鉄の音
朝の光が村の屋根を照らしていた。
家の中には、まだ昨夜の火の気配が残っている。
かまど。たいまつ。三つのベッド。チェスト。つよし号。
昨日までは借り物の家だったのに、今はもう、少しだけ自分たちの匂いが混ざっている気がした。
創磨は入口の前に立って、村の外れを見た。
昨夜、たいまつの明かりの先に見えた茶色っぽい石。その場所が、朝になっても頭から離れなかった。
「そうま、見よると、あそこやろ」
芽依が横に来て言った。
「うん」
「鉄やったら、取りに行くと?」
創磨はすぐには答えなかった。
鉄があれば、できることが増える。
剣も、盾も、バケツも、もっと先の道具も。
でも、昨日見えたのは村の外れの浅い穴の近くだった。村のすぐそばとはいえ、暗いところは暗い。何がいるかわからない。
創磨はつよし号の中を見た。
望来はまだ少し眠そうな顔で、ボートのへりに頬をのせている。
「みく、まだねむか」
「んー……でも、いく」
「つよしくんで?」
「うん。つよしくんで、いく」
創磨は小さくうなずいた。
「行く。ばってん、約束決める」
芽依がすぐに顔を上げる。
「なに」
「深いとこまでは行かん。村が見えるとこまで。みくはつよし号から離れん。危なかったら、すぐ戻る」
「わかっとるし」
「芽依も、見えんとこまで勝手に行かんでよ」
「行かんて」
そう言いながらも、芽依の目も少しだけ光っていた。
怖いのと、気になるのが半分ずつなのは、創磨にもわかった。
たいまつを一本。石のツルハシ。昨日作ったロープ。
創磨はつよし号の先にロープを結び、自分の手に巻きつけた。
「引っ張れると?」
芽依が聞く。
「マイクラでも、こういうのあるけん」
「ほんとに何でも知っとるやん」
「全部は知らん」
そう言いながら、創磨はゆっくり歩き出した。
つよし号が、草と土の道をするするとついてくる。後ろから芽依がのぞき込み、望来は揺れに合わせて体を小さく揺らしていた。
「つよしくん、いく」
「行くばい」
村の端まで来ると、昨日見た低い崖のそばに、小さな裂け目のような穴が口を開けていた。
大きな洞窟ではない。村の地面が少し崩れて、石肌がのぞいているだけの、浅い穴だ。
近づくと、石の中に茶色っぽい粒が混ざっているのがわかった。
「やっぱ鉄やん」
芽依が言う。
「たぶん」
「いや、もうそれは鉄やろ」
創磨は少しだけむっとした。
「……言おうと思っとったし」
「今、言えばよかやん」
「今見よるとこやった」
芽依がふっと鼻で笑う。
いつもの感じに少し戻ったそのやり取りに、創磨も少しだけ肩の力が抜けた。
「みく、ここで待つ」
創磨がつよし号を穴の入口近くで止めると、望来は素直にうなずいた。
「つよしくん、おる」
「うん。おる」
「めいもおるけん」
芽依が言いながら、たいまつを手に取る。
「おれが掘る。芽依、みく見とって」
「わかった」
穴の中は朝でも薄暗かった。
けれど、昨日までの真っ暗な夜とは違う。たいまつの明かりがあるだけで、見える範囲がまるで違った。
創磨は石のツルハシを握り、最初の鉄鉱石に向かって振り下ろした。
ごっ。
ごっ。
ごっ。
石とは違う、少し硬い手ごたえが返ってくる。
やがて鉄鉱石が崩れ、茶色い粒の混じった塊が足元へ落ちた。
「取れた……」
「ほんとに鉄やったね」
芽依の声に、創磨は小さくうなずいた。
木でも石でもない。もっと先へ行くためのものを、初めて自分たちの手で取った。
もう一つ。
その隣にも、まだ埋まっている。
創磨は前へ出た。
あと少し。もう一個だけ取れば、もっとできることが増える。
剣も考えられる。盾もいい。バケツも作れる。
足を一歩、暗いほうへ出しかけた、その瞬間だった。
『そう!』
頭の奥で、父の声がはじけた。
創磨の体が反射みたいに止まる。
次の瞬間、踏み出しかけた先の地面がざらっと崩れた。
石と砂利が音を立てて落ち、その向こうに、思っていたより深い穴が口を開ける。
「そうま!」
芽依の声が飛んだ。
創磨は息を詰めたまま、崩れた先を見た。
見えないくらい深いわけじゃない。けれど、落ちたらただでは済まなさそうだった。下は暗く、まだ何がいるかもわからない。
いない。
父はここにいない。
それでも今、たしかに聞こえた気がした。
危ない時だけ飛んでくる、あの短い声が。
「……大丈夫」
創磨は一歩下がり、やっとそう言った。
芽依が本気で怒った顔をしている。
「大丈夫じゃなかやん! 今、落ちるとこやったやろ!」
「……うん」
「だから深いとこ行かんって言ったやん!」
「まだ行っとらん」
