つよし号
朝の村は、しんとしていた。
四角い家。四角い畑。四角い道。
窓から差しこむ光まで、きれいすぎるくらいまっすぐで、ここが本当に人の暮らす場所なのか、まだ創磨にはよくわからなかった。
けれど、夜を越えた。
望来も薬を飲めた。
パンも作れた。
昨日までの、ただの土の穴よりはずっとましだ。
創磨は、そう思いながら望来のほうを見た。
望来はベッドから下りて、てちてちと数歩だけ歩いた。
それから、すぐその場にぺたんと座りこんだ。
「つかれた……」
小さな声だった。
芽依がその横にしゃがみこむ。
「みく、もう歩かんと?」
「もうむり」
「はやか」
「みく、つかれたもん」
望来はそう言って、創磨のほうへ手をのばした。抱っこしてほしい時の、いつもの仕草だった。
創磨はしゃがんで望来を抱き上げる。
軽い。
軽いのに、ずっと抱えたまま動くのは無理だと、昨日だけでよくわかっていた。
水を取りに行くにも、畑へ行くにも、村の中を見て回るにも、そのたびに抱っこじゃ動けん。
芽依のことも見んといかんし、荷物もある。
運ぶ方法がいる。
創磨は望来を下ろして、作業台のほうを見た。
木を形にする。
知っとる形を、ここに出す。
ここまでずっと、それで何とかなってきた。
なら、たぶん次もそうだ。
「そうま、どしたと」
芽依に聞かれて、創磨は顔を上げた。
「運ぶやつ、作る」
「運ぶやつ?」
「みくば、もうちょい楽に動かせるやつ」
芽依は少しだけ首をかしげた。
「そがんとの、あると?」
「……たぶん」
本当は、たぶんじゃなかった。
頭の中には、もう浮かんどった。
ボート。
水に浮かべる船。
なのに、陸でも変に滑るやつ。
動画で見た時は、ちょっとおもしろい動きとしか思ってなかった。
けれど今は違う。
あれが使えたら、望来を乗せて動けるかもしれん。
「ふね?」
望来が、創磨の言葉を拾って目をぱちぱちさせる。
「うん。ふね」
「うみなかよ?」
「いや、たぶん地面でもいける」
芽依が、すぐに顔をしかめた。
「は?」
「おかしかろ。でも、この世界もまあまあおかしか」
「……まあ、そうやけど」
創磨は家の外へ出た。
朝の空気はひんやりしとる。村の近くに立っとる木は、相変わらず不気味なくらいきれいな四角だった。
石の斧を握る。
昨日作った道具。
もうただのゲームの真似じゃない。これがあるだけで、できることが全然違う。
創磨は木の幹に斧を当てた。
ごっ。
ごっ。
ごっ。
重い音が手に返ってくる。素手で叩いとった時より、ずっと速い。やがて木がひとつぶん、ぽんと消えて、原木が手に入った。
やっぱり変だ。
でも、その変さを怖がるより先に、使わんといかん。
望来を守るためなら、なんでも使う。
創磨は必要なだけ木を切って、家に戻った。
「取れたと?」
芽依がすぐ聞く。
「うん。たぶんいける」
作業台の前に座る。
板材にする。並べる。頭の中で知っとる形を、ひとつずつ置いていく。
横に広い並び。
できるか。
ほんとに。
次の瞬間、ぽん、とそれは現れた。
木のボートだった。
少し丸みのある、けれどやっぱりどこかきっちりした形の船。
手に持つと、見た目より軽い。でもちゃんと、何かを乗せるための器みたいな感触があった。
「……できた」
創磨がつぶやくと、芽依が目を丸くした。
「ほんとにふねやん」
望来の顔がぱっと明るくなる。
「みくの?」
「みくのじゃなか」
創磨はすぐ言った。
「みんなの」
望来は少しだけ考えてから、にこっと笑った。
「みんなの、ふね」
その言い方がうれしそうで、創磨の肩の力が少し抜けた。
家の前の草の上に、そっとボートを置く。
木の船が、普通に地面に乗った。
そこまではいい。
問題はここからだった。
「望来、乗ってみる?」
望来は創磨に手を引かれながら、そろそろとボートに乗りこんだ。
すぽっと体がおさまって、すぐに座った姿勢が安定する。
