パンのかたち
家に入って、ほっとしたのはほんの一瞬だった。
望来を壁際に座らせたところで、創磨ははっとした。
薬。
夜のぶんを飲ませる時間が近い。
薬の袋を取り出して、中をたしかめる。まだある。けど、水がない。さっきからそのことが、ずっと頭の奥に引っかかっとったのに、家を見つけた安心で一瞬飛んどった。
「そーま?」
芽依が創磨の顔をのぞきこむ。
「水、探してくる」
「今?」
「今」
創磨は窓の外を見た。完全な夜になる前、ぎりぎりだ。家の外へ出るのは怖い。けど、行かんわけにはいかん。
「芽依、ここで望来と待っとって。扉、誰か来ても開けんで」
「……うん」
芽依の返事は小さかった。
創磨は石の斧を握りしめ、扉を少しだけ開けて外へ出た。
村の真ん中あたりに、低い石の囲いが見えた。動画で見たことがある形だった。
井戸だ。
創磨は走りたいのをこらえて、でもできるだけ急いでそこへ向かった。周りの家の扉は閉まっとる。気配はあるような、ないような、不思議な静けさだった。
井戸の中をのぞく。
四角い水面が、夕暮れの残りを鈍く映しとる。
「よかった……」
創磨は思わずつぶやいた。
しゃがみこんで手をぬらし、冷たさを確かめる。ちゃんと水だ。変に四角いのに、手に触れるとちゃんと冷たい。それがこの世界の気味悪さでもあり、ありがたさでもあった。
創磨は急いで家に戻った。
「水、あった」
扉を閉めるなり言うと、芽依の肩から力が抜けた。
望来はうとうとしながらも、創磨の手元を見とる。創磨は井戸の水を手ですくって、少しずつ望来の口元へ運んだ。こぼさんように、何回も。
「みく、薬飲むよ」
望来は小さくうなずいた。
錠剤を口に入れ、水で流しこむ。飲み込むまでの数秒が、ひどく長く感じた。喉につかえんか、吐かんか、毎回それだけで怖い。
やがて、望来がこくんと飲み下した。
創磨は息をついた。
「よし」
その一言に、芽依まで安心した顔になる。
「飲めた?」
「飲めた」
「よかった……」
芽依がそう言ってから、自分のお腹を押さえた。ぐう、と小さく音がした。
創磨も同じだった。家に入って少し気が抜けたせいで、腹の減りが一気に戻ってきた。痛いみたいに、腹が内側から縮む。立っとるだけで力が抜けそうだった。
その夜は、三人で身を寄せるようにして休んだ。
ベッドはひとつしかなかったから、望来を寝かせて、創磨と芽依はその横で壁に寄りかかった。外の音がするたび、創磨は目を開けた。ちゃんと眠れた気はせんかった。
それでも朝は来た。
四角い窓から差し込む光で目を覚ますと、外は明るかった。夜を越えた。それだけで、胸の中に小さな達成感があった。
創磨はそっと立ち上がって、外を見た。
村は、ちゃんと村だった。
何軒も家があって、畑があって、道みたいなものもある。遠くで、鼻の高い変な人影がのそっと動いた気がしたけど、今はそれより先に見るものがあった。
畑。
創磨は目を見開いた。
「麦や」
芽依が起きてきて、創磨の横からのぞく。
「なにそれ」
「パンのもと」
言った瞬間、創磨の頭の中で、知っとる形がつながった。
麦三つ。
作業台。
パン。
創磨は振り返った。
「芽依、望来、ちょっとだけ待っとって。すぐ戻る」
畑まで行って、黄色く実った麦だけを抜く。手の中に、ざらざらした感触が残った。種も落ちたけど、今は食べ物が先だ。
創磨は家に戻ると、作業台を床に置いた。
四角い盤面に、麦を三つ、横に並べる。
ただそれだけで、ぽん、とパンができる。
見慣れたゲームの挙動。
でも、今の創磨には魔法みたいだった。
「できた……」
芽依が目を丸くする。
「パン?」
「うん。食べらるる」
焼いとらんのに、ちゃんとパンの見た目だった。少し不自然なくらい整った形。四角い世界で生まれた、でもたしかに食べ物の匂いがする。
創磨はそれをちぎって、まず望来に渡した。
「みく、食べられる?」
望来は眠そうな目のまま、パンを受け取って、小さくかじった。
「……おいし」
その一言で、創磨の肩の力が抜けた。
芽依も待ちきれんように口へ運ぶ。
「ほんとや。パンや」
創磨もひとかけ食べた。
乾いとるのに、泣きたくなるくらいうまかった。空っぽの腹に落ちていく感じが、はっきりわかる。少し食べただけで、頭のふらつきがましになる。
食べ物を、作れた。
拾ったんじゃない。
見つけた材料を、知っとる形にして、食べられるものへ変えた。
それがたまらなく心強かった。
「そーま、もうないと?」
芽依が聞く。
「また麦取ってくれば作れる。たぶん」
創磨は答えた。
「種も落ちたけん、また植えたら増やせる」
そこまで言って、創磨は自分の声が少しだけ前向きになっとるのに気づいた。昨日までの「死なんようにする」だけとは違う。
増やす。
残す。
次につなげる。
それは、生き延びるだけじゃない考えだった。
望来はパンを食べ終わると、少し元気が戻ったみたいに周りを見た。けど、立ち上がって二、三歩歩いたところで、すぐ創磨の足元に戻って座りこんだ。
「つかれた……」
やっぱり長くは歩けん。
創磨はしゃがんで、望来と目を合わせた。
「今日はあんまり動かんでよか」
そう言いながらも、頭の中では別のことを考えとった。
この村を見て回るにも、水を取りに行くにも、畑に行くにも、望来が毎回これじゃきつい。抱えてばかりじゃ、創磨も両手がふさがる。
運ぶ方法が要る。
知っとる形の中に、何かあったはずだ。
創磨は作業台を見た。
木を形にする。
知識を形にする。
そうやって昨日も今日も、少しずつ生きる場所を広げてきた。
なら、次もたぶんそうだ。
穴から家へ来た。
水を見つけた。
パンを作れた。
次は、望来をもっと楽に動かせるものだ。
創磨はパンのかけらを握ったまま、心の中で小さく整理した。
――屋根、水、パン。
次は、運ぶ足。




