Dreams
そして次の週末を迎える前に、私の望んだ日常は勝手に向こうから私の元へやって来た。
あんなに騒いで迎えた週の初めの月曜日は、半日で終わってしまった。
そこから「感染症の流行による学級閉鎖」のため、私はこれ幸いと、一人部屋で趣味と勉強に明け暮れる数日を過ごしていた。
昼間、家の人間が出払った後は、部屋でマスターから借りたギターの教本や推理小説を読み耽り、ヴィヴィ特製のジャムやナッツペーストを色んなものに付けてお腹を満たし、その他の時間は全て勉強をしてみせる。
遊び歩いていたって受験生。
最近新しく目標ができたので、それに向かって出来うる限りの悪足掻きに精を出すため、日曜日に本屋で散々悩んでたっぷり買い込んだのは参考書や問題集の類だった。
そしてなんと、無くしたと思っていた財布は、紙袋を二重にされて雪よけのビニールまでかけられたその中に入っていた。
最後に行った本屋で、親切な店員さんがそれまで買った本も一緒に大きな袋にひとまとめにしてくれた時、きっと自分で入れてしまったのだ。
探し物はずっと自分で持っていたなんて、おとぎ話なら教訓にもできたろうに、誰にも話す気になれなかった。
馬鹿馬鹿しくて本当に申し訳無くて、リュウに会うのがまた複雑な気分になった。
訳を話し、謝罪すればまた「ええよ」と許してくれるだろうとは思う。
けれどそんな私に対し、倦厭だ敬遠だとされてはたまらない。
またしにたくなる。
これからも私は、ソレイユに少しでも関わって行きたいのに。
机の上には参考書、本棚がいっぱいになったら床に積み上げて、書き終えたノートは壁に貼り付け、椅子の背と足元に毛布を常備し、引き出しには非常食。
手に届くところに欲しいものを何でも持ち込み籠城した。
ソレイユで見込まれた記憶力と集中力を存分に発揮させて、意識が飛ぶまで連日連夜、目一杯勉学に励んだ。
こうしている間は誰も文句を言わないし、誰の文句も聞こえ無くて、快適だった。
木曜日の朝も、人の気配を感じて目を覚ましたら、机に突っ伏した状態で額に消しゴムが引っ付いていた。
外はもう十分明るかった。
先日から急にやる気を出した冬将軍のお陰で屋根がすっかり白くなってしまって、朝日を眩しく部屋に送り込んでくるのだ。
目覚め出した体が、すぐさま違和感を感じ取る。
なんだか人の声が近い。
やけに近い。
不思議に思って、カーテンを開けると、屋根から飛び出た頭と目が合った。
私の部屋は一階と二階の間、本来なら部屋として数えない倉庫のような部分であるが、傾斜している一階の屋根の一番低い所だとしても、そこに頭を届かせる為には身長が三メートル程必要である。
おかしな話だと気付いただろうか。
しかし本当に、屋根の向こうに、人間の頭が生えていたのだ。
濃い色のジャンパーに、目深に巻いたタオルと真っ黒なネックウォーマーで顔を八割隠し、手にはデジタルカメラ。
手こそ届かないが、その表情を十分に見ることが出来る距離にひょっこり飛び出た怪しすぎるその顔は、目をまん丸く見開いて固まっていた。
永遠のような一瞬だった。
カーテンはすぐ閉めた。
「えっ?!嘘、待って!……ちゃうねんっ!」
どんなに服装を変えた所で、その目の色は忘れない。
ガタガタと脚立を揺らし、体が屋根にぶつかる音とよく分からない叫び声がしばし聞こえた。
「馬鹿野郎、暴れんなリュウ!いっぺん降りろ!」
怒鳴られて、頭は引っ込んで行った。
間違い無く、リュウだった。
再び登ってくる気配は無かったので、窓から身を乗り出して先程見かけた辺りを確認すると、雨樋が酷く歪んでいた。
そういえば、いつか私が雪ごと落ちて破壊したんだっけ。
彼等はその修理の依頼を請けた街の小さな工務店で、下見に来ていたようだ。
古い家なので、雪の重みで壊れた事になっていた。
また明日来るそうだ。
そんな内容を、自分の部屋で耳を澄ませて聞き取り、私が居る事などすっかり忘れて立会っていた兄は何度も謝られて逆に申し訳無くなったのだろう、私を貶して謝り返していた。
帰り際、窓から様子を見ていると、顔を全て晒したリュウは、やっぱり最後にこちらを見上げたので、手を振ったら笑ってくれた。
すぐに横に居た強面の男性に気付かれ、頭を掴まれて下げさせられていたので、私も二人に頭を下げ返した。
『私』の日常に、『彼』が現れた。
昼過ぎに、電話が鳴る。
自分からかけて来たくせに、小さな声でごにょごにょと何を言おうか迷っている風だったので、私の方から驚かせてしまった事を謝った。
財布の件を報告すると無言で笑っているのが電話越しにも分かったし、月曜日から仕事があるのに、迷惑をかけてしまった事をこれまでの分まで重ねて謝ったが、それもまた「ええよ」の一言で終わった。
お互い体調を気遣い合い、そして「また土曜日に」と電話を切る。
今まで大して存在意義を感じていなかったただの機械を、こんなにも大切に思ったことは初めてだった。
手の届くところにある安心感、余りある幸福。
必要なものばかり集めた机の上とは相対的に、好きなものやお気に入りばかり集めたベッドの上に、また一つ大事なものを持ち込んで、自分もその一部になる。
そこには、アンナの痕跡ばかり。
もう彼等は、両手を広げて待ち構え、私が私の足で向かう場所では無くて、向こうから勝手に迎えにやって来る。
おかえりと言ってみせるくせに、ただいまと言わせに来る。
根っからのお人好し達が、親切の押し売りにやって来る。
興味を持たれないように、大きな期待をされない様に、ただ平凡に生きていたくてそうして来たつもりだったのに、ある人はそれを見抜いて、ある人はそれもひっくるめて、ある人は気付かないふりをして、そんな私に興味と好意を持って見てくれる。
向こうがその気なら、私だってそうであろうじゃないか。
私が『アンナ』である事を望むなら、そうなってみせようじゃないか。
全部さらけ出して、それでも「いいよ」と言ってくれるなら、これ以上居心地の良い場所は無いだろう。
手を伸ばせば、誰かに届く。
差し出された手は、握り返しても良い。
そんな温かな希望で満ちた毎日が、これからもやって来る。




