Let's Follin Love
クリスマス目前、私の大好きな休日はその日もあっという間に終わってしまった。
ここはあくまで店である。
来てくれるのを待ち、帰るまで落ち着く場所と時間を提供するのが基本なのだから、当然誰も帰れなどとは言わない。
だからいつもは率先して帰宅する様にしているが、その日はどうも腰が上がらなかった。
それは分かっていたし、自分の為にもそうルールを決めて今までそうして来たのに、刻々と過ぎていく時間にため息ばかりが出た。
一ヶ月前、パーティーに参加する約束をしてから、ピアノの練習をさせて欲しいと正式に申し出て毎週レッスンに通う約束をした時、ティファニーさんは「これでクリスマスまで毎週アンナに会える」と喜んでくれた。
私が自分の足でここに来る事に理由をつけたら、お迎えまで寄越し、いつだって傍に置いて、大切に扱ってくれた。
それが来週終わってしまう。
クリスマスが過ぎたら、私がここに来る意味や、内側に居座る理由が薄れてしまうのではないかと不安になってしまうのだ。
来週の三連休は、きっと忘れられない素敵な日になる。
でもそんな楽しみが大きくなるほど、その後の事ばかり考えてしまって辛かった。
いつも最悪を考えて行動する悪い癖は、体に染み付いてしまって離れない。
失う覚悟をして、逃げ道を確保しておかないと、歩み寄れもしない自分が情けない。
みんながアンナを好きで居てくれる事に、まだ私は反抗していた。
抱えている秘密を晒して、表に返したい裏側を見せつけて、そうしたらみんなどんな反応をするだろう。
ボロは出始めている。
「それでも」と言ってくれる事も期待して、でも普通ならば言い澱む事も想像して、いつだって私は『アンナ』を捨てて『私』に戻る準備をしていた。
もやもやしている内にリビングの柱時計が「そろそろ」を告げる。
帰りのバスターミナルまでは、いつもリュウが見送ってくれる。
たまにティファニーさんも来るが、今日はリュウもそのまま帰宅すると言うので二人だった。
バスはとっくに乗り場に着いているのに、乗り込む足さえ重たくて、なんだかんだアナウンスに急かされるまでリュウを付き合わせた。
走り出して見えなくなるまで、ずっと見送ってくれる事を知っているから、有効時間は最大限に使う。
「またね」
「うん、また」
手を振る姿と温かい言葉が、一人でバスに揺られる帰り道の侘しさを、ほんの少し紛らわせてくれる。
わがままを言って甘えて、許される自分をどこかで責めながら、家が近付く度に浮かれた頭が冷めていく。
気休めの世界から、あるべき日常に帰る。
一週間が始まれば、やる事は沢山あるから大丈夫。
日常を変え、自分を変える為の準備をしなければならないから、それさえ希望とすり替える。
終点まで乗る人なんて私くらいの寂しいバスが、今日の役目を終えてふうっと大きく息をつくようにドアを開けた。
すっかり現実に戻りかけ、降りようとしたその先に、もう乗る事の出来ないこのバスを待っていた人を見つけて、心臓が止まりそうになった。
「おかえり」
手にはVサインを作って、リュウが悪戯っぽく笑っていた。
世界が歪む。
境界線が、歪む。
差し出された手を取って降り、手を引かれるまま少し歩いたら、バイクが停まっていた。
「追いかけてきたの?」
「まさか。俺のが早かったやろ?寒いし危ないから、乗せるわけにはいかんけど、俺一人なら別にどうなってもええしな」
「ばか」
「よう言われる」
「誰が言うの?そんなひどい事」
「アンナ」
寒さ故に身を寄せ合って歩く帰り道、リュウはご機嫌にふざけていた。
もう遊具も芝生も楽しい年頃では無いのに、小さな公園で道草を食い、わざと変な所を通って、畑ばかりの寂しい夜道に笑い声を響かせて歩いた。
途中の自動販売機で買ったカイロがわりのホットコーヒーも冷めてしまって、へらへらしながら歯を食いしばる横顔は滑稽で、マフラーを貸してあげたら喜んでくれたけど、代わりに大事な手袋を渡そうとするので断ったら寂しそうにされた。
極端な寒がりの癖に、持ってる物を全部渡そうとして、こんな所まで笑わせに来てしまう優しさが、ただ嬉しかった。
私は、まるっといっぱい詰まったバケツから、こぼれた分だけ分けてもらえれば十分なのに。
「ありがとう。元気でた」
「良かった。元気無かったもんな、今日」
「隠せてなかったかあ。実は私、月曜日が嫌いなの。週末楽しかったから、余計にさみしい」
「奇遇やな、俺もや」
