POP STAR
帰りのバスの心配を始めた頃、音楽室のドアが開き、マスターが低い声でティファニーさんを呼びにやって来た。
先程は隠していた威圧感をしっかりと表に出し、明らかに不機嫌そうだった。
そしてその後ろからひょっこりリュウが顔を出し、私を見付けてまた驚いていた。
「あら、まだ呼んでないのに」
「なんで呼ばんかってん」
「呼んだらすぐに来ちゃうんだもの」
文句を言ったリュウに対し、言いつけを忘れ、一緒になって遊んでいたティファニーさんはいじけたように小さく答えながら私の後ろに隠れた。
「すぐに来てほしいから頼んだんだ」
マスターが怒っている原因もどうやらその事の様だった。
「別にわざわざそんなの呼ばなくってもオレが送るよ。ギターもあるし、もう夜は寒いだろ」
「ギターは置いていった方がいい。今日はゆっくり休んで、弾きたかったら明日またいらっしゃい」
遊び足りないのかティファニーさんを気遣ったのか、少々反抗したルイを軽くあしらい、マスターは表情をなるべく柔らかく戻して私に語りかけた。
「今日は外が騒がしい。それに、厄介なのがうろついているから、二人とも早めに帰ったほうがいい」
声を潜め、視線だけで外を見やるマスターの言葉に、空気が張り詰める。
私にも心当たりが無い訳では無かったので、ぎゅっと唇を結んだ。
「ここに居れば安全よ」
「それはどうかな。目をつけられる訳にいかないんだよ」
そう言ってマスターは私を見つめ、リュウを見て、まだ不貞腐れているティファニーさんへと視線を移し、意味深に小さく頷く。
ティファニーさんはそれに倣って視線を動かし、何かに気付いたのか口を大きく開けて固まってしまった。
わざわざ不信感を抱かせるような仕草を見せなくてもいいのに、ちょっと意地悪だと思った。
何か隠している。
それも、隠している事をあからさまに見せつけて、さらに大きなことを隠してる。
きっと、私に言えない何かがある。
私が隠して言わないから、あえて隠しているのか。
知っていて試すのか。
それなら本当に意地悪だ。
急かされるまま荷物をまとめ、裏口から外に出ると、すぐ側に黒い大きなバイクが停まっていた。
一瞬ひるんだ私を、ルイは見逃さなかった。
「今日お前を運ぶ馬はコレだぞ。嫌だったら今言え」
「嫌じゃ無いよ。乗った事ないから、ちょっとびっくりしただけ……」
よく見れば今日も、リュウが身につけているものは黒ばかり。
あの忌まわしいアレとは違うことくらいちゃんと分かるが、正直少し怖かった。
細い路地裏に響くエンジン音が、脈打つ心臓の音をさらに強くする。
「絶対に目を離さないで。アンナを送ったら、あんたも真っ直ぐ家に帰るのよ」
真横ですごむティファニーさんの話を聞いているのか居ないのか、リュウはヘルメットを被りながらうんうんと適当に頷いていた。
「お前、本当に転んだのか?」
その様子を遠巻きに見ながら、ルイが真横で囁いた。
その目は、厳しく私を睨みつけていて、真剣に聞いているのだとすぐに感じ取ることが出来た。
ルイは、何かを知っている。
「転んだのは、本当」
嘘はつかなかった。
眉間のシワは、ずっと濃くなった。
「まあいいや。あとでうんざりする程携帯鳴らしてやる」
もたもたしている私を、ティファニーさんが世話を焼き始めたので、話はそこで切り上げられた。
ああ、ついに繋がってしまった。
電話番号まで正直に教えてしまった事を少しだけ悔やんだ。
おやすみなさいと送り出され、よく考えたらまともに話をした事もない人と二人きり、同じ目的を持ち、同じ所を目指して、走る。
おかしな話だ。
二度目だが。
黒いバイクに黒い服の男と、ギターを持った髪の長い女は、確かに今は街から離れていた方がいいだろう。
