Love is Blind
「アンナ、付き合って」
今日はティファニーさんとデートの約束だった。
だから張り切ってオシャレをして、先日の反省からいつもより早めに行動をしてやって来たのだが、店に入るなり目を真っ赤に腫らしたルイにいきなり腕を捕まれ、店内を素通りして音楽室へ連れて行かれた。
カウンターの中のエルメスとロンドンに事情を聞こうと助けを求めたものの、口を開く前にただ大きく頷かれ、合掌された。
意味が分からない。
不安しか無い中、すっかり背中が丸まって小さくなったルイと辿り着いた先で「ああ」とその言葉しか出てこないくらい、納得した。
音楽室の床の上には、可愛らしいピンクのワンピース姿で不倫の歌を熱唱するココが居た。
裸足になってべったり座り込み、ピックも使わず、綺麗に整えられた爪でそのままショッキングピンクのエレキギターを搔き鳴らし、時々しゃくり上げながら、黒い涙を流して叫んでいる。
しっかり盛って巻かれていたであろう髪はボサボサで、顔は真っ赤、大事なつけまつげは取れて服に付いていた。
酷い有様だった。
傍らには目の下にクマをつくったルルがエレキベースを抱え、ティファニーさんも側には居たのだが、二人ともただ黙って座っている事しか出来ない様だった。
「失恋したんだって。慰めてやって」
そんなの見れば分かる。
痛々しく、十分に伝わって来てしまっている。
「オレもね」
「ああそう、残念ね」
ついでの情報はどうでも良かった。
ルイが泣いていた理由が分かったところでティファニーさんに話を聞くと、ココは昨日の夜、休みのはずなのにふらりと店に現れ、いきなり泣き出したらしい。
理由を聞いても何も答えず、マスターに音楽室へ詰め込まれ、ただ泣き散らかして夜を明かした。
お気に入りの服に新品の下着で着飾って、普段は短く整えるだけの爪には色が付いていた。
それは、女の子なら誰でも分かる。
久しぶりに恋人に会える、そんな幸せな夜のはずだった。
結局誰も本当の深い所は知らないが、ココの恋が終わった事は明らかだった。
初めての恋人で、高校生の頃から青春の全てを捧げて来た。
それが、終わった。
「何回か別れたりくっ付いたりしてるんだけどさ、ここまで酷いの初めてだから、こっちもお手上げ」
「またその内戻って来るよ」と慰めたルイは、左頬にストレートパンチを食らったと言うので、今度こそ本当に〝終わった〟のだろう。
語る事が出来るのもココだけだが、言葉にせずとも、行動全てが、事実と悲しみを伝えて来ていた。
ルイは、自分の彼女よりもそんなココを優先した為に振られた。
デートの約束があったのに他の女を優先したとあれば、それは彼女が怒るのも無理ないだろう。
慰めの言葉も思いつかない。
ルイ本人は全く後ろめたい事など無いので黙認していた携帯電話の覗き見も、私を含めた犬みたいな嘘臭い女の子の名前ばかり並んでいる履歴に不信感を抱かれるのは避けられない事態であり、今回の件は決定打となったようだ。
「家族が最優先」がルイのモットーである。
それが理解出来ない彼女とは家族になれない、だからこれはこれで良かったんだと強がると、ココの泣き声は一層激しくなった。
「ココを責めてるんじゃ無えよ!もう泣くなよ、死ぬぞ!」
泣くなと言われて、少し静かにはなったが、ギターを弾く手は止まらなかった。
まだ、最新の失恋ソングを弾いている。
ああ。そうしたいんだ
自然と理解して、自然に体が動く。
私はそんなココにぴったりと寄り添って、乾いた歌声に声を重ねた。
これは、ココの想い。
吐き出したくてもうまく出て行ってくれないから、代弁するように。
少しずつ、ココはすすり泣きをしながら何曲か弾き続け、私はその指をしっかりと目と耳で追いながら同じ様に歌った。
私が手元を見ている事に気付いたのか、途中からゆっくり弾き始め、いつしか歌うのをやめたココは、だいぶ落ち着きを取り戻し始めた。
「爪、綺麗。この色可愛いね、ココによく似合う」
「ありがと」
「せっかくお洒落したのにね」
「うん」
また、涙が溢れ出る。
私はそれを受け止めるように、ココの頭を抱きしめた。
今度は、私がそうしたいと思った。
心の底から、今、彼女に触れたいと思った。
目に見える傷がなくても、弱り切って助けを求めている人は、こんなにも見て取れるものなのか。
愛しいとさえ思い、ぼろぼろになったその体を、どうにかしてあげたい気持ちになった。
「ココは何も悪くない。ちょっとくらい悪口言ってもいいんじゃない?」
「できない」
二人にだけ聞こえる小さな声で語りかけると、ココはそれだけ答えて、また泣いた。
それが全て。
彼の為の世界一可愛い女の子になったのに、見てもらえなかった。
それでも、恨む事も怒る事もせず、ただ受け入れるしかない、そうで在りたいと彼女は決めたのだ。
