ヒーロー
「ビンゴ」
おかえりでも、いらっしゃいませでも無く、その日ソレイユで一番最初に私を迎えてくれたのは、カラフルな頭をガチガチに固めたちゃらちゃらした男性だった。
続けて、テーブル席を占拠して居た女性グループも言葉を揃えて歓喜の声をあげる。
ソレイユのしっとりとした雰囲気にはややズレる、陽気な集団だった。
対して私は、可愛くない新しいあだ名に若干不服だった。
「やっぱりそうだ、本物だ」
男性はひゃははと声高らかに私を指差し、同意を求められたティファニーさんは深いため息と共に頭を抱えて項垂れた。
「嘘だと言ってちょうだい、怒らないから」
「なんで?彼女はヒーローだよ!」
男性はその高すぎるテンションのまま、リュウを押し退けて私に握手を求め、持ち上げただけの手を両手で掴んでぶんぶん振り回した。
「初めまして、『ロバート』です。知り会えて嬉しい!」
どうやら歓迎されていたらしく、落ち着けないままテーブル席の女性達も次々と私に近付き握手を交わした。
ロバートは元ソレイユの店員で、現在は美容師をしているらしい。
三人の女性達はそれぞれロンドン、ココ、ルルと言い、なんとソレイユで働くアルバイト店員だと紹介された。
私がソレイユに最後に来た日、四人は同じ場所で私を目撃していた。
私の姿をしっかりと見て、私の一挙一動、事の全てを記憶していた。
そう、私が暫く街に出られなくなった原因である、あの事件の現場に居たのだ。
なんて世間は狭いのか。
ココとルルは、大学で組んでいるバンドの練習帰り。
仕事では無かったが、音楽談義と空腹を満たすためソレイユに向かって歩いていた所、今まさに少年が引き摺られて行く瞬間を目撃。
ロンドンはカフェでのアルバイトを終え、次の仕事へ向かう途中。
セット専門の美容師を本業としている彼女は、仕事前に頼んであった商品を受け取るため、顔なじみのドレスショップを訪れていたら、血相を変えて飛び込んできたルルとココによって事件を知った。
ロバートは通り沿いサロンで仕事中。
お客さんを見送るためにドアに手を掛けたら、異様なバイクが店の前を通り過ぎた。
そうして現場で落ち合った四人は、警察を呼び、救急車を呼び、エルメスにまで電話をかけ、店の備品や自分の持ち物を惜しみなく捧げた上に頼れるものは全て頼って力にし、一時はまるでスローモーションの様に狂った時の流れを、正常に戻す作業をこなしてくれた。
彼らが私を認識したように、私も彼らを覚えていた。
その場を動けなかった私の代わりに、頼もしく働いてくれたその声は、きちんと私の耳に届いていた。
まさかソレイユの関係者だなんて思ってもみなかったけれど。
四人は事が済んだ後、ソレイユに来てこの話で盛り上がった。
現場は騒然としていたので、どんな人がどんな事をしていたのかなんて殆どの人間が覚えていなかっただろうし、一人や二人入れ替わっても気付かれないと思っていたのに、彼らの中で「ギターを持った髪の長い女の人」は特別なものに映ったらしい。
颯爽と現れて、我が身を省みず人を助け、何も言わずに姿を消したヒーロー。
何か深い理由があったのかも知れない、だから彼女の為に秘密にしようと大きな声で語った。
ここにいる人達は、なんでも共有したい性分なのだろう。
その大きな内緒話は、今度は近藤さんに繋がった。
ついさっき起きた事件のこと、そして、その被害者である少年が「ギターを持った髪の長い女の人」の話をしていたこと、そして「彼女も怪我をしている」らしいこと。
それを聞いたマスターやルイが、何を思っただろうか。
想像するのは容易であり、納得した。
たった一晩の出来事。
私の武勇伝は、こうして警察関係者を巻き込んだ小さな騒ぎに発展し、ティファニーさんの顔から笑顔を消したのだった。
怪我をしている所を保護し、手当てをして、休息と十分な栄養を摂らせ、信頼できる人間に任せて送り帰した。