一緒にしておくには違和感があるけれど。
初めて乗ったバイクの後ろは、思ったよりも高くて大きくて、寒かった。
革のジャケット越しの背中は硬く冷たく、エンジンの音とフルフェイスのヘルメットのせいか声をかけても返事はない。
しかも信号待ちで止まる度に私の存在を確認していたので、もしかしたら落っことしても気が付かないんじゃないかと不安になった。
「あかん、間に合わん」
バスの通り道をそのまま走っていたと思ったら、ふと小さな小さな声でため息まじりに焦りの声が出た。
「あの……」
「ごめんなさい、寄り道しますけど、どうか信じてついて来てください」
ついて行くもなにも、文字通り背中にくっ付いているだけの私には行き先の権限など無く、とりあえず頷くと、バイクは並び連ねる車の列をすり抜けて脇道に逸れた。
そして暫く走ると、静かな住宅街に入り、停まった。
着いたのは、小さな古いアパートだった。
外観はそれでも小綺麗に修繕されてはいたが、なにより外灯の下、元は絶対そんな色では無かったと思われる鮮やかな水色の壁に書かれた「如月荘」の文字が歴史を物語っている。
「あの、ここは?」
「俺ん家です」
なぜ。
しんと静まり返った夜の駐輪場に、ひゅううっと高い音の風がぬけていく。
ふと、帰り際に念を押して言いつけていた、ティファニーさんの言葉が浮かんだ。
アンナを送ったら、あんたも真っ直ぐ家に帰るのよ。
寄り道するとは言ったが、まさかアンナを送る前に真っ直ぐ自宅に帰るだなんて思っても見なかった。
私が聞いていなかったティファニーさんとの約束には、時間制限でもあったのだろうか。
「すんません」
謝られてしまった。
「良かったら、寄ります?」
「いいえ、結構です」
「すんません」
食い気味に謝られてしまった。
意図が読めずに私の表情が強張っていくと、リュウの背中はどんどん小さく丸まっていく。
困惑しているような、反省しているような、思いもよらない反応に私の方まで焦る。
「今日はありがとうございました。大丈夫です。ここからは一人で帰ります」
「ダメです、そんな事したら俺が怒られます」
このなんとも言えない空気から逃げ出したくて、そそくさと立ち去ろうとした私の腕を、リュウが力強く掴んで制した。
そして、黙り込んでしまった。
言葉を失ったのか次の言葉を探しているのか、フルフェイスのヘルメットの向こうの表情は読み取れない。
それでもまだ任務遂行を諦めてはいないのか、手は離れなかった。
「大丈夫です。私、あなたが不利になるような事は誰にも言いません。心配でしたら、ソレイユにももう行きません。もともと一人で帰るつもりでしたし、これ以上お手を煩わせる事も……」
ちくちくと黒い物が狙ってくる。
湿っぽい澱んだ空気が息苦しくて、逃げ出したかった。
「どうか、俺の事怖がらないで下さい」
離そうと手を重ねたら、続いた言葉にひるんで解くことが出来ず、同時にリュウの手には更に力が入った。
「雨が降ります。そしたら走れないし、ソレイユには今戻る訳にいかない。でもそんな格好のあなたを乗せたままじゃ、多少危なくても急ぐという事が出来なくて……本当にごめんなさい。どうにか準備するので、待っててもらえませんか」
微かに震える声を張り上げて、手袋越しに熱を感じる。
夜風に冷え切っていた私の手までもが、みるみる熱を帯びていく。
「俺は味方です。あなたを守りたいと心から思っています。信じてください」
人の心が動く時、そこには風が吹く。
私に纏わりついた黒いものを吹き飛ばして、二人で手を重ねたまま、駐輪場のトタン屋根に当たり始めた、雨の音をしばらく聞いた。




