My Favorite things
ランチにティファニーさんが連れて行ってくれたのは、街中に佇む古い小さなお蕎麦屋さんだった。
威勢の良い主人に出迎えられ、奥の座敷に通されて「出血大サービスてんこ盛り」の豪華な食事をご馳走になった。
その後は、以前のお買い物と同じ様に、ティファニーさんのお気に入りのお店を巡って歩き、私も時々お邪魔していたアンティークショップにも行った。
「なんだ、ソレイユの子だったのか」
店主は私を見るなりすぐに思い出したらしく、ギターの話を振ってきた。
今はマスターに綺麗にしてもらい、自分でも少しだけ弾けるようになった事、そして売るのはもう暫くやめておくと報告すると、とても喜んでいた。
ティファニーさんはそこでビーズとレースを、私はヘップバーンのポストカードを買った。
ここはマスターやエルメスも贔屓にしているし、店主は客としてソレイユにも来るのでみんな顔馴染みだそうだ。
それからティファニーさんは、ソレイユで世話になっている青果店と、ヴィヴィの友人が営むお菓子屋さん、ロンドンのもう一つの職場や、ルルが昔アルバイトをしていた神社、ココの通う古着屋さんと、ルイが気に入っている楽器店などを案内してくれた。
どこに行ってもティファニーさんはティファニーさんで、どこで誰に会っても、話しかけて来る人は私の事を「ティファニーさんのアンナちゃん」として、そして「ソレイユの子」として扱ってくれた。
「この街の人はみんな良い人でしょう。何か困ったことがあったら、必ず誰かが助けてくれるわ。だからアンナも、沢山頼って、沢山甘えて良いんだからね。ソレイユの子たちは、みんなそうやって大きくなったんだから」
ティファニーさんは、以前一緒に出かけた時よりも、ずっと私に近い位置で笑ってくれていた。
「あと、あれ。顔が怖いけど、やっぱりあれは役に立つわ」
そう言って指差された先には、ファーストフード店の窓際の席で、ポテトを齧る近藤さんが居た。
「出来たらお世話になりたくは無いですね」
「味方にしておくと便利なのよ」
顔を見合わせて、二人でくすくすと笑い、また同じ方向を向いて足を進める。
大切に思う人達の大切なものや、好きなものを知り共有する事は、一人で抱えきれない重い荷物を分け合うよりもずっと効果的に心を軽くしてくれる。
そこに人が二人いれば、楽しい事は二人分、悲しい事は半分になる。
人数が多くなれば多くなるほど、それはどちらも楽になる。
その調達先と預け先をティファニーさんは一日かけて教えてくれたのだった。
見張っているんじゃない。
いつだって、見守っていてくれたのだ、私のことも。
駅前に戻る頃、仕事帰りのサラリーマンとは違う、黒い影がどっと増えた。
「最近、黒、増えたわね」
「冬はみんな暗い色ばかり着たがるんです。だから多く見えるだけじゃないですか?」
集団が真横を通っても、もう私はちっとも怖く無かった。
「でも、出歩く時は気をつけてね。いつ何が起こるか分からないのが人の世なのよ。明るい色を着ていても、悪い人は居るし、特に白髪頭のフランス人には絶対について行かないで」
「偏見です」
「違うのよ、人種で偏見を持っている訳では無くて、流暢な日本語でよく喋るフランス人っぽいくそじじいが本当に居るのよ。乱暴な事こそしないけど、口が達者だから耳を貸してはだめよ」
目をきつく見張り、ツンと唇を尖らせるティファニーさんは、いつもよりなんだか少し幼く見えた。
「ティファニーさんもそういう言葉使うんですね」
「私なんて言った?」
「くそじじい」
「忘れて!」
慌ててティファニーさんは、その人は『ポール』さんであると訂正し、ソレイユの過去の住人であった事を教えてくれた。
ソレイユに居たという事はこの街にも当然馴染みがあり、一般的に言う〝悪い人〟でも無いので防ぎ様も無いのだが、ティファニーさんにとってはカラーギャングよりも頭を悩ませる〝天敵〟なのである。
欲しいと思うと何が何でも手に入れたがる強欲で、思った事は全部口に出してしまうお喋りで、自己中心的で意地悪で、そのくせ好みが似ているので、ティファニーさんはいつもお気に入りを取られてしまって喧嘩ばかりしているのだという。
クリスマスパーティーで会えるかと聞いたら、お仕事が忙しい方なので、毎年直前にならないと来るか来ないかは分からないらしい。
何も言わずにひょいと帰って来ることもあって、まさしくマスターが慌てて私とリュウを帰したいつかのあの日(私に似ているヒーローがソレイユを賑わせていたあの日)、近藤さんはただポールが街に帰って来ていることを伝えに来てくれたのだった。
