第二次長州征討
徳川慶喜「今度こそ、長州の者どもを、皆殺しにせよ!」
徳川慶喜は、『徳川慶喜新政府構想』を練っていたとか。明治政府とも、旧幕府とも全く違う、新政府構想だ。
それを実現させるため、まずは邪魔な長州を潰そうという。
長州藩を完全に取り潰し、長州を幕府の直轄地にするために、第二次長州征討を行うという。
毛利敬親は切腹、毛利家は断絶、長州藩は改易となり、後には長州勤番支配が置かれるという。
長州勤番支配が置かれたら、搾取されるだけ搾取されるのは、目に見えている。
俺は何をしているのだ。長州一つまとめられないで、日本国中など、まとめられるか。
やがて迫り来る、第二次長州征討に向けて、着々と準備が進められる。
長州には、薩摩、土佐、肥前が味方をする。どちらに味方するか迷っていた近隣の藩も、薩長軍に次々と味方する。
一大決戦に向け、新式銃の使い方の訓練、最新式の大砲の使い方の訓練、それから、奇兵隊への入隊志願者の募集などを行う。
さしずめ、奇兵隊のリクルーター役もこなしていくことになる。
長州藩は、正義派が実権を得たが、俗論派の残党などもまだいて、わだかまりが残っていた。
小異を捨てて大同につく、という言葉がある。
同じ長州藩の者同士なのだから、少しくらいの考えの違いは気にせず、長州藩を守りたい、という大きなところで一致するのであれば、わだかまりは捨てて、手を取り合おう、ということを言った。
一方で、高杉晋作は『東行』という別名を使っている件について。
『東行』とは、平安時代末期の僧である『西行』に、自分をなぞらえていることから、使うようになったという。
西行は、東から西へ向かったのだから、自分は逆に西から東へ、幕府を倒しに行くために向かう、だから東行なんだと、自らそう語っていた。
それならば、俺、伊藤俊輔は、東京へと行き、事を成し遂げるという意味での、『東行』になろうぞ。
「いいか、皆の者、一大決戦だ!
今度の戦は、命に換えても勝たねばならぬ!
皆の者、配備につけ!」
そして、決戦の時は来た。第一次長州征討の時よりも、さらに大軍勢だ。
幕府側に味方する、諸藩の軍勢もいる。
徳川慶喜「さあ!決着の時は来た!勝ち残った方が、後の日本の支配者となるのだ!」
開戦の理由:第一次長州征討のあと、長州藩で高杉晋作らが実権を握り、幕府への反抗姿勢を強めたため。
四境戦争:幕府軍は4方面(大島口、芸州口、石州口、小倉口)から長州を攻撃しました。
長州の戦術:大村益次郎の優れた作戦や、奇兵隊などによる近代的な軍制で幕府軍を迎え撃ちました。
まずは、砲兵部隊が砲撃を加える。
「よーし、幕府軍に砲弾を叩き込んでやれ!」
ドーン!ドーン!
ドガーン!ズガーン!
「うわーっ!退却しろ!」
大村益次郎の作戦も素晴らしかったが、
何よりも、俺たち奇兵隊の近代的な装備と軍制が、長州側の勝利に大いに役に立てたことが素晴らしい。
長州軍の銃剣部隊が突入した。幕府軍は劣勢に追い込まれる。
長州軍は、最新鋭のミニエー銃などによる遠距離射撃を、幕府軍に対して行う。
そして、砲兵部隊がさらに砲撃を加える。
「大変だ!薩摩が長州に味方した!」
「信じられん、薩摩と長州は犬猿の仲だったのに、いったいどうして、薩摩と長州が手を組んだのだ?」
さらに、薩摩の加勢もあり、戦況は長州に有利に動き始めた。
「死に物狂いで戦えー!」
俺も、幕府軍の兵たちを次々と斬っていく。
奇兵隊のみんなは、死に物狂いで戦ったよ。
その一方で、幕府側は戦意が上がらないでいた。
「幕府側は、戦意が上がらないみたいだ。
我々、長州軍が圧倒的に優勢だな。」
「どうも幕府側は、人数ばかりが多くて、統率も取れていないみたいだ。」
これで、勝敗は決したな。
幕府軍の被害は、身の毛もよだつほどの、大損害。
正確な戦死者数の記録が残らないというほどの、多くの戦死者を出した。
第二次長州征討が、これほどの一方的な結果になったということは、それだけ幕府の力が落ちているということになる。
そして、14代将軍、家茂が死んだことで、幕府軍は全軍撤退したという。
これでもう、幕府の権威は全く無くなってしまった。
15代将軍に、慶喜が就任した。
もう、慶喜しか、将軍にふさわしい人材は、いなくなっていた。




