村の役目
朝、目を覚ましたとき、創磨は少しだけ戸惑った。
どこだろう、と思って、すぐに思い出す。
四角い村の家。三つのベッドをくっつけた寝床。壁際のチェスト。かまど。たいまつ。窓の向こうに広がる、見慣れ始めた村の朝。
隣では、芽依がまだ眠たそうに布にくるまっていた。真ん中の望来は、二人に挟まれるようにして、小さく口を開けて寝ている。
三人で寄り添って寝ると、少し狭い。
でも、それでよかった。
むしろ、離れて寝るほうが落ち着かない。
創磨はそっと身を起こした。
昨夜、家の中で薬を飲ませられたことを思い出す。たいまつの明かりの下で、すぐ手の届くところに水がある。その当たり前じゃないことが、まだ少しだけうれしかった。
かまどのそばには、鉄のバケツが置いてある。
中の水は、朝の光を受けて静かに揺れていた。
そのとき、望来がもぞっと動いた。
「……そうま」
「起きた?」
「おきた」
まだ半分眠っている声だった。
けれど、創磨の姿を見ると、すぐ安心したみたいに目を細める。
反対側では、芽依も目を開けた。
「……もう朝?」
「朝」
「はやか」
「いつもやろ」
芽依は小さくふくれたあと、のそのそ起き上がった。
その顔を見て、創磨はほんの少しだけ、いつもの朝みたいだと思った。家でも、朝に強いのは自分で、芽依と望来は起きるのが遅かった。
けれど、次の瞬間には、目が薬の袋のほうへ向いた。
ちゃんとある。
でも、一日ごとに軽くなっていく。
創磨はそれを見ないふりをして、先に窓を開けた。
朝の村には、昨日までと違う動きがあった。
井戸の近くを、鼻の高い村人がゆっくり歩いている。
畑のほうには、また別の村人がいて、何かを見ているようだった。
家の前に立ったまま、動かないやつもいる。
ただうろうろしているだけにも見える。
けれど、昨日より少し長く見ていると、なんとなく違いがある気がした。
「なに見よると」
芽依が創磨の横に来る。
「村人」
「また?」
「……なんか、歩き方が違う」
「歩き方?」
「ほら、あっちの畑の近くのやつ。昨日もあそこおった気がする」
芽依は目を細めて見た。
「ほんとや。あっちは井戸ん近くばっか歩きよる」
「たぶん、役目がある」
「やくめ?」
「仕事、みたいな」
言いながら、創磨は頭の中の知識をたどった。
村人には職業がある。
畑を見るやつ。本を見るやつ。道具を扱うやつ。仕事場があって、それに結びついていたはずだ。
ただ、それを今すぐ全部思い出せるわけじゃない。
でも、ただの背景じゃないのは確かだった。
望来は二人の会話なんて聞いていないみたいに、つよし号のほうへ歩いて行った。
「みく、のる」
「朝から?」
「のる」
創磨は苦笑して、つよし号を引き寄せた。
望来はすぐにちょこんと座り、へりをぽんぽん叩く。
「つよしくん、おきた」
「起きたね」
芽依が言うと、望来は満足そうにうなずいた。
村のことを知るなら、家の中で考えているより、歩いて見たほうが早い。
創磨はそう思って、ロープを手に取った。
「ちょっと見てくる」
「どこまで?」
「村の中だけ。外には行かん」
「なら、めいも行く」
「みくも」
「みくはいつもおるやろ」
芽依が言うと、望来はつよし号の中でえへへと笑った。
三人で家を出る。
朝の光の中では、村の道も、畑も、柵も、昨日よりちゃんと形を持って見えた。夜は守らなければならない場所だった村が、朝になると、働いている場所に見える。
畑のそばまで行くと、村人が土の列のあいだをゆっくり歩いていた。
しゃがみこそしないが、まっすぐ畑を見ている。少し離れたところには、木と草のようなものでできた四角い箱が置いてある。
「そうま、あれなん」