ティファニーさんにもマスターにも、それは何より一刻を争うタイミングの悪い出来事だった。
ポールが街に来ているとの情報を得て、来ているからにはソレイユにもやって来ると読んで、お気に入りが取られてしまっては大変だから、慌てて隠した。
あの日の二人のアイコンタクトの理由が分かって、申し訳ないけれど私は笑ってしまった。
ゆるみだしてしまった頬が抑えきれなかった。
あのマスターにさえ厄介者扱いされるポールに、私は俄然興味が湧いた。
大切なものを守るように、ティファニーさんはぴったりと私に張り付いて足を早める。
そのままバスに乗ってしまっても良かったが、「おかえりなさい」が聞きたくて、ソレイユに帰った。
*****
「ただいま」
いつもよりずっと早い時間に家に帰ると、居間のこたつは母に占領されていた。
こたつの上に散らばった仕事関係の書類やスケジュール帳にペンを走らせ、テレビを見ながら電話をして、文句を言いながらりんごを食べていた。
器用な人だ。
一応、気配を感じたので声は掛けたものの、身体中どこも忙しそうで、それ以上触れずに部屋に戻った。
メイクを落とし、パジャマに着替えてベッドに転がると、冷んやりとしたシーツが私から熱を奪っていく。
沈み込む体に、心まで落ち込んで、寒い部屋はとても居心地が悪かった。
「おかえり。寒かったでしょう。雪はまだ大丈夫だったかい?」
ドアを開ければ、こもっていた暖かい空気と良い匂いがまとわりついて、冷え切った頬を優しく撫でる。
私が口を開く前から、決まり文句がかけられる。
そんな様式美を、ふとこんな所でまで求めてしまった自分に少々苛立ちを覚える。
〝でも〟
ソレイユでは、それが普通だった。
手招きされて席に着き、温かいお茶で体を休ませて、趣味の時間を楽しみ、お腹が空く頃にはご飯が出来ていて、お喋りしながらお腹を満たす。
今夜は雪が降るらしいね、それじゃああったかくして寝なくちゃねと、他愛無い話をして、本を読んだりテレビを見たり、各々好きなことをしているのに同じ部屋で過ごし、お風呂に入って温まった体を毛布に挟んでそのまま眠れたら、どんなに良かっただろうか。
今や遠い昔話のように、急に手の届かない所にある日常が恋しかった。
今までこうして生きて来たのに、今更いじけてどういう事か。
ここではこれが私であって、色んな所で色んな顔をする代わりに、一番ちょうど良い所を探して居座って来たはずである。
それが一番正しくて、私の為になる事だった。
それが私の正義であって、一人になって冷静に物事を考える時間を持つ事は、傷つかない為に必要不可欠だったのに、今はこの時間が心底憎らしい。
境界線を壊してはいけない。
線を引き間違えてはいけない。
失敗したらしにたくなる。
黒いもやもやがやって来る。
分かっているのに止められない。
もはや、これは毒だった。
本当は、初めて店に足を踏み入れたあの日あの瞬間から、私は知ってしまっていたのだろう。
寝ても覚めない永遠の夢を見るような、
一度知ったら決して忘れる事が出来ずに、もっともっとと欲しくなる、
甘い甘い蜜味の毒。
意識をなるべく遠くへ飛ばそうと努力をしていたら、カチカチと聴き慣れない音を立てながら震える携帯電話の音が私を呼んだ。
「もしもし、アンナ?お家着いた?」
「はい、今ちょうど連絡をしようと思っていた所です」
「そう、良かった。声が聞けて安心したわ。ごめんなさいね、遅くに。しっかり降り出して来ちゃったから心配で……。今日は本当にありがとう。楽しかったわ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「ゆっくり休んでね。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ティファニーさん」
電話は、しばらく繋いだまま、切れる様子が無いのでこちらから切った。
今日付けたばかりのストラップに馳せる思いと、かけられた言葉の余韻に浸りながら、言われた通りに目を閉じる。
世界が曖昧になり始めた。
眠れたのか眠れなかったのかさえ分からないが、再び目を開けた時、外はまだ暗かった。
もう朝に差し掛かってはいたと思うが、カーテンの向こうは重く暗く、太陽が見えなかった。
早く、明日にならないかな
明日は日曜日。
私のための、休日だ。




