Honesty
まだ通りの店は殆ど開いていない時間に出発してしまって、一体どこへ行くのかと尋ねると、ティファニーさんはいたずらに笑った。
「私の秘密、教えてあげる」
開いてないなら開けたらいいのよ、などと、お姫様らしい台詞を吐いて向かった先は、大きなビルの一階にあるドレスショップだった。
何度か店の前を通った事はある。
いつもショウウィンドウには豪奢なドレスが並んでいたので、目の保養に横目で眺める程度には存在を把握していたが、用が無い為入るどころか入ろうと思った事も無かった。
「クリスマスパーティーは、みんなおめかしするの。あなたもステージに立つのだから、ドレスが必要でしょう?」
店の入口にはもちろん「close」の看板がかかっていたのに、ティファニーさんは平気な顔をして、正面から中へ入った。
鍵はかかっていなかった。
「おはようございます。ティファニーさん」
上品なベルの音を聞き付けて、スーツ姿の清楚な女性が私達を迎えてくれた。
「おはよう」
「おはようございます、お嬢様。お待ち申し上げておりました」
彼女は、青柳さんと言う。
「お会いできて光栄です」
頬を薔薇色に染めて喜ぶ彼女もまた、私の知らない所で私を知り、私に対して他ならぬ好意を持っている人物のようだった。
店の中は、其処彼処に様々なタイプのドレスが並んでいた。
それこそ結婚式で花嫁さんが着るようなものから、その結婚式に参列する人の為のもの、ダンス用の派手なものや、ティファニーさんのようにステージに立つありとあらゆる人の為のものまで、幅広く揃っている。
バッグや靴に始まり、ヘアアクセサリーや男性用の小物類まで、パーティのための準備はここで全て揃うだろう。
レースにシフォン、チュール、サテン、ベルベット。
素材の数だけで目がくらみそうだ。
好きなものがあったら青柳さんに渡せと言われたものの、その青柳さんは白い手袋を装備していたので迂闊に手は出せなかった。
それだけ高級という事だ。
ただ大人しく付いて歩き、いかにも女の子が好きそうな、金のドアノブの付いた真っ白なドアをくぐった先の個室で、私は下着姿にされた。
部屋の中を全て写しこめる程大きな鏡の真ん前に立たされて、事前に青柳さんが用意したドレスをティファニーさんが端から私に着せていく。
脱いでと最初に言われて断れなかった私は、もうされるがまま人形のように立ち「かわいいですね」「この色素敵」と無難な感想を述べる事しか出来なかった。
最初に用意された物と、途中で二人が足したものを全て着終えて、サイズを計り、着せ替え遊びは終了した。
「ここには無いわ」
散々試着をした癖に、ティファニーさんは呆気なくそう言い放つ。
これが良いと私が決定打を出さなかったせいかと思って焦り、「どれも素敵で、迷っちゃいました」と、開店前から準備をして待っていてくれていた青柳さんの手前、このまま終わらせる訳にはいかないとフォローしてみる。
「無いなら作れば良いのよ」
私の心中を察して、ティファニーさんは優しくそう言った。
さらに店の奥へと進み、「staff only」の扉を抜けて階段を上ると、そこは作業場を兼ねたオフィスだった。
この店のドレスは、殆どがここでひとつひとつ手作りされているらしい。
更にその奥の「社長室」に、ティファニーさんは躊躇いなく入って行くので私も続く。
窓を背にした革張りの椅子と広い机、盾や表彰状が並ぶガラスの戸棚。
まさしくその通りなその部屋のその椅子に、ティファニーさんはどっかりと座った。
「ここ、私の秘密基地。マスターも知らないの。ここにあるものを全て私は自由に出来るし、その価値だって分かってる。そしてその価値に見合う対価を支払う能力だって持ってるわ。だから安心して、うんとわがままおっしゃいな」
朝日を背に浴びて凛と微笑むその人こそ、今や知る人ぞ知るドレスブランド『Marianna』のチーフデザイナー兼創業者である事など、説明されても頭が追いつかなかった。
ドレスショップ・マリアンナ。
元来ここは、発表会やコンサート用のロングドレスを作る小さな会社だった。
様々な理由から着たいドレスがなかなか見つからない人達の為に、完全受注生産でたった二人の従業員が、オーダーメイドのドレスを作っていた。
しかしその洗練されたデザインと仕立ての良さから次第にファンが増え、口コミで評判が広がり、たった数年で瞬く間に急成長を遂げた。
