かまどの火
その夜、三人とも何度も目を覚ました。
暗いだけなら、そこまで怖くはない。
三人とも、夜道そのものには慣れていた。父や母と歩いた夜の道、街灯の少ない帰り道、暗い海沿いの道。夜に外を歩くこと自体は、知らないものではなかった。
けれど、昨日の夜は違った。
窓の外から聞こえる低いうなり声。
何かが通る気配。
暗さではなく、その向こうに何がいるのかわからないことが怖かった。
朝、創磨が起きたとき、望来は真ん中のベッドで小さく丸まっていた。芽依は壁にもたれたまま、先に目だけ開ける。
「……寝た気がせん」
「おれも」
創磨は窓の外を見た。
明るい。ただそれだけで、肩の奥に入っていた力が少し抜ける。
望来がむくりと起きて、寝ぼけた顔のまま言った。
「きのうの、ぐるる、やだ」
「うん」
創磨はうなずいた。
「くらいのがやだんじゃなかとやろ」
望来はよくわからない顔のまま、それでも小さくうなずく。
「ぐるる、やだ」
芽依がベッドから下りた。
「たいまつとか、いるっちゃなか?」
その一言で、創磨の頭の中に形が浮かんだ。
火。
かまど。
たいまつ。
昨日は寝る場所を決めるので精いっぱいだった。けれど今日は違う。ただ夜を待つのではなく、夜を押し返すものを作らなければならない。
「火がいる」
「やっぱりね」
芽依が腕を組む。
「窓んとことか入口んとことか、見えたがよかやろ」
「うん。丸石、集める」
「かまど?」
「たぶん」
「また、たぶんて」
「知っとる形やけん」
望来はつよし号の中で、まだ少し眠そうに目をこすった。
「つよしくんも、いく?」
「行く。みくも行く」
創磨はつよし号を外へ引き出した。
朝の空気は冷たかったが、明るい村の道は昨日よりずっと見やすかった。井戸のそばを通り、村の端の石が露出している場所まで行く。家から遠すぎず、何かあってもすぐ戻れる位置だった。
創磨は石のツルハシを握る。
「芽依、みく見とって」
「わかっとる」
「みく、つよし号で待っとるとよ」
「うん」
望来はおとなしく、つよし号のへりを両手で握った。
創磨は石にツルハシを振り下ろした。
ごっ。
ごっ。
ごっ。
昨日より、道具の重さと石の感触が手になじんでいた。丸石が落ちるたび、創磨は心の中で数える。
一個。
二個。
三個。
かまどは八個。
余計なことはしない。今は火だけだ。
「そうま、今なんこ?」
「五」
「あと三つやん」
「言われんでもわかっとる」
「確認しただけやし」
最後の一個を取ったところで、創磨は息を吐いた。手のひらは少し痛い。それでも、素手で土を掘っていた最初の夜とは全然違った。
家に戻ると、作業台の前に座って丸石を並べた。
四角く囲い、真ん中を空ける。
ぽん、と音もなく灰色の塊が現れる。
「できた……」
石でできた箱のような形。前に口があって、中に火を閉じ込めるための場所がある。
「ほんとに出たね」
芽依がのぞき込む。
「それで火つくと?」
「つく、はず」
「はずね」
創磨はかまどを壁際に置いた。
それから木材と原木を手元に寄せる。
火そのものは珍しくなかった。
焼き芋の火も、焚き火の熱も、三人とも知っている。火があると少し安心することも、近づきすぎると危ないことも、もう体が覚えていた。
だからこそ、この世界で自分たちのための火が手に入るかどうかは大きかった。
「まず、木炭つくる」
「石炭じゃなかと?」
「石炭まだなかやろ。木でも炭になる」
「へえ」
芽依は言ったが、顔には半分だけ疑いが残っていた。
創磨も、ほんとうは同じだった。
かまどに板材を入れる。
その上に原木を置く。
しばらく、何も起こらない。
「……まだ?」
望来が聞く。
「まだ」
「まだまだ?」
「まだまだ」
望来は不満そうに口をとがらせた。
その時、かまどの口の奥がふっと赤くなった。
次の瞬間、中に火が入る。
「ついた」
創磨が思わず言った。
芽依も身を乗り出す。
「ほんとや」
見慣れた火の色だった。
それでも、三人とも少しのあいだ黙って見つめた。焼き芋の火でも、外で囲む焚き火でもない。自分たちの家の中で、自分たちのために使える火だった。
望来が、ふらりとかまどのそばへ寄る。
「みく、そこまで」
芽依がすぐに腕を引いた。
「きれい」
「きれいばってん、近づきすぎたらだめたい。やけどするけん」