芽依が指した。
創磨は目を凝らした。
見たことがある形だった。丸く口のあいた、木の箱。
「……コンポスター」
「こんぽすた?」
「たしか、畑の仕事のやつ」
「村人の?」
「うん」
畑の村人は、その近くから離れず、土の列を見てはまた歩いていた。
井戸の近くにいるやつは、畑には来ない。
逆に、畑の村人は井戸のところで立ち止まらない。
昨日まではみんな同じ顔に見えたのに、今日は少しだけ違って見えた。
「ほんとに仕事しよるとやね」
芽依が言う。
「かもしれん」
「かもしれんばっかり」
「まだ確かめとらんし」
創磨はそう返したが、内心ではかなり確信していた。
村人にも役目がある。
それなら、この村を自分たちだけで全部動かさなくてもいいかもしれない。
その時、望来が急に身を乗り出した。
「あ」
「なに」
「ちっちゃい」
望来の見ている先に、小さな村人がいた。
大人の村人よりずっと背が低い。畑の端のあたりを、よたよた歩いている。村人の赤ちゃんだった。
創磨と芽依が見るより先に、望来はつよし号から降りようとした。
「みく、待って」
創磨が慌ててロープを止める。
けれど望来は、「あの子」とでも言いたげに、まっすぐ赤ちゃん村人のほうを見ていた。
「いきたか」
「……逃げんかな」
芽依が小さく言う。
創磨も少し迷った。
大人の村人は、近づくとじろっと見ることがある。敵意があるわけじゃないが、仲良しとも言えない。
赤ちゃんも同じかもしれない。
けれど、望来は気にしていなかった。
「みく、いく」
そう言って、とてとて歩き出す。
創磨と芽依も、その後ろについていくしかなかった。
赤ちゃん村人は、望来が近づいても、すぐには逃げなかった。
少しだけ足を止めて、じっと見る。
望来も立ち止まって、同じように見つめ返した。
その光景が、なんだか少しおかしくて、創磨は思わず息を止めた。
「……なにしよると」
芽依が小声で言う。
「たぶん、見よる」
「見よるて」
「お互い」
望来はしゃがみこんだ。
そのへんに咲いていた小さな白い花を一本、ぷちっと取る。
「はい」
赤ちゃん村人に差し出す。
赤ちゃん村人はすぐには取らなかった。
でも逃げもしない。鼻の長い顔を少し傾けて、それから、花のほうへ手を伸ばした。
「うわ」
芽依が思わず声を漏らす。
望来は嬉しそうに笑う。
「どうぞ」
赤ちゃん村人は花を受け取って、しばらく見ていた。
それから、望来のすぐそばにぺたんと座る。
「……友達なっとる」
芽依がぽつりと言う。
創磨も、言葉が出なかった。
望来はもう警戒なんてしていない。
薬袋をたすきみたいに肩にかけたまま、土の上にしゃがみ、今度は足元の草を触る。赤ちゃん村人も、それをじっと見てから、同じように地面のほうへ手を伸ばした。
「みく、これ、きのこみたい」
望来が言う。
「草たい、それ」
芽依がつっこむ。
「きのこみたい」
「ちがうって」
望来は気にせず、赤ちゃん村人に見せる。
赤ちゃん村人も、よくわからないまま見ている。
そのぎこちないやり取りが、創磨には妙にやさしく見えた。
危ない世界だ。
薬の残りは減っていく。
何も解決していない。
それでも、望来はもう、ここで友達を作っている。
少し離れたところにいた大人の村人が、こちらを見ていた。
怒るでもなく、追い払うでもなく、ただ見ている。
まるで、望来と赤ちゃん村人の様子を確かめているみたいだった。
「そうま」
芽依が創磨の服を軽く引いた。
「なに」
「これ、よかと?」
「……たぶん」
「また」
「でも、追い払われんやろ」
芽依は少しだけ考えてから、うなずいた。
「たしかに」
そのあいだも、望来は赤ちゃん村人と隣同士で座っていた。
