらい分かるでしょう。
言われて泣いた人を見て、言われないように必死で避けてきた言葉たちを自分で自分にぶつけ、また泣いた。
壊れて溢れたのならば、全て出し切ってしまおうと自分を攻撃した。
素直な心で向き合えば、素直な心を返して貰えると思っていた。
近付けば触れられると思っていた。
大好きな人のそばに居たくて、少しでも近くに行きたくて、大好きな人の大好きな物を愛して、その人の一部にさえなろうとしていた。
そんな意地汚い私に差し伸べられる手なんてあるはずが無いのに、愚かな私は、朝一番に会ったら抱きしめて撫でて貰えると思っていた。
馬鹿じゃないの。
実際は、乱暴に腕を引かれただけだった。
ずっと知ってた筈なのに。
〝人は鏡〟
向き合って触れる事が出来たって、その先には進めない。
見える範囲しか映らないし、踏み込もうとすれば壊れてしまう。
この苦しみは、ここ数ヶ月で随分と傲った人間になってしまった私が、優しい他人の警告に耳を貸さなかった罰だ。
毒を出したら、幾分すっきりした。
人の顔色を見て、言葉を聞いて、良い子を演じ、誰かの言う通りに動いて無責任に生きていたい。
そしてたまに人に紛れて、一人になって、何にも考えない時間を取る。
誰かの為に私が出来る事なんて何も無くて、私が居なくても世界は周り時間は過ぎる。
何処に居ようと、何が起きようと、それは変わらない。
そういう私に、やっと戻れた。
借りた物も、拾った物も、あるべき場所に戻して来た。
あとは、私の自由だ。
さあ、今日は何処へ行こう。
ただ人の多い所ばかり狙って街を歩き、目に付くものがあれば立ち止まって眺め、寒くなったら適当な店に入る。
この時期のショッピングモールは人で溢れているので、小さな体ひとつ隠すにはうってつけだった。
地下一階から六階まで、欲しいものは特に無いのにくまなく見て回り、「オシャレすぎる歯磨き粉」やら「漢方みたいな味のグミ」なんかを売っている変わった店で遊びながら時間を潰し、楽器屋は素通り、男性向けのフロアで全部の店を冷やかしに入り、ランジェリーショップでは用もないのに特に時間をかけて物色した。
入口脇の大きなクリスマスツリーを周りに合わせて写真に収め、すぐ近くに作られた行列に、訳もわからず並んでみる。
行き着いた先は、再びモールの中の催事場だった。
海外のチョコレート専門店が期間限定で出店しているらしく、カラフルなチョコレート達がお行儀良くガラスケースに並んでいた。
その一粒が〝ちょっと良いケーキ〟くらいの値段だったが、五つ選んで詰め合わせ、包んでもらう。
ラッピングを待つ間、改めて目を配らせていたガラスケースの中に、見覚えのある天使を見つけてしまって、息を飲んだ。
受け取った紙袋は小さいのに上等で、中に入った包装紙とリボンに、飲んだ空気はため息となって出て行った。
食べる前から胸焼けする。
せっかく今後の一週間の為に用意したが、すぐ近くの川のほとりで早速開けて全部食べた。
どれも美味しかったけれど、飛び切りと言うわけでも無いし、むしろいっぺんに食べるには、外国の一粒は大きすぎた。
よく声の響く橋の下に移動して、ブラックコーヒーを傍らに、私は静かに愛の言葉を囁いた。
街に溢れかえる音楽は、勝手に私の耳に入って来ては感情を揺さぶる。
まだ体の底に残った毒が、一度知ってしまった快楽を呼び覚まし、ぞわぞわと、うずうずとさせる。
それも全て吐き出すために、他人の言葉を借りて想いを託す。
何処にも届かない気持ちを隠す。
寒く冷たい冬の川には不似合いな、優しく柔らかい低い声で、甘い恋の歌をたくさん歌った。
吐いてしまえば楽になる。
受け取って貰えなくても、届かなくても、慣れているから大丈夫。
内から勝手に溢れるその想いを、知らずに拾って「好き」だと言ってくれる人だっているかもしれない。
知らないふりをしていればそのうち本当に忘れてしまい、平気なふりをしていたらそのうち慣れて、嘘だって突き通せば真実になる。
自分さえ騙して上手に嘘を重ねても、すっかり目が覚めた今なら、世界は良く見えるだろう。
さっきから、頭上の橋の真ん中に、立ち止まったまま動かない人がいる。
やたら甘い匂いのするシャボン玉を吹いて遊んでいて、時々いくつか落ちて来たので、隠れているつもりは無いのだろう。
残ったコーヒーを飲み干して、大きく伸びをしながら深呼吸までして、私は全力の「fly me to the moon」を歌って枯れた喉を温めた。
人と会話をする前の発声練習を兼ねて、吐き切る。
日差しの下へ歩み出て見上げると、欄干にもたれて佇む上質なコートの背と羽根付き帽子が見えた。
「おやアンナさん、偶然ですね。今日だけで二度も偶然出会えるなんて、なんだか運命を感じませんか?」
「偶然を装う為に半日も付いて歩いて居たんですか?」
「なんの事だか。私は貴女に言われた通り、久し振りの故郷を散策していただけです。面白いものを見つけましたのでおひとつどうぞ。これは銃刀法違反には当たらないと思いますが、安全のために袋からは出さずにおいた方がいいかもしれません」
橋の上で対面すると、ポールは首から「食べられるシャボン玉」をぶら下げて、足元にいくつも並べた袋の中から、妙に大きいおもちゃの銃をくれた。
中はマシュマロだそうだ。
私の服のポケットは残念ながらどこも小さく、腰にも上手く挟め無かったので、リュックに無理矢理刺した。
「生まれて初めて、クリスマスプレゼントを頂きました。どうもありがとう」
「どういたしまして。貴女の初めてになれてとても嬉しいです。もっとたくさん欲しくは無いですか?」
「いいえ」
「謙虚でよろしい。しかし貴女の〝カード〟は既に誰かが持っている。ひとつは確実にあります。一緒に帰りましょう」
「よくご存知ですね」
「私もカードを引きましたので。だから来たのです。一人行かなければ二人あぶれる仕組みです。渡せないのも受け取れないのも、それはどちらにとっても悲しい事です。年に一度のクリスマス、子供から奪うなんて酷い話ありますか」
「屋根からレンガを投げる話だわ」
「よくご存知ですね」
「欲張りは懲らしめられるって教訓の物語です」
二人で大きな独り言を言い合い、縦に少し離れて歩いた。
私がマリアンナへ向かうために道を変えても、ポールはもう堂々と付いて来た。
いつになくカジュアルな格好で背中から銃をはみ出させ、知らないおじさんを引き連れていても、青柳さんは余計な事は何も言わずに預けておいた物を渡してくれた。
「お気を付けてお帰り下さい。良いクリスマスを」
「どうもありがとう。メリークリスマス」
大きなプレゼントを抱えて、おもちゃを沢山持って街を歩くのは、不思議な気持ちだった。
足は、ソレイユに向かっていた。
プレゼントが欲しくて行くのではなく、私はただ冷静に考えた上で帰らなければならないので、仕方なく向かっていた。
まだやり残した約束がいくつかあったし、諦めて捨てて来るには問題のあるものをひとつ置いて来てしまった。
ポールに頼めば持って来てくれるか、或いは忍び込み方を教えてくれそうだったが、人は頼らず、自分でどうにかする事を私は選んだ。




