雪が降る
可愛い服は防寒性にはあまり優れていない。
時間を追うごとに、平気で笑える寒さでも無ければ、馬鹿にしてくれる人もいない寂しさが心に棘を作り、電話を受ける約束を破ってしまった罪悪感が増した。
ソレイユからの連絡も無い所を見ると、まだリュウは来ていないようだ。
街が一層ライトアップしてロマンチックになるにつれ、黒い服の頼んでも居ない人達と、そんな彼等にぎらぎらとした視線を送る大人は増えていく。
居心地の悪さに、ここで待つのは諦めて、甘く優しいギターの音と歌声を探しに、屋根のある所へ足を向けた。
今朝リュウがソレイユに来た時、手にはギターを持っていたらしい。
だからこそ足音だけでなく、私よりずっと後に眠ったであろうルルやココのために、音楽室はまだ使わないで欲しいという意味を込めて、ルイは追い払ってしまったんだろう。
リュウのお気に入りの場所はあまり良く知らないが、ちょっぴりドジなので大きなハードケースを持ったままわざわざ間口の狭い店に入ったりはしないだろうし、偏食だから、成分表がくっ付いているコンビニご飯か、好き嫌いの全てを把握しているヴィヴィの手作りしか食べない為、どこかでのんびり食事をしているとも思えない。
借り物のギターをいつまでも湿気に晒すような無神経では無いし、あの寒がりがいつまでも外で指を酷使できるとも思えないので、少なくとも雨風の凌げる所には居てくれるだろうと考えた。
自分の知りうる情報を整理して、絞り込まれた先をくまなく探し回る。
楽器店のスタジオなどで、こんな人が来なかったかなどと聞いても答えてはくれない事は分かっていた。
なので、そう言う時はすぐ近くで営業しているティファニーさんの行きつけのお店に顔を出し、ティファニーさんのお使いでリュウを探しに来たと伝えると、みんな丁寧に答えてくれた。
「今日は見ていないよ」
「よく何処其処で見かけるけどねえ」
新たな情報をくれた善良な市民には全員にお礼をしっかり言って、重要な所だけ組み直すと、今日の足取りが少しずつ浮き彫りになった。
リュウはやっぱり街に出ていた。
朝方には駅前に居て、そこから近場を移動し、お昼すぎには小一時間河原で流れる水面に落ちる雪を眺めていたようだ。
可哀想に、もっと早く動けば良かった。
駅前で待ったって来るはずないのだ。
今日は待たなくて良いんだから。
寒かったろうに、せっかく暖を取りに行った先をものの数分で追い出されて、頑張って暇を潰したのに、許可が出ないので帰る事も出来ずに途方に暮れて居たなんて。
浮かれる街に背を押され、私の足も早くなった。
朝になって私が掛け直した事も、きっと気付かなかっただけ。
電話に出なかったくらいで怒る人じゃない。
これからの二日間、ソレイユで密接に人と交流する為に、一人の時間を満喫しているだけ。
祈るように、街中くまなく探し回り、隣駅近くの公園までやって来た時、ギターの音が聞こえて胸が躍ったけれど、しかし残念ながらそこに居たのは、二人組のストリートミュージシャンだった。
姿を見なくても分かる。
リュウの音じゃない。
声も違う、歳も違う、反動で気分は更に落ち込んだ。
ピアノでもギターでも、リュウの弾く音はすぐ分かる。
音楽のわからなかった私でさえその違いが理解出来る程に、リュウの奏でる音楽を私は体に染み込ませていた。
一日が終わってしまう。
あんなに早く出たはずなのに、もう、帰らなくてはならない時間が迫って来ていた。
一度家に戻って準備をし直して来なければいけない。
今日はティファニーさんと殆ど一緒に居られなかった。
ドレスを合わせる約束だったのに完成した自分のドレスを見る事も叶わなかったし、私がちゃんと準備をして来てさえ居たら、今日は一緒に眠れるはずだった。
これは、約束を破った私の罰だ。
相変わらず連絡は無かった。
いっそ怒ってくれた方が謝り甲斐もあったろうに、ソレイユからも指示はなく、私の携帯電話は沈黙を貫いていた。
期待はもうしていなかったけれど、それでも駅前をぐるりと一周見て回った。
音も声も聞こえなければ、目に留まる人すら居ない。
こんな時間のこんな天気に、いつまでも寒がりの人見知りが、外に居る訳が無いか。
きっともう家に帰って、大好きなお風呂に入って温まっているに違いない。
嫌なものも汚いものも、お風呂に入れば綺麗さっぱり忘れてしまう。
自分でそう言っていたそういう人なのだから、むしろそうであって欲しい。
綺麗さっぱり忘れて、また明日笑顔で会おう。
もたもたと歩いて、大通りにさしかかったところで、店先を掃除していたタバコ屋さんのおばあちゃんに声をかけられた。
「まあまあ、こんな時間に。お母さんが心配するよ。早く帰ってあげな」
「はーい」
この後は違う家に帰るのだとは言えなくて軽い返事をしたのだが、おばあちゃんはそれでも満足したらしく、使い捨てのカイロを渡しながらにこにこと見送ってくれた。
きっと彼女の言うお母さんは、私のお母さんよりだいぶ若い綺麗な人だ。
バスに乗って帰った先のお母さんは、どうせ私が出掛けて居たことすら知らないだろう。
どこに行ったの?なにしてるの?ごはんは?一人で出歩かないで、危ないでしょう!
