Mr.Moonlight
「芸能界に興味はお有りですか?」
「無いです」
「そうですか、残念です。しかし、そうはっきりと物を言う女性は好みです。ますます気に入りました」
「ご旅行ですか?」
「いいえ、里帰りです。こんな身形ですが、この街で生まれ育った、れっきとした日本人です」
「そうですか。では久しぶりの故郷をお楽しみください。良い一日を」
断った上に話は半分以上聞かず、適当な事を言ってそそくさと片付けて歩き出した私を追い、彼は付いてきてしまった。
「甘い物はお好きですか?宜しければ近くに良い店を知っているのでご一緒にいかがでしょう?古いけれど紅茶が美味しいオシャレなカフェです」
彼は「須藤」と名乗った。
東京で、私でも知っているほど有名なレコード会社で社長をしているらしいのだが、今日は生憎仕事から離れる為にやって来たので名刺を持っていないと言う。
上等な紙に金の文字を入れた所で、持ち歩かなくては意味が無い。
肩書きが目で見て分かり、簡易的な身分証明証にもなる名刺という武器が無い事を隣で何度も悔やんでいた。
地位とか名声とか、それが嫌で彼はこんな所まで逃げてきたのに、皮肉なものだ。
私はもう言いたい事は言ったので何も質問はせず、ただ一人で楽しそうに喋り倒す声を右から左に聞き流していた。
「ひとつ確認したいのですが、それは貴女のものですか?」
「いいえ」
これまで仕事の話や自分の生い立ちを話していた癖に、急にシンプルな質問をしてきたのでうっかり答えてしまった。
耳を貸してはいけないのに、つい足を止めてしまった。
「昨夜駅前で拾いました」
「なんと!そんなことあるはずが無い」
「このギターの持ち主をご存知なんですね」
「知っています。なんならその前の持ち主さえ知っている、古い仲です。私は耳が良いので、楽器の音の違いが分かるのです。楽器も人間と同じく、ひとつひとつ違う声を持っていますから、見た目が同じ物の中でも私はそのギターを見分ける事が出来ます」
「私もです」
「それに私はあなたにも興味があるのです。貴女は、とても相性が良かった。街の音もギターの音色も全て味方にした様な綺麗な声で、わざわざ想いを込めずとも自然と内からあふれ出てくる、私の好きな音楽の形です。あまりにも柔らかく低いのでどんな好青年かと思ったら、可憐な少女だったのでつい声をかけてしまいました。実に興味深い、興味しかない!」
若干興奮気味にはしゃぎ出したおじさんと、少し距離を取った。
変なナンパだとは確かに思った。
こんな田舎の朝っぱらからわざわざスカウトを語るだなんて、怪しまれるに決まっているのに彼は迷いもしなかった。
「おやいけない、急ぎましょうか。濡れてしまいます。喉にもお肌にも、そして楽器にも、この天気はあまりよろしくありません」
にっこりと微笑み、私を急かす。
私が行きたい方向を知っているかのように平気な顔をしてどんどん進むので、こっそり傍道に逸れたらやっぱりすぐに気付かれた。
聞こえているのだ、彼の耳には。
足音で、その人が何を考えて何処に行こうとしているのかさえ聞き分けることが出来る。
解き放たれて磨かれた精神力で、人の発する呼吸や声で、心の動きや気持ちを読み取る。
初めてそんな人に出会った。
そして同時に、ソレイユの住人が私に多大な興味を持った理由を理解し、私も彼に興味を持った。
「ポールさん」
呼びかけると、彼は穏やかな笑顔をたたえたまま振り返った。
「おや、ご存じでしたか」
「まさか本当にそうだとは思いませんでした。どちらが本当のお名前なんです?」
「どちらも。『須藤ジャンポール一太郎』と言います。もっとも、名乗る時にはカタカナは省いていますがね。名刺もそうです。長ったらしいと面倒だし、胡散臭いでしょう。私をそう呼ぶのは、家族と親しい友人だけです」
この先にある、先程お話に伺ったような素敵なお店を私はひとつしか知らないので、安心して付いて行く事にした。
今日はお休みのはずだが、きっと入れてくれるだろう。
挨拶を交わした時から気付いていたが、確信に変わった今、その纏う空気と出で立ちにマスターと同じ匂いを感じるその人が、噂に聞いた悪い人には思えなかった。
店まであと少しという所で、向こうからお迎えが来た。
にこにこ手を振りながら近付いて、両手を広げるマスターを見て「恥ずかしい奴だな」とポールは呆れて手だけ振り返し、私の背中を押した。
「おかえりなさい。ありがとう、アンナ」
得意気に突き出したギターケースは、安堵のため息と共に確かに受け取ってもらえたが、それごと私も力一杯抱きしめられた。
珍しく、マスターの心が震えていた。
「そんなに大事なら、外には出さない方が良いだろう」
「そうしたいところだが、しまっておくのは勿体ないし、なかなか難しいんだよ」
マスターは私の両手から荷物を受け取り、肩を抱いたままポールと私の間に入って、一緒に店へ向かった。
「ごめんなさいマスター。昨日の内に持って来れたら良かったんですけど」
「謝らなくてはならないのはこっちの方だ。大変な思いをさせてしまった。てっきり一緒に帰って来るものだと思っていたから、心配していたんだ。ごめんね、アンナ」
「私は大丈夫です。それよりも、ティファニーさんが怒っていないか心配です」
「アンナに対しては怒っていないよ」
「機嫌は良いかね」
「会えばきっと……ああ、でも、どうかな……」
「はっきり言いたまえ。迷いは相手の心も迷わせる」
「そうだね、ポール。でも言わなくても分かってくれると、こっちはとても楽なんだけど。アンナは心配しなくて良いよ」
今日のマスターはいつもよりずっと表情が豊かだった。
昨日私がこの街で得ることの出来た情報など、ティファニーさんが得るのはもっと容易い。
私が一日何をしていたかは、もう全て伝わっているようだった。
道すがら、マスターは、このギターはお兄さんの形見の品である事を教えてくれた。
普段自分は使わないので、勝手に弾いて構ってくれる分には全く問題無いのだが、まさか失くされるとは思わずつい叱ってしまったと、少ししょんぼりしていた。
マスターが怒った。
それは本当に大変な事だ。
そしてどうやら、そんな大切な物を寒空の下に置き去りにして行った酷い犯人は、既に自首しに来て、店に居るらしい。
直接聞いてもいなければ、そうだとも言われていないのに、分かってしまう自分が憎い。
私はマスターに一生懸命にこにこしてみたが「必要ない」と断られた。
一番心配も迷惑もかけたのだから怒って良いと言われたものの、私が誰に何を言えるというのか。
会わなくていいならそれが良かったのに。
自分の物しか持っていなくても、まだ体が重かった。




