All I Want For Christmas Is You
赤、白、緑、金。
色んな所で、色んなものが主張している。
あと数日で色を変えてしまうディスプレイが誇らしげに街を飾り、ちらつく粉雪は恋人達の気分を一層引き立てる。
木曜の夜と言っても、祝前日の今日はいつにも増して街は賑やかだ。
これが例年通りの私でも「どこか寄ってみようか」と少しは楽しそうに考える所だが、今日はそんな物には目もくれず、一人駅前を走る。
待ちに待った木曜日、私に電話をくれたのはエルメスだった。
学校から帰って、朝から放置していた携帯電話を確認すると、どこかで見ていたんじゃ無いかと思うタイミングでソレイユから電話がかかってきた。
「アンナ、今大丈夫?」
「うん。エルメスから電話なんて珍しいね。ティファニーさんは?」
「昨夜から帰って無い。緊急事態なんだ。とにかく来て欲しい。必要なら迎えに行くけど、この後の予定は?」
のんびり屋のエルメスの、真剣かつ矢継ぎ早な声に何かを感じ取り、詳しい話も聞かないまま家を飛び出して来てしまった。
大急ぎで来ても、到着する頃にはすっかり夜だ。
「やあ、アンナ。だいぶ急がせちゃったみたいだね、ごめんごめん」
中に入ると、厨房で早速エルメスに会う事が出来た。
エプロン姿で包丁をふるい、にこにこしているエルメスはどう見ても緊急事態には見えなかったし、手を洗いながらお風呂かご飯かそれとももっと面白い事をするか聞く余裕さえある。
「ティファニーさんは?」
「お友達の所に遊びに行ってるよ」
「なんでそれさっき言わなかったの」
「優先順位を間違えちゃった」
「騙したのね」
「人聞きが悪いなあ、緊急事態じゃなきゃこんな事しないよ。意外と力仕事なんだから、これ」
「ティファニーさんは?」という私の質問は「昨夜から帰っていない」という返答で完結していたようだ。
帰ってやろうかと思ったが緊急事態は本当らしく、同じ建物の中に居るのにわざわざ電話をかけて呼び出されたルルによって、私は音楽室へ連れて行かれた。
中には、眼鏡に地元中学の校章入りジャージというすっかり気の抜けた姿のルイと、同じくもう寝るだけといった所まで装備を外した薄い顔のココが高めのテンションで迎えてくれた。
三人とも、元気いっぱいで安心した。
「緊急事態?」
「もう超緊急事態!大事件!とにかくまあここに座って」
促された床の上には、CDや楽譜、そして付箋の付いた結婚情報誌などが散らばっていた。
「ロンドンがプロポーズされる」
された、ではなく、される。
私に告げられた緊急事態の大事件の真相は、そんなハッピーなイベントの詳細だった。
十二月二十四日のクリスマスイブは、ロンドンの誕生日である。
彼女がこの世で一番愛している恋人の話は私もよく聞いているし、本人にもお会いした事があり、結婚に関してロンドンの方から詰め寄っては彼の覚悟が決まらずに「待て」を食らっている事も知っていた。
その小心者の彼が、ついに人生をかけた一大決心をしたようだ。
その瞬間をどうか、二人の恋路を見守り続けて来てくれた、思い出が沢山詰まった場所でもあるソレイユで迎えたい、そして背中を押して欲しいと、ロバート本人からの相談があったのだという。
それを聞いたこの精鋭たちは、どのタイミングでどうなるかも分からないプロポーズを少しでも引き立てようと、クリスマスソングに混ぜて、ラブソングでムード作りをするために集められた訳である。
トップシークレットであるこの事案、第一条件は秘密を守れる人であること、そして二人の幸せを心から祝う事が出来、楽器が弾けて、歌える事。
適任者は大勢いるが、真似しかできない私をその中に加える為、これから三人がかりで選りすぐりのラブソングを教えてくれるらしい。
私にもその重大なミッションを任せてくれること、そして私の準備にさえ当然のように協力してくれる三人の優しさに、俄然やる気が湧き上がった。
周りに合わせ、私もいつ強制シャットダウンしても良いように準備を整えるため、一度ティファニーさんの部屋へ寄った。
はしゃぎ過ぎて気がつかず、誰も突っ込まなかったけれど、私のコートの下はセーラー服のまま、すっぴんだった。
ベッドの下にそれらを隠し、支度を整えて、音楽室に閉じこもる。
まずは弾いてもらって覚えてから、私が加わり合わせていく。
曲を知っていればなんとなく形にできたり、楽譜が読める三人にとって、この最初の工程は面倒だったと思うけれど、誰も文句を言わなかった。
これまで一人で弾いて気ままに歌っていた時とは全然違い、それぞれが輝き主張するバンドでは、実力の差が歴然と炙り出される。
色んな楽器の音が最大限に解放されている中では、自分の音を探すのも一苦労で、歌声は熱気に掻き消される。
力の入れ方から、呼吸の仕方まで、全てが今までと違う。
ただ猛然と、心を重ね、想いを重ね、必死に近付く努力をした。
「完璧」
ただでさえ、いつもより余計に張り切った一週間を終え、日付が変わって間も無く。
回数を追うごとに積み上げられた疲労感が、その言葉で一気に解放された。
音楽室に居たはずが、気がつくと私は、狭い二段ベッドの下の段にルルとココと一緒に押し込められていた。
なんとか這い出て見渡した部屋は、ティファニーさんの部屋よりずっと暗くてごちゃごちゃしていて、窮屈だった。
二段ベッドの上の段は荷物置きになっているらしく、とてもすぐに使える状態ではなさそうで、溢れたもう一人は床の上に転がっている。