ただ、いくら答えが出ていても一人で受け止めるには大き過ぎて、そっと背中を支えてくれる手が欲しかった。
大好きな彼を手離すために、裏切りで受けたマイナスは信頼のプラスでゼロに戻さないといけない。
店に着くまで、安心できる顔に出会うまで、必死で堪えて来た涙を止める権利は誰にも無い。
全部流すために、ここまで来たんだから。
「大事にされて来たんだね。幸せだった?」
「……うん」
「じゃあ全部正解だ」
震える背中は、熱かった。
預ける体は重く、声を殺す為に噛み締めた顎は肩に刺さって痛かった。
でもそれは確かに、心が通った証だった。
自分でどうしようもないくらい、整理ができない頭の中を、誰かの言葉が解してくれる。
私にもその経験があったから、今、出来た。
すすり泣きが静かになって、静寂を取り戻した音楽室。
私の肩を枕にしたまま、疲れ切ったココの電池が切れた。
ぴいぴいと小さく鳴きながら、穏やかに上下する体を、私はとても心地よい気持ちで眺めていた。
体を動かし、ギターを取っても、もうびくともしなかった。
「こりゃ、しばらく起きねえな。酒入ってるし」
ふっと安心感が広まり、沈んでいた空気が軽くなった。
下を向いていたそれぞれが、そんな空気を目一杯吸い込んで天井を仰ぎ、ルイはその場に寝転んだ。
「アンナちゃん、ありがとう」
それまでずっと黙っていたルルが、やっと口を開いた。
「あー。疲れた」
おどけてみせながら楽器を仕舞う横顔に、光るものが見えた。
「ココはルルに会いに来たんだね」
「勘弁してよ」
振り向いたルルは、照れながら笑っていた。
ココとルルは、小学校から大学生になった現在までずっと一緒、楽しい事も悪い事も二人で何でもやって来た大親友。
『ココ』も『ルル』も、子供の時から呼び合うあだ名だ。
お互い難のある性格なのは百も承知の上で、好きな事を言い合い、喧嘩する様に会話して、居心地の良い関係を作ってきた。
唯一無二の存在であるはずのその自分が何もしてやれなかった事をルルは悔やんでいたけれど、私はただ、疲れ切ったココの最後の理性を搾り取って強制的に落としただけだった。
そもそもココは本来ならば、一部外者の私如きに、あんな姿を晒せる人では無いのだ。
いつも自分の好きな物で身を飾り、自分の中で正しいと思う事をして、いつだって格好良い自分で在りたい人。
私がどうにか出来たのは、ルルがこの場に、ずっと一緒に居てくれたおかげだ。
どんな事も受け止めてくれる、自分に何があっても決して離れて行かないと信じているから。
だからこそ、助けを求めにやって来たのだ。
彼は多分、ココ以外の人と結婚するか、もうご家庭がある人だったんだと思う。
彼の心はもう自分に向かない、それどころか、確実にもう手に入らない所へ行ってしまった。
ルイの放った「家族」と言う単語に酷く反応していた事と、自分が身を引く事を最善としたココの判断から、あくまで私の憶測でしかないけれど。
そんな彼でも、まだ好きなのだ。
愛しているからこそ、彼の決意を飲み、彼の幸せを願う事を決めたココは、強いし、カッコいいと思った。
でもきっとそれは、彼の幸せな人生から溢れてしまった自分を、受け止めてくれる場所があったから。
それまで当然のように与えられて来たものが急に無くなるのは、誰にとっても辛いこと。
それが大きければ大きいほど、それを埋める代わりが早急に必要なのだ。
ここにならば、無償で配るほど愛は溢れている。
しかし、かつて恋愛ジャンキーだった姉の数多き男性遍歴がまさかこんな形で役に立つ時が来るとは思わなかった。
当時はただ迷惑だったのに、泣きながら部屋で聞いていた失恋曲リストがまだ頭に入っていて良かった。
初めて見直した。
知識とは本当に財産である。
「明日は我が身だな、アンナ」
「なんで」
「アンナちゃん、そんな危ない彼氏いるの?」
「いないよ」
「頻繁にお泊りさせてくれるボーイフレンドは何人か居るじゃん」
「いじけるならもっと可愛くいじけなよ。一緒に泣いてあげる気にもならない」
「うるせえ、ブス」
ルイはこれでも(緊急事態とは言え)デートをほっぽって来た側なので、事が解決した今、自分が犯した過ちを反省しながら責められている気持ちになっていじけているのだ。
口にこそ出さないが、顔が全て語っている。
本当にわかりやすい。
自分に素直で感情表現が激しめのルイは、本当は内緒話が苦手。
それでも自分から聞き出して言い出したんだから頑張って欲しい。
殺されてしまったらどうするの。
いじけたい奴は、いじけ倒して寝てしまえ。
「大丈夫だよ、ルイ。ルイはチビだし、顔もそこそこだし、口は悪いし性格も微妙だけど、どっか良いところひとつくらいあるはずだよ」
「そう言う時はどっか良い所の具体例を挙げるんだよ。探せよ。泣くぞ」
乾いた笑いがこだまする。
口を止めたら、きっとみんな寝てしまうだろう。