「私だけかと思ってた」
「俺らだけかもしらん。運命やな」
弱気な本音をひとつ吐けば、心がすっと軽くなり、優しい言葉がすぐさまその隙間を埋めて満たしてくれる。
いつかルイと夜の公園で雪合戦をした事があったが、あの夜とはまた違う、温かいものが満ちていた。
自宅を目前にして、リュウが不意に「これあげる」と、ポケットから小さな箱を取り出して私に握らせた。
「開けてみ」
光の下にかざして見ると、それは手のひら程の大きさで、綺麗にリボンのかけられた上等な箱だった。
少し身構えて、促されるままリボンを解く。
蓋を開けると、枠で仕切られた箱の中には、四人の天使が収まっていた。
それぞれ少しずつ色が違い、この寒さの中でさえ分かる、甘い香りが漂った。
「チョコだ」
「好きやろ?」
「うん!」
目を輝かせて喜ぶ私を見て、リュウも満足そうだった。
「今週は四日だけやん。小っさいけど、ご褒美あったら頑張れる?」
「すごく頑張る」
「ほどほどでええよ。良い子にしてたら、サンタさんがもっとええもんくれる」
「私もうそこまで子供じゃないよ」
「女の子はお嫁に行くまで貰えるねん」
冗談みたいな、お会いした事のないサンタさんの話を聞いて、私はますます次の週末が楽しみになった。
今の私には何もあげられる物が無いので、せめてものお返しにと、マスターに習った通り、ゆっくりと心の中で三秒、目と目をしっかり合わせて見つめ合い、ふっと笑って心からお礼を伝えると、リュウはつられてそれはそれは嬉しそうに笑った。
にこにこしてたらへらへらしちゃうと言ったでしょう。
誰かを笑わせたかったら、笑いかけてあげる事だよ。
人は鏡。自分が表に出した感情は、そのまま周りにうつるのさ。
もやもやしてたら、周りもみんなもやもやしてしまう。
ご機嫌で接しておやり。
確かに覿面だった。
今度はもっと沢山買ってくると言い出したので、これは男の子の喜ばせ方としてマスターに教わったのだとすぐに白状した。
これは無闇に使ってはならないと言い付けられている事も教えてあげたら、また笑われた。
本当に家の目の前まで送ってもらい、今度は私がリュウの姿が見えなくなるまで見送った。
部屋に入ってから散々悩んだ末に、貰ったばかりのチョコレートをひとつ食べた。
今まで食べた事が無いくらい、香り高くなめらかで、甘かった。
残りは今週、言う事を聞いて毎日ひとつずつ食べて無くなってしまっても、木曜日の夜にはきっと電話が来るから大丈夫。
チョコレートより甘いご褒美があるから、大丈夫。
携帯電話を握りしめ、待つ事一時間。
着信を知らせるランプだけが付き、私はすぐにかけ直した。
「ごめん、起こしてもうた」
「ううん、起きてた」
「ちゃんと家着いたよ」
「よかった。おかえりなさい」
「ただいま」
「今日は本当にありがとう。あったかくして寝てね」
「ありがとう」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が切れるまで携帯電話は耳から離さなかった。
家に着いたら電話をくれるよう、もう良いものを沢山貰っておいてまだお願いした私のわがままを、リュウはちゃんと聞いてくれた。
そんな行動のひとつひとつが私の中に居場所を作り、私の心は満ち満ちて形を歪め、今にも弾けてしまいそうだった。
知りたくなかった。
大きすぎて驚いた。
知らないふりをして、気付かずに平気なふりをしていたかった。
そうしているうちに、本当に平気になって、それが普通になれば良いと思っていた。
失いたくないから、壊したくないから、目を背け、口に出さない事を選んできた。
電話ひとつがこんなにも嬉しい。
待つ間も、切れるまでも、ずっと嬉しい。
誰かに言われたらなんとも思わず聞く癖に、自分がお願いする側になるとワガママだと思ってしまうのはきっと、私は本当は何も持っていないからだ。
分けられる物なんて何も無いのにあげたくなって、できない自分が大嫌いで、自分が本当は可愛くない事を誰よりもわかっているから。
「おかえりなさいアンナ!今日は随分と遅かったじゃないの。心配していたのよ」
家に着いたら電話する。
それはティファニーさんが私と決めた、二人の約束。
決壊しかけた境界線が、揺るがせてはならない覚悟まで壊そうとする。
黒い何かと赤い何かが、私の中で、もやもやと正しい道の邪魔をする。
それはいつか、私を貫く武器になるのに、内側に閉じ込めておくのももう限界だ。
ああ、なんて、盲目。