芽依の声は妙に真剣だった。
創磨も少しだけ口元を引き締める。
「火があると見える。ばってん、油断したらだめ」
望来は二人の顔を見比べ、それから小さく言った。
「だめ」
「そう。近づきすぎたらだめ」
芽依が頭をなでると、望来は素直にうなずいた。
しばらくして、原木が黒く変わる。
創磨は木炭を取り出し、棒と組み合わせた。
たいまつ。
一本。
二本。
三本。
「まだ作ると?」
「もうちょい欲しか」
「でも炭足りんやろ」
「今日はこれでよか」
創磨は一本を持ち、壁に立てた。
ふっと、部屋の色が変わる。
暗かった家の中が、一気に見えた。
三つのベッド。
チェスト。
つよし号。
床の土埃まで、はっきり見える。
ただ明るくなっただけなのに、昨日までの借り物の家とは別の場所みたいだった。
望来が目を丸くする。
「あかるい」
「うん」
創磨はその一言に、胸の奥が少しゆるむのを感じた。
「見える」
芽依もたいまつの光を見上げた。
「……きのうより、全然よか」
創磨は何も返さなかった。
返せなかった。自分もまったく同じ気持ちだったからだ。
畑へ行くと、麦の列とは違う葉っぱが目についた。創磨はしゃがみ込み、一つ引き抜く。
土の中から、丸っこい塊が出てきた。
「じゃがいもや」
「それも食べらるると?」
「焼ける」
「ほんとに?」
「たぶん」
「またそれ」
芽依が言う。
けれど、その声には昨日ほどの刺はなかった。
じゃがいもを二つ。ついでに、別の畝からにんじんも一本だけ取る。
取りすぎはしない。畑は残していかなければならない。
家に戻り、かまどへ入れる。
「まだ?」
「まだ」
「まだまだ?」
「まだまだ」
望来はつよし号の中から、じっとかまどを見ていた。
ようやく焼けると、創磨は熱いじゃがいもを持って左右の手に慌てて移し替えた。
「あっつ」
「ほら」
芽依が少し笑う。
「そうまも、やけどするやん」
「今のはしてなか」
「したやろ」
「してなか」
言い返しながらも、創磨はふうふう息を吹きかけた。少し冷ましてから、望来に渡す。
「熱かけん、ゆっくり」
望来は両手で持ち、慎重にひとかじりした。
少し間を置いてから、ぽつりと言う。
「あったかい」
その言葉で、部屋の空気がふっとやわらいだ。
芽依もにんじんをかじる。
「……あったかかね」
「うん」
創磨もじゃがいもを食べた。
パンよりやわらかい。腹に落ちていく感じが、ずっとやさしい。
うまいより先に、温かいが来た。
それがたまらなくありがたかった。
夕方になる前に、創磨はもう一本のたいまつを持って外へ出た。
「どこ行くと」
「入口の前にも置く」
「めいも行く」
「みくも」
創磨は一瞬だけ迷い、それからうなずいた。
「つよし号でな。すぐ戻る」
望来は満足そうに、つよし号へ乗り込んだ。
家の入口近くに、たいまつを立てる。
夜が降りかけた村の道に、火の色がにじんだ。
明かりの届く範囲は広くない。けれど、そのぶんだけでも、暗さを押し返しているのがわかった。
「よかね」
芽依が言う。
「うん」
創磨は、明かりの先を見た。
少し向こう、村の外れの低い崖のような場所に、石の色とは違う茶色っぽい粒が混じって見える。
「あれ」
創磨が目を細めるより先に、芽依が言った。
「鉄やなか?」
創磨はすぐにそちらを見た。
「……言おうと思っとった」
「言ってなかったし」
「今言うとこやった」
「はいはい」
芽依が鼻で笑う。
創磨は少しむっとしたが、目はもうその石に向いていた。
鉄かもしれない。
剣になる。
バケツにもなる。
もっと先へ行くための、必要なものだ。
でも今日は行かない。
火を手に入れた日だ。
それで十分だった。
創磨は家の方を振り返った。
窓の中に、一本目のたいまつの灯りが見える。
暗いだけの家じゃなくなっていた。
望来も、つよし号の中からその灯りを見ていた。
「おうち、ひかっとる」
「うん」
創磨はうなずいた。
「今日は、あそこがうちらの場所」
家に戻ると、部屋の中はさっきよりもさらに落ち着いて見えた。
三つのベッド。
チェスト。
つよし号。
かまど。
たいまつ。
借り物の家なのに、昨日よりずっと、自分たちの匂いがする気がした。
創磨はかまどの前に立ち、小さく息を吐いた。
――火はついた。次は、鉄。




