第16話 体力測定が始まる
今日はお昼前に体育がある。
今日の体育では体力測定なるものをするらしい。体力に自信のある私は、どんなものかとわくわくしている。
「ずいぶんと楽しそうね、輪熊さん」
「うん、すっごく楽しみ。思いっきり体動かせるんでしょ?」
どこか嫌そうな顔をしている八高さんに対して、私はにこにことした笑顔で返事をしている。
でも、この体力測定では神様からは注意を受けている。
私は油断をすると、ツキノワグマとしての能力を発揮してしまうので、とにかく人間の能力の範囲で済ませるようにといわれている。
だけど、人間らしい能力ってどんな感じなのからなぁと、私にはまったくといっていいほどピンとこなかった。
まぁ、普通にしていれば問題ないよね。
朝の時点では、私はまったくといっていいくらいに気にしていなかった。
そして、体育のある四時間目を迎える。
学校には体育の時に使える更衣室というのいうのがあって、そこで制服から体操服に着替える。
さすがに今日で五回目の着替えともなれば、私ももう慣れたものだわ。
(むむっ。楽しみにしすぎたせいか、ちょっとお腹の減りが早いかな?)
着替え終わって更衣室から出ようとした私は、ちょっとお腹に違和感を覚えた。
多少の飢えならば慣れているんだけど、人間の状態だと、ちょっと我慢が利かないかもしれないな。
少し気になるけれど、もう授業が始まっちゃうから、今は気にしていられない。
「輪熊さん、どうしたの?」
「あっ、なんでもない。グラウンドに急ごっか」
八高さんに声をかけられた私は、気のせいだということにして、とにかくグラウンドへと急いだ。
体力測定で計測するのは、外で行う50メートル走、ハンドボール投げ、立ち幅跳び、1000メートル走のよっつ。それと建物の中で行う、垂直飛び、上体起こし、握力測定、なんか座って体を前に曲げるやつのよっつらしい。
今日は建物の外で行う、最初の四つの方。男子の方は体育館らしい。隣のクラスで体育は合同なのに、鴨太くんを今日は見られないみたいだ。残念。
まあ、これだけなら問題はないかな。
私はとにかく、熊パワーを発揮しないように、それだけを注意して順番を待つ。
最初に行ったのは50メートル走。ここでは全力で走るんだとか。こういうのなら任せてよね。熊の瞬発力を……っとダメなんだった。うん、自重自重。
だけど、必死に抑えようとする私とは裏腹に、とんでもないことが待っていた。
「位置について、よーい……ドン!」
ど、ドン? 今ドンって言った?
私はドンという掛け声を聞いて、なぜか怖くなってしまった。
これはそうだ……。鴨太くんと初めて会った時に、銃を持った人間に追われた時の……。
「輪熊さん、大丈夫? 顔色、悪いわよ」
「えっ……」
私は八高さんに体を揺さぶられながら声をかけられると、我に返った。
……いけない。あの時の恐怖がよみがえってしまったみたい。
そう、神様から聞いたんだけど、熊を追い返す時に使う空砲というものだ。あの時の音が、『ドンッ』という音だった。
(大丈夫、口で言っているだけなんだから、あれとは違う。落ち着こう、私……)
順番を待つ私は、ゆっくりと大きく深呼吸をして、とにかく気持ちを落ち着かせようとする。
「輪熊さん、本当にどうしたのよ。さっきから震えているわよ」
「ごめん……。私、ちょっとだめかもしれない」
「保健室に行く?」
八高さんに聞かれるけれど、私は首を横に振る。
ダメ、このくらいは我慢しなくちゃ……。こんなことじゃ、私、人間として生きてはいけない。慣れなきゃ……。
「ダメだったら早く言ってね。我慢しすぎるのはよくないからね」
「うん、ありがとう」
心配してくれている八高さんに、私は必死に耐えながら、どうにかお礼を言っている。
だけど、八高さんの表情は、どう見てみたところで私のことをものすごく心配している。
それからも、50メートル走は順調に進んでいく。
「先生、ちょっといいですか?」
「どうしたのかな、八高さん」
八高さんは何かに気が付いたらしく、手を挙げて体育の先生に何かを耳打ちしている。どうしたんだろう。
八高さんの話を聞いた先生は、私の方を見ている。すると、あごに手をなてながら、少し深刻そうな表情をしていた。
「分かりました。ちょっとスタートの方法を変えます」
先生はそう言いながら、手に持っているバインダーを差し出している。
どうやら、スタートの合図を、バインダーを振って伝えてくれるらしい。
あ、そっか。ドンって言わないようにしてくれたんだ。それって、私のためだよね。八高さん、先生、ありがとう。
スタートの方法は変わったものの、結構色の黒いバインダーは遠くからでも目立つ。結果として、タイム計測には影響がなかったようだった。
このスタート方法のおかげで、私も何の問題もなく、50メートル走を走り終えることができた。
「輪熊さん。そんなトラウマがあるんだったら、最初に言って下さいね」
「はい、すみませんでした」
先生から注意されて、私は素直に謝っていた。
とはいっても、50メートル走が始まってから気が付いたから、言いたくても言えなかったのよね。
それで、50メートル走のタイムだけど、最初の方にみんなが走ってくれたおかげで大体どのくらいでは知ればいいのか分かったので、それよりもちょっと速いくらいで駆け抜けておいた。
いろいろとあったものの、無事に一種目を終えられて、私はちょっと安心した。