そんな慣れない部屋の中で私が動き回っても、ピクリとも動かない三人の邪魔にならないよう、そっと部屋を出た。
店は休みだというのに、厨房ではマスターとヴィヴィとエルメスが揃ってエプロンを付けて作業をしていて、ありとあらゆる調理器具が動いていた。
もう、パーティーの準備が始まっているのだ。
「おはよう、アンナちゃん。早起きして偉いね」
「お腹すいたでしょう。もうすぐ朝ごはん出来るからね」
まるで、絵本みたいな家族の輪。
その中に混ぜてもらいたくて、お手伝いを申し出た。
お手伝いと言っても、包丁は怪我が怖いし火はもっとダメだと言って、材料を計るとか、もう出来上がったパン生地を形成するだとか簡単なものだったが、それでも有り難がってくれた。
エルメスは時々味見と称してつまみ食いをさせてくれたし、マスターは何をやっても色んな言葉で褒めてくれて、ヴィヴィは自分がやっている工程を事細かに説明してくれたので、隣で見ながら勉強になった。
本番まで初めては取っておきたかったけれど、音楽室の音は真横のルイの部屋に響くというので、練習として店のピアノを弾かせてもらった。
マスターの注文だった。
昨日私達が何をしていたのか、彼に内緒にする方が難しそうだから、きっと知っているんだろう。
私は夢では無かったか確認する為にも、記憶を辿り指を滑らせた。
音楽室のピアノよりずっと新しい店のピアノは、音だけでなく鍵盤の幅や高さまでも少しずつ違っていて、触れておいて正解だった。
私はそこで、これまで練習して来たクリスマスの歌に混ぜ、優しい愛の歌を弾いて歌った。
下手でもいいから思い切り楽しんで。
思い通りに体が動く、お腹の底から声が出る、そんな時はいつも胸の奥から何かが沸き上がってくるような、びりびりして、どきどきして、ざわざわした感覚がとても気持ちいい。
大好きな場所で、大好きな人に囲まれて、そうすればもう私の世界はもう他の何も見えないくらいそこだけになる。
だから、耳と目と頭を無理矢理くっつけて覚えるよりも、ずっと自然に体に染み渡る。
楽しかった。
すごく、すごく、楽しかった。
「素晴らしい。それだけ集中出来たらあがることもないだろう。もういつでもステージに立てるね」
満足して鍵盤を閉じると、マスターが大きな拍手をくれた。
その向こうでは、いつの間にか帰宅したティファニーさんが、荷物も下ろさず笑顔で拍手をしてくれていた。
「ティファニーさん、おかえりなさい!」
ティファニーさんは助走までつけて飛びかかった私を嬉しそうに抱き止めて撫で回し、おはようとただいまとよくできましたを、全部まとめてキスしてくれた。
まだ少し冷たい洋服からは、コーヒーとティファニーさんのオフィスの匂いがした。
時期的に忙しいのか、それともこれから始まる連休の為か〝お友達の所〟で、つい先程まで仕事をしていた事がわかった。
「お腹空いてないですか?」
「もうぺこぺこ。倒れちゃいそう」
私は本気で心配したのに、ティファニーさんは私を膝に乗せて頬や髪を食んでは離してくれず、ヴィヴィが朝食の支度を進める匂いに誘われて、泥のように眠って居た三人も起きて来た。
こんな時でも無ければ滅多に揃わないという、ソレイユの賑やかな朝食の始まり。
「リュウは居ないの?」
私の作った不恰好なパンを頬張りながら、これで全員のはずの顔を見渡して、ティファニーさんが首を傾げた。
「アンナが居るから、もう居るものだと思ったのに」
ティファニーさんの言葉にハッとした。
昨日のうちにここへ私が来ている事を、リュウに伝えていなかった。
「リュウなら日も登らねえ内に一回来たよ。足音がうるせえって言ったらどっか行ったけど」
そう答えたのはルイだった。
床で寝て居たルイの耳には、リュウの踵を引き摺る癖のある足音がよく聞こえていたようだ。
一人早々に食事を終わらせて確認すると、ティファニーさんの部屋に置き去りにされた携帯電話はちかちかと光っていた。
いつもと同じ時間に、電話が来ていた。
掛け直したが繋がらない。
発信音すら鳴らなかった。
時刻は八時を回って居た。
ならば、今日は私が迎えに行こう。
コートだけ羽織って出て行こうとしたら、ティファニーさんに止められた。
急ぎたい私を椅子に座らせ、ルルとココまで呼びつけてメイクと髪を整えて、ティファニーさんが趣味で買い集めた若干可愛らし過ぎるお出掛け着まで着せられた。
「じゃあ、頼んだよ」
うずうずそわそわしている私の考えは、マスターにも言わずとも伝わっており、粉雪のちらつく街に、にこやかに送り出された。
私の週末に欠かせない、一人が足りない。
毎週毎週、おやすみとおはようを何より楽しみにして、ここから始まる一日に心を躍らせていたのに、これじゃあ始まらない。
駆け足で辿り着いたいつもの場所に、リュウは居なかった。
まだ来て居ないのだと思い、私はそこで待った。
街に出る人の数で、電車とバスの到着時間がよく分かる。
その度に、その中に一つ飛び出た頭が無いか、寒そうな黒い服の人は居ないか、懸命に目を凝らした。
会いたい人を待つ、そんな気持ちも初めて知った。
出会い頭に馬鹿にされたって構わない。
寒かったか聞かれても、平気だとさえ笑ってあげる。
そんな思いで、ただただ待ち続けた。
けれど昼を過ぎ、足元がすっかり白くなっても、リュウは現れなかった。