現在はこのビル全てを買い取って人を雇い、国内外の工場と契約もして、多種多様なドレスや小物までもを手広く扱う立派な企業だ。
社長室を堂々と使っていながら、表向きはもう一人の創業者であり実際に店長を務めている『ホリー』さんと言う方が代表という事になっていて、ティファニーさんの名前は伏せられている。
影で実権を握り、面倒な事は全部人に任せて、わがままを通しているのが性に合っているのだそうだ。
独特のセンスと日本人離れしたスタイルから、彼女もまた自分に似合うドレスとなかなか出会えない一人であった。
自己満足から作り始めたものの、それが噂になり、話題になり、現在に至る。
かつてソレイユで働いていたホリーさんととても仲の良かったティファニーさんが『マリアンナ』のドレスばかり着ていることや、週に何日も居座っている事を誰も気にしないが、実際は真面目に、そして一人前に仕事をし、自身も納得の行く最高傑作を身につけているだけなのだった。
「私に教えて良いんですか?秘密基地」
「アンナには隠し事をされたく無いの。だから話してしまおうと思って」
「私は随分と偉い立場になったんですね」
「初めからそうよ。私はあなたに興味津々。聞きたいことが山ほどあるわ」
「聞かれたら答えます」
「上手に〝本当〟を隠しながらね」
机の上の書類たちを選別し、作業スペースを作り終えたティファニーさんは、目を細めて私を見た。
「どうしてマスターにも内緒にするんですか?」
「マスターは私にもっと大きな隠し事をしているからよ」
「言わない優しさも、この世には存在します」
「あなた、なにか知っているの?」
「何も知りません。聞いていないので」
胸の内に秘めておく事、それが正しい時もある。
それが、人の安寧を守る時もある。
その選択が出来た私の事を、マスターは「優しい」と褒めてくれた事がある、ただそれだけの事だ。
ティファニーさんが熱心に机に向かって作業をする間、私は青柳さんとストラップ作りで暇を潰した。
色とりどりのリボンから好きな物を選び、ビーズやチャームで飾り付ける遊び。
トップに置いたハートのプレートには「ANNA」と刻印まで入れさせて貰った。
ティファニーさんにもお褒めの言葉を頂き、色違いでもう一つ作った。
二度目は青柳さんの手を借りること無く一人で作り上げることが出来たが、シックな色を選んだらなんだか寂しい気がして、新しい方にはイミテーションのダイヤチェーンとお花を追加したら今度は可愛くなりすぎた。
この短時間で、ティファニーさんが私のドレスを既製品から選べなかった気持ちや、デザイナーという仕事の大変さを少しだけ実感した。
完成してから透明なフィルムで包み、簡単にラッピングする。
見栄えの良いリボンの結び方は覚えておくと便利だからと、青柳さんが丁寧にいくつも教えてくれた。
出来上がった物をティファニーさんにプレゼントしたら、泣かしてしまった。
十二時きっかりに、ティファニーさんのお腹が空いたので、本日のお仕事は終了。
机の上にはいくつものデザイン画と生地のサンプル本が積み上げられていたが、そのままにしておくよう言い渡された青柳さんが社長室に鍵をかけた。
「いつでもいらっしゃいね。アンナはどの入口からでも自由に出入りさせてあげるわ」
「入口がそんなにあるんですか」
「裏口があるの。あそこよ」
通りを出て、ビルをぐるりと回ったと思ったら、ティファニーさんは見覚えのある細い路地を指差した。
今では何も無いただの通りで、確かにマリアンナのビルに入る為の地味な出入口は存在していたのだけれど、私達は二人ともその通りに入ろうとはしなかった。
私はここを知っていた。
ほんの二ヶ月ほど前に、秋口頃に、ここの砂を舐めた。
……気がする。
「あそこが、さっきの部屋ね。あの窓からは、この街がよく見えるの」
同じビルをなぞって、上の階の大きな窓を指差したティファニーさんは、少し険しい顔をしていた。
「だから、いつでもいらっしゃい。お茶もお菓子もあるし、綺麗なおもちゃも大きなソファも、秘密を守ってくれる信頼していい人も沢山いる。好きな時に好きなだけ居たらいいわ。そういう所は沢山あった方がいいでしょう」
秘密は絆を強くする。
私の事情さえ汲み取って、真実を知る彼女は全て飲み込んで、私に向かって綺麗に笑った。
『言わない優しさ』
そんなもの、私がわざわざ得意げに言うまでも無く、彼女はよく知っていた。




