夢はひそかに
帰り道、駐車場のある大きな公園に車を停めてもらった。
「どうした?雪合戦なら今度にしろ」
「ううん、ここで降りる」
「なんで」
「家すぐそこだから」
呆れる私を見て、ルイは素直に車を停めて降ろしてくれた。
手短に挨拶をして別れ、公園の中を小走りで横切る。
家はまだまだ遠かったが、歩けない距離では無かった。
暖房で火照った体を、冷たい夜の空気で冷ます。
しかしどうにも具合は良くならず、風が心地よく感じたのも数分だった。
もう降り止んではいたが、あの雪の後ではベンチはどこも使えないし、居心地が良い場所では無いけれどある程度風も凌げて座る場所を求めてトイレへ逃げ込んだ。
洗面台の大きな鏡の前に立つと、大きなため息が出た。
睨みつけても目を見張っても、顔色の悪い自分しか写らないのに、確かにそこに黒い影が居る。
時計を見たら二十三時近かった。
以前聞いた話では、ルイも確か専門学校生だったから、明日は学校のはずだ。
こんな時間まで付き合わせてしまった。
私が勝手な生活に、巻き込んで迷惑をかけてしまった。
ルイのことも、やかましいとは思っているけれど、疎ましいとは思っていない。
むしろ今日こうして言ってくれなかったら、私はみんなにもっともっと大きな迷惑をかけていたに違いない。
いつだって私はソレイユの皆に対し、なにか返せるものがあればと思っているのに、彼らは何も受け取ってくれずに与えてばかりで、私はそれに平気で甘えることが、当たり前になってきている。
私が笑っていれば笑い返してくれるから、それを良しとして来てしまった自分が居る。
お腹の底や笑顔の裏に気を配れなかった、人の心を聞くための耳を、違う事にばかり使っていたせいだ。
ここの所、勝手に眠りにつく週末が続いていたので、こうして日々の行いを反省する時間も無かった。
後回しにしたツケが回って来たのだ。
どこかで線引きをしないといけない。
それは分かっていたはずだ。
今一度大きく息を吐いて気合いを入れトイレを出る。
自分の世界に戻るため。
しかし、そこにはルイが立っていた。
境界線の、向こう側の登場人物が、まだそこに居た。
「お前ん家、ちっちぇーな」
今の今まで、ロックの余韻と雪で足音に気付けなかった自身の気の緩みと、決意した直後の不意打ちに、何も言えなかった。
「トイレくらい素直に言えよ、思春期か。ほら、行くぞ」
眉間にしわを寄せて、相変わらず機嫌が悪そうな顔をしているが、語尾は優しかった。
コックコートの上に薄っぺらいジャンバーを羽織っただけの寒そうな格好で、ルイは私に背を向けて歩き出し、暫く歩いてから私がついて来ていない事に気付くと「い・く・ぞ!」と地団駄を踏んでいた。
「なんで居るの。ついて来ないでよ」
「女の子一人で夜道歩かすなって教えられて育ってんだよ」
「近頃の女の子は防犯のために自宅まで送らせないんだよ」
「知るか」
「もう良い。じゃあ今日はここを家にする。眠い。バイバイ」
「やめろ!なら連れて帰る!ほら、おんぶしてやるから早く来い!」
少し慌てたようにルイはその場にしゃがみ込んで、無防備に手を後ろに回して〝おんぶを迎える形〟で吠えたので、近付いて背中を押して倒してやった。
後ろに回した手は受け身に間に合わず、顔面から見事に刺さって震えていた。
結局雪玉を投げ合う事になった。
静かな初雪の夜の公園に、どうしてそんな事をしているのか分からなくなるまで、ぎゃはぎゃはと品の無い笑い声を響かせた。
ルイは、まるで王子様。
みんなが優しくしてくれて、誰からも当然愛されると思っている。
だからいつも自信満々で、ありのままぶつかって来る。
真っ直ぐな言葉を吐いて時に警戒される言葉を使っては、その鋭い目でよく人を観察し、受け入れてくれる人だけを見極めて近付き、そばに置く。
表情を見て、言葉を聞いて、空気を読んで、段取りを組んで、その人との距離を決める。