人として至極真っ当な行動をとった彼女が何故こんなにも消沈しているのかと思えば、全て私のせいだった。
ルイから貰ったはずの動画を見ようと、日曜日の朝、帰宅して確認した携帯電話はバッテリーが切れていた。
充電しながら電源を入れてみたら、鬼のような着信履歴と分刻みのメールの山に、私は私である種の恐怖を覚えて距離を置いてしまった事も災いした。
今思えば、あの時既にこの事件も私の嘘も、白日の元に晒されていた訳だ。
街中にソレイユの関係者が居る。
彼らは私を監視し、その情報は逐一報告される。
私の妄想もここまで来れば天晴れである。
ティファニーさんに背を向けて、はしゃぐ声をおさめるように手で制し、一人一人の顔を見る。
「ごめんなさい」
まだぽかんとしているリュウを見て、それからティファニーさんの気配を伺って背を向け、口元に一本指を立て、誰にでもわかる「ひみつ」の合図を送った。
「私、あの日はここで、ティファニーさんとずっと一緒に居たので」
嘘は吐かずに本当の事を言いながら、その後ろに隠し事。
そんな小細工は、ここで覚えた。
「だからきっと、人違いじゃないかしら」
ここではダメです、詳しいことは言えません、見なかったことにして、これ以上喋らないで下さい、そんな色々を全て含ませてもう一度顔を見回す。
四人とも、目をキラキラと輝かせて頷いた。
ここに居る人間しか知らないのなら、ここに居る人間を黙らせてしまえ。
その気にさせたままならば、扱うのも容易かった。
「あなた生き別れた双子の姉妹とかいるの?」
「居たかもしれません。生き別れてしまったので覚えていないんですけど」
まだ整理のつかないティファニーさんに、私は話を合わせてあげた。
その後、仕事を抜けてわざわざ来ていたロバートを皆で見送った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
嬉しそうに元気良く手を振って駆けて行く彼の背を、ロンドンだけがいつまでも手を下ろさずに見送り続けていた。
二人は幼馴染で、家も隣同士、幼稚園から専門学校までずっと同じ所に通って来たそうだ。
実はロンドンの方が一つ年上で、幼い頃から面倒見が良く、ロバートはずっとその後を追いかけ続け、学生時代は「ロンドンがいるから」というだけでアルバイト先まで揃えてしまった大の仲良し。
「二人は恋人同士なの」
補足説明を受けるまでも無い。
でも耳慣れないその言葉がくすぐったくて、思わず上がった口角を手で隠した。
今日のティファニーさんの隣には、丁度いいのがもうあつらわれて立っていたので、私はテーブル席の女子会に混ぜて貰い、ヴィヴィが「味見」と称して出してきた新作のパンケーキをご馳走になった。
彼女達は、私をとても気に入ってくれたようだった。
口の中を甘いもので一杯にして、ほっぺにまで溢れさせてつつかれて、きゃらきゃらと賑やかな声が私を包む。
向けられているのは、好奇でなく好意。
尊敬と、賞賛。
悪くはなかった。
カウンターの中ではエルメスが店番をして、ティファニーさんはリュウと並んでコーヒーを飲みながら三人で談笑をしていた。
そこにも、笑顔の花が咲いていた。
私がそうかも知れないと言ったから、ティファニーさんは、まさか信じた訳ではないだろうけど、自分の納得の行くぎりぎりのところで線を引いて飲み込んでくれた。
たとえ真実がどうであろうと、私自身が核心に触れないという決断をした事を、この場にいた全員が分かってくれて、そこには明確な境界線が生まれた。
秘密を共有した人の輪は、それぞれの細い繋がりを重ね、より密度を増して濃く太くなる。
黙っている事が正解。
お腹の中に隠しておけば、不満も不快も、その内勝手に減って行く。
どこまで歩み寄っていいのかを少しずつ確かめながら、人は人と交友関係を保つ。
最初はゆっくりでも、その内に気を使う事も忘れてしまう。
全ては丸く、ソレイユという名の小さな店の中におさめられた。




