第26話 危機一髪からの危機一髪
料理を届けた部屋から出てきたのは、なんと輪熊月乃だった。さすがにこれは想定外だ。
「なーんだ、浅葱じゃん」
「陰キャのくせに、カラオケボックスでバイトかよ。似合わねぇな」
後ろからぞろぞろと出てきたのは、同級生どもだ。揃いも揃って、ここに来てたのかよ。
「ちょっと、みんなやめてあげてよ」
「そうよ。料理持ってきたのよね、受け取るわよ」
からかう連中ばかりがいる中、輪熊と八高の二人は台車の上から料理をテキパキと運んでいく。俺のやることがない。
だけど、中に入ればあいつらに遊ばれるのは分かっている。だから、俺はここから動かなかった。
そうしている間に、料理が全部テーブルへと移されていた。
「それじゃ、浅葱はバイト頑張ってな」
「頑張ってね、鴨太くん」
八高と輪熊の二人は、俺にしっかりと言葉をかけていた。
あんまり慣れないことだったせいか、俺はしばらくそこで立ち尽くしてしまう。
(お、応援されたのなんて、多分初めてだ……)
からかわれたことで少し滅入ってしまった気持ちが、だいぶ軽くなったような気がする。
俺はこんな気持ちになったのは、一体いつ以来だろうか……。
(っと、いけねえ。今は昼の時間だ。早く戻らないと)
俺は少し恥ずかしくなりながら、バックヤードへと台車を押して戻っていく。
バックヤードに戻ると、先輩から声をかけられる。
「浅葱、ちょっと遅かったな。部屋、迷ったか? ……っておい、どうしたんだ?」
座っていた先輩が、急に立ち上がって俺を見ている。
なんか、おかしいところでもあるんだろうかな。
「浅葱、顔真っ赤だぞ。熱があるんだったら、早退けしてもいいからな。測ってみるか?」
「いや、大丈夫ですよ。……そんなに赤いですかね」
「おう、真っ赤も真っ赤。耳まで赤いぞ。さすがに感染症とかうるさいからな。無理そうだったらいつでもいってくれ」
先輩はものすごく動揺をしている。
でも、俺が大丈夫なのは、さっきまでで分かっていることじゃないか。
「赤いのは、きっと別の原因ですよ。だから、大丈夫です。ちょっと、トイレ行って顔を洗ってきます」
「あ、ああ。今はたまたま暇だが、すぐに戻ってこいよ。部屋がフルで埋まってんだからな」
俺は先輩の声を背中に聞きながら、頭を冷やそうとしてトイレへと走っていった。
トイレにやってきた俺は、本当に顔が真っ赤になっていて相当びびった。
多分、原因はあれだろう。八高と輪熊の二人のせいだ。
うーむ、女の子にちょっと応援されただけでこうとはな。我ながら情けない話だと思うぜ。
でも、ちょっとだけぼっち陰キャから脱せた気がする。うん、今日のバイトもやり切って、俺は確実に変わるんだ。
気合いの入った俺は、顔をとにかくしっかりと洗い、バイトの仕事へと戻っていった。
そして、夕方の4時になり、俺はバイトを上がる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ。次は明日だったか。よろしく頼むよ」
「はい、頑張ります」
挨拶を交わして、俺はバイト先のカラオケボックスを退店する。
五月の4時はまだまだ明るい。俺はゆっくりと家に向かって歩き出す。
ところが、少し進んだところで、会いたくない連中の姿を見つけてしまう。
(げっ、なんでここにいるんだよ!)
そう、輪熊たちだった。
あいつらは4時間フリータイムで出ていったはずなのに、なんでまだカラオケボックスの近くにいるんだよ。おかしいだろうがっ!
こうなると、ここの道は使えない。しょうがない、回り道を使おう。
俺は仕方なく、一本裏の道を使って帰ることにする。
ところが、これもまたこれで予想外なことに出会してしまう。
しばらく歩いていると、なんだか遠くが騒がしくなっている。
気になった俺がそこへと向かっていくと、信じられない光景がそこにはあった。
(く、くまっ?!)
なんてことだろうか。町の中に熊が現れたのだ。
ここのところ、人里に降りてくる熊のニュースをよく聞くようになったが、まさか自分のところに現れるとは、いったい誰が想像しただろうか。
「くそっ!」
俺は熊に向かって走っていく。
「背中を向けて逃げちゃいけない。目を逸らさずに後退りをしてくださいっ!」
俺は必死に呼びかける。
俺の声が届いた範囲の人たちは、死にたくないということで俺のいうことを聞き入れてくれた。
俺は対照的に熊へと立ち向かっている。
正直、バカだとは思うよ。だけど、一度でいいから熊とは触れ合ってみたかったんだよな。間違いなく変人だろうがよ。
そういえば、春先に会った子熊は元気にしているかな。
俺は熊と対峙ながら、そんなことを思ってしまう。
しかし、熊はそんな俺の気持ちがわかるわけがない。俺の方へと熊の視線が向く。
はっきりいって怖い。だが、俺が引きつければ、少しでも多くの人が助かる。
(近くに川があるな。ここを下ってきたのか)
俺がちらりと横を見れば、すぐ近くに大きな川が流れている。ここは山からも近いから、タイミング次第では目立たない。そうやって熊はここまで来たのだろう。
俺に対して熊が近づいてくる。
さすがの俺も最悪を覚悟する。
そんな時だった。
「ベアーキーックッ!!」
聞いたことのある声と共に、黒い影が熊に蹴りを食らわせていた。しかも、大きな熊がよろめいている。
……マジかよ。
「ここは私の縄張り! よそ者は山にお帰りなさい!」
俺の目の前に立っていたのは、なんと輪熊月乃だった。