そんな風に、わざわざ口煩く言われる所まで、好き好んで来ている自分はおかしいだろうか。
帰りを待つ人が居る。
待つ側の気持ちは知っているつもりだから、同じ気持ちで居てくれるのならば、私なら真っ直ぐ走って帰るのに。
待っててくれているのが分かっているから、私は走れたのに。
「まったく二人とも。今日はソレイユも忙しいでしょうに」
掃き掃除に戻ったおばあちゃんの呟きに、私の足が止まった。
「あの、リュウ、見ましたか?」
「え?あらあら、リュウちゃん迎えに来たの?入れ違っちゃったのね。さっき、しょぼくれて歩いてたから、チョコあげたのよ。二つね。アンナちゃんと半分こしなさいって言ったら「うん」って言ってたのよ」
一応聞いて、驚いた。
おばあちゃんはきょとんとして、少し前に駅に向かって歩いて行く所を見つけて声をかけたら「今帰るとこ」と答えていたらしい。
凍え切った足に熱が戻る。
そして駅前の広場に差し掛かった時、不自然な人のざわめきと、何かに呼ばれるような感覚を覚え、木の壁を周り込んで中を見た。
そしてその瞬間、あの時と同じか、あるいはそれ以上に、大きく胸が跳ねた。
初めてリュウに会ったその通りのその場所、私のお気に入りだった石のベンチの上に、開けっ放しのギターケースが乗っかっていた。
見間違いでは無いかと自分を疑い近付いて見たが、やっぱりそこには乱暴に置かれた白いギターが雪に濡れていた。
「可哀想に」
ぽつぽつと溶けた雪の粒が体を湿らせ、銀色の部分は触れただけで凍りそうな程冷たくなっている。
とりあえず手につくもので軽く拭きケースを閉めると、かすかにソレイユと、リュウの香水の匂いがした。
間違いなくこれは、マスターのギターだった。
辺りを見回したが、それらしい人影は無かったものの、すぐそばに龍の柄入りライターと煙草の空き箱、そしてベンチの下にバキバキに割れて壊れた携帯電話が落ちていた。
全部見覚えがある。
ここに居た。
ぎゅうっと胸の奥が苦しくなって、体温が上がるのを感じる。
コートを脱いでケースを守り、その場に座って持ち主が現れるのを待った。
体はほかほかしていたし、またそんなわざわざ怒られるような所に貴重品を放置したまま、何処かへ行ってしまったとも思え無かった。
いつかティファニーさんに追いかけられて逃げて行った時だって、すぐそこで捕まったし、すぐにマスターと近藤さんが保護してくれた。
もうすぐ会える。
会ったらちゃんと、約束をほっぽってしまった事を謝ろう。
リュウなら待っていてくれただろうに、飽きて持ち場を離れた事も謝ろう。
今日の一日を包み隠さず全部聞いて全部話して、お互いにご機嫌を取り合う仲直りをしよう。
待つって意外と大変なんだね、って。
いつもありがとうって、ちゃんと言おう。
そこでまたほくほくと待ち続けたが、いつまでたってもやっぱり待ち人は現れなかった。