話が通じているようには見えない。
それでも、離れない。
望来が花をもう一本取ると、赤ちゃん村人が今度は自分から近づいてきた。
顔を見合わせて、二人ともなんとなく笑う。
「みく、すごかね」
芽依が小さく言う。
「なにが」
「すぐ友達作る」
創磨は、少しだけ笑った。
「みくやけんやろ」
人を怖がらない。
まず近づく。
相手が誰でも、自分のほうから距離をなくしてしまう。
それは望来の強さでもあった。
しばらくして、畑の村人がまた動き出した。
土の列を見て、コンポスターの近くへ行き、それから戻る。
創磨はその姿を見ながら、頭の中で少しずつ形を作った。
村人にも役目がある。
役目があるなら、もっと畑を安定させられるかもしれない。
自分たちだけで全部背負わなくても、この村の仕組みを使えばいいのかもしれない。
「芽依」
「なに」
「畑、もっと増やせるかも」
「おれらで?」
「おれらだけじゃなく」
創磨は畑の村人を見る。
「村人にも、ちゃんと仕事させる」
芽依が一瞬きょとんとしたあと、にやっと笑った。
「よかやん。村人も働かせれば」
「働かせるて」
「そういうことやろ」
「……まあ、そうやけど」
言いながら、創磨は自分の中で少しだけ視界が広がるのを感じていた。
家を作る。
火をつける。
水を運ぶ。
今までは全部、自分たちの手で何とかしてきた。
でも、この村には最初から人がいて、畑があって、仕組みがある。
それを使えたら、もっと先へ行ける。
もっと遠くへ。
もっと早く。
薬が尽きる前に、帰るための準備を進められるかもしれない。
「みく、帰るよ」
芽依が声をかけると、望来はすぐには立たなかった。
「まだ」
「まだじゃなか。お昼なる」
「いや」
珍しくはっきり言う。
赤ちゃん村人も、望来の顔を見ている。
「みく」
創磨が呼ぶと、望来はようやく振り向いた。
「……また来る」
それは、赤ちゃん村人に向けた言葉だった。
赤ちゃん村人は返事をしない。
でも、望来が立ち上がると、一歩だけ前へ出た。
望来は満足したみたいにうなずく。
「またね」
つよし号に戻るときも、何度か振り返っていた。
家へ戻る道すがら、望来はずっと嬉しそうだった。
「みく、ともだちできた」
「そうやね」
芽依が言う。
「村人の赤ちゃんとかなかなかおらんやろ」
「みくの、おともだち」
「うん」
創磨も、つよし号を引きながらうなずいた。
異世界に来てから、望来はずっと守られる側だった。
薬を飲むこと。歩けないこと。夜が怖いこと。そういうことで、いつも二人が先に考えていた。
でも今は違う。
望来自身が、この村にひとつつながりを作った。
それはたぶん、小さいようでいて、すごく大きいことだった。
家に戻ってから、創磨はもう一度窓の外を見た。
畑の村人はまだ動いている。
井戸のそばの村人も、同じ場所をゆっくり回っている。
そしてどこかに、さっきの赤ちゃん村人もいるはずだった。
この村は、ただの背景じゃない。
ただの避難所でもない。
人がいて、役目があって、暮らしがある。
それを使えたら、ここはもっと強い拠点になる。
創磨は胸の中で、次にやることを静かに並べた。
畑を増やす。
村人の仕事場をちゃんと見る。
食べ物を止めない。
もっと先へ行くために、村を育てる。
つよし号の中で、望来がまだ嬉しそうに言った。
「また、あそぶ」
「うん」
創磨は振り返って答えた。
「また遊べるように、ちゃんとここ守らんばな」
芽依が、壁にもたれながら口元をゆるめる。
「いよいよ、村っぽくなってきたね」
創磨は窓の向こうの畑を見たまま、小さく息を吐いた。
――村にも役目がある。次は、畑だ。