「行きかけとった!」
返す言葉がなかった。
その通りだった。
その時、崩れた穴の下の暗がりで、かすかに骨みたいな音が鳴った。
かた、という乾いた音。
創磨も芽依も、ぴたりと口を閉じる。
「……戻る」
創磨はすぐに言った。
「もうよか。これだけで戻る」
欲しかった。
もっと欲しい。
でも、今ここで欲張って落ちたら終わる。
創磨は取れた鉄鉱石を抱えて、ゆっくり穴の外へ戻った。
つよし号の中で待っていた望来が、二人の顔を見て首をかしげる。
「どうしたと」
「なんでもなか」
芽依が先に言った。
「そうまが、ちょっとあぶなかっただけ」
「ちょっとやなかやろ……」
創磨がぼそっと言うと、芽依がにらんだ。
「ほんとに、ちょっとやなかったし」
望来はよくわからないまま、それでも創磨の服のすそをつかんだ。
「そうま、だいじょぶ?」
創磨はしゃがんで、望来の頭をなでた。
「だいじょぶ。もう戻るけん」
「うん」
家へ戻る道は、行きより少し静かだった。
つよし号の揺れる音と、足音だけが道に続く。
家に戻ると、創磨はすぐにかまどの前へ座った。
鉄鉱石を置いて、燃料を足す。
「これで鉄になると?」
芽依が聞く。
「うん。たぶん」
「まだ言う」
「なるはず」
芽依が笑いそうになるのをこらえた顔をした。
火の中で、鉄鉱石が少しずつ変わっていく。
待つ時間が長い。
「まだ?」
望来が聞く。
「まだ」
「まだまだ?」
「まだまだ」
そのやり取りを二回した頃、ようやくかまどの中に銀色の塊が現れた。
「できた」
創磨はそっと取り出した。
鉄インゴット。
手の中にずしりとした重みがある。
木とも石とも違う、冷たい重さだった。
一個。
二個。
三個。
四個。
五個。
創磨は床に並べて見つめた。
剣にもできる。
盾はまだ鉄じゃないけど、先の準備にもなる。
でも、三つで作れるものがあった。
「なに作ると?」
芽依が聞いた。
創磨は、井戸のある外ではなく、家の中を見た。
薬の袋の置いてある場所を見る。
「バケツ」
「え、剣じゃなかと?」
「剣もいる」
「なら剣が先やろ。昨日のぐるるとか、おったやん」
「わかっとる」
創磨は少しだけ強く言った。
それから、自分の言葉を選ぶようにゆっくり続ける。
「ばってん、水が先」
芽依が黙る。
「薬飲むたびに井戸まで行かんばいかん。夜やったら、なおさら」
「……うん」
「家に水があったら、すぐ飲ませらるる」
創磨の頭の奥に、あの朝のことがよぎった。
望来の目は開いているのに、力がなくて、言葉も出なくて、母が泣きそうな顔で電話して、父が抱っこしたまま何度も状態を見ていた朝。
もうあんなふうにはしたくない。
今度は、自分たちしかいない。
「……じゃあ、バケツ」
芽依が小さく言った。
「水が先やね」
創磨はうなずいた。
鉄を三つ、知っている形に並べる。
ぽん。
銀色のバケツが現れた。
「できた……」
「へえ」
芽依が身を乗り出す。
「ほんとに水入ると?」
「入る」
「みくも、みる」
望来がつよし号から身を乗り出した。
「落ちんなよ」
創磨はそう言ってバケツを持ち、家の外へ出た。
井戸の前で水をすくう。
四角い水面が、すっとバケツの中に収まった。
「入った」
思わずそうつぶやく。
ただの水だった。
でも、井戸の前まで来なくてもいい水。
家まで持って帰れる水。
それは今までのどの道具よりも、ずっと大事に思えた。
家に戻ると、芽依がすぐにのぞき込んだ。
「ほんとに入っとる」
「うん」
「みく、おくすり?」
望来が薬の袋を見る。
「夜になったらな」
創磨はバケツを、かまどの近くの倒れにくい場所へそっと置いた。
その日の夜。
家の中にはたいまつの明かりがあった。
かまどの熱も、まだ少し残っている。
そして、すぐ手の届くところに水があった。
創磨は薬を取り出し、望来の前に座る。
「みく、おくすり飲むよ」
「うん」
望来はいつもより素直に口を開けた。
薬を入れて、家の中でバケツの水を使って飲ませる。
こくん。
小さな喉が動く。
創磨はそれを見て、ようやく息をついた。
「飲めた」
「飲めた」
芽依も横で言う。
「家ん中で飲めるの、よかね」
「うん」
創磨はうなずいた。
鉄で最初に作ったのは、剣ではなかった。
誰かを倒すためのものじゃなくて、望来の薬のための器だった。
それでよかったと、創磨は思った。
窓の外には、まだ暗い村が広がっている。
けれど昨日よりは、少しだけ戦える気がした。
創磨はバケツの水面を見つめながら、小さく息を吐いた。
――鉄は、水に変えた。次は、村の外だ。