自分が傷付かず、相手も傷付けない、丁度いい所を見つけるまで、何度でも観察してやり直す。
探して探って、線を引く。
それを、無意識のうちに、感覚で行っている。
けれどもルイは他人が思うより、そして自分自身が思うより、ずっと繊細で脆い。
だから、ぶつかり過ぎて、ボロが出る。
自分を過信するあまり、一度踏み込んでしまったら、後戻りが出来なくなる。
傷付いても、また信じようとしてしまう。
嫌な思いをしたのなら、近付かなければいいのに。
一度失敗したのなら、切り捨ててしまえば無かった事になるのに。
きっと、今までだってそうして来ただろうに。
だからこんなにも沢山の、自分の味方ばかり周りに集めて来たんだろうに。
ルイの中の私は、私が思うよりずっと彼に近い所に位置付けられていたようだ。
私が十二時までに家に帰らなければならない事を、ルイは知っていた。
もちろんリュウに教えられて、コンビニの前で懇願されて、だからあんなにイライラしていた。
厳しい物言いをした事に対して、ルイはあくまで自分の個人的な見解であると付け加え、小さく謝られた。
本当の事はリュウにしかわからないけれど、ルイにとってはリュウもティファニーさんも大切で、私の事も少なからず可愛いと思ってくれていて、誰にも泣いてほしく無いから踏み込んでしまった。
知ったら馬鹿馬鹿しくなった。
結局もう少し車で送ってもらい、今度は笑顔で「おやすみ」と挨拶できた。
しばらく車は動かなかったけれど、今日はその重低音が背中を守ってくれている気がして心強かった。
*****
いつも通り屋根を伝って部屋に向かう途中、私はついに足を滑らせて落ちた。
慌ててよじ登り直して、家の中の音に気を配らせる。
家族は各自、それぞれの部屋で自分の時間を楽しんでいた。
屋根から落ちた雪の音など、些細なものだった。
濡れた服を脱ぎ散らかして、自分の布団に潜り込む。
やっぱり今日の寝床は、寒くて冷たい。
不意に、冷たく静かになった頭に襲いかかって来た黒い何かから逃げたくて、秒針の音だけ集中して聞いた。
毎日学校へ行き、適度に友達を作って遊んで、手を掛けさせず、勝手に一人で何でも好きなようにして、平凡でいる事を望む両親の前に、今の私は出られない。
普通で無い事をして、悪い事をしている自覚があったから、玄関からは入れないし家の中でさえ息を潜めてこそこそしている。
それが何だか落ち着かなかった。
携帯がちかちか光って、ティファニーさんから何度か電話が来ていた。
かけ直すと、コール音も鳴りきらないうちに高い声が響いた。
「ごめんなさい、今帰りました」
「良かったわ、声が聞けて。おかえりなさい。おつかれさま」
私は何もしていないのに、電話の声は優しかった。
「ただいま」
ふっと、体が軽くなる。
この天気で、ルイも帰って来ないので心配していたらしい。
一番大変だったのはルイだろうと、代わりに労ってくれるように頼んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみ、アンナ」
電話の最後に添えた一言にも、ティファニーさんは優しく返してくれた。
魔法の解ける十二時が来る。
外から入る明かりを受けて、本棚に光る靴を眺める。
どんなに嫌な思いをしても、手放し難い物。
私をソレイユに導いてくれた魔法の靴は、あの日から私の宝物として大事に飾ってあった。
あの夏の日に靴を拾った王子様は、小さくてボロボロで、ちっとも純粋でも可憐でも無く、ましてや美しくも無い私を見て、何を思うと言うのだろう。
いくらハッピーエンドのおとぎ話になぞらえてみたって、本物のお姫様を見て来た人が相手では、物語も始まらない。
そうで無くては困るのだ。
嘘が苦手なルイが秘密を増やすのだって楽じゃないから、きっとこれが最後の警告。
夜が明ければ、いつだって最悪のことを考えるいつもの私に戻れるだろう。
「私は、ティファニーさんが大好き」
甘い夢が見れるよう、祈りを込めて目を瞑る。