「どう?」
「……らく」
その一言に、創磨は胸の奥が熱くなった。
よし、と思いながら、創磨も前に乗る。
少しだけ体重をかけて、前へ押す。
するっ。
ボートが動いた。
「えっ」
芽依が声を上げる。
草の上なのに、まるで水の上みたいに、船がすべる。
がたがた跳ねるわけでもなく、思っとったよりずっとなめらかに。
「ほんとに動いた!」
芽依が駆け寄ってくる。
創磨も、内心では同じくらい驚いていた。
知っとる知識が、また一つ、本当に使えた。
「そーま、はやい」
後ろで望来が笑った。
「まだちょっとだけな」
創磨は慎重に向きを変える。
村の道のほうへ、ゆっくり進んだ。
抱っこするよりずっと楽だった。
両手も少し使える。
何より、望来が泣いてない。しんどそうな顔をしてない。
それだけで、作った意味は十分あった。
芽依が横を歩きながら、何度もボートをのぞきこむ。
「なんか、ずるか」
「ずるじゃなか」
「でも、めいもちょっと乗りたか」
「疲れたら交代でよかよ」
そう言うと、芽依はすぐには返事をせず、少しだけ口元をゆるめた。
「……あとでね」
その時、後ろの望来がボートのへりをなでながら、小さく言った。
「つよしくん」
創磨は振り返る。
「ん?」
「これ、つよしくん」
「……猫の?」
芽依が聞くと、望来はうなずいた。
「うん。つよしくん」
「ふねやけど?」
「つよしくん」
言い切る声だった。
創磨と芽依は顔を見合わせる。
望来はボートのへりをぽんぽん叩いて、もう一度言った。
「つよしくん」
たぶん、もう決まっていた。
望来の中では、このボートはただの木の船じゃない。
好きなものの名前をつけた、安心できる場所になり始めていた。
創磨は少しだけ笑った。
「……じゃあ、つよし号な」
望来の目が丸くなる。
「つよしごう?」
「うん。みんなのふねで、つよし号」
望来はうれしそうに声を上げた。
「つよしごう!」
芽依が、ちょっとだけ呆れた顔をしながら言う。
「へんな名前」
「ばってん、みくが覚えやすかろ」
「まあね」
芽依もそう言って、つよし号のへりを軽くつついた。
それから三人で、つよし号に乗ったり押したりしながら、村の中をゆっくり進んだ。
井戸。
畑。
家と家のあいだの道。
昨日は入るだけで精いっぱいだった場所が、今日はちゃんと見える。
四角い家の壁。
畑のまっすぐな列。
干し草みたいに積まれた黄色い塊。
遠くで、鼻の高い村人がのそっと歩いとるのも見えた。
今のところ敵ではなさそうだ。けれど、創磨はまだ気を抜かんかった。
村があるから安全、ではない。
ここがどういう場所か、まだ何も知らん。
でも――昨日よりは前に進んでる。
その感覚だけは、はっきりあった。
少し開けた場所まで出たところで、創磨はつよし号を止めた。
前を見る。
村の全体が、前より少しだけよく見えた。
家が何軒もある。
畑がある。
井戸がある。
ここを拠点にできるかもしれん。
ベッドもある。
水もある。
パンも作れた。
まだ火はない。
肉もない。
村人のこともわからん。
望来の薬だって減っていく。
それでも、何もなかった時とは違う。
知っとる形にすれば、少しずつ変えられる。
創磨は、その感覚を胸の中で静かに確かめた。
「そうま」
後ろから、望来の声がした。
「ん?」
「つよしくん、すき」
ボートのへりを、ちいさな手でなでながら望来が言う。
創磨は前を向いたまま、うなずいた。
「そがんよかった」
芽依が横からのぞきこむ。
「つぎ、どこ行くと」
創磨は、村の奥を見た。
まだ見てない家がある。
ちゃんと休める場所を決めたい。
火もほしい。
食べ物も増やしたい。
やることは山ほどある。
でも、不思議と昨日よりは怖くなかった。
創磨は小さく息を吐いた。
――運ぶ足はできた。
次は、この村をちゃんと知る。




