穴より家
土の穴の中は、昼よりずっと狭く感じた。
入口のところに置いた土のブロックのすき間から、夕方の光が細く差し込んどる。その色が少しずつ薄くなっていくのを見るたび、創磨の胸の奥がざわざわした。
暗くなる。
それだけで、この世界は急に別物になる気がした。
「そーま……おなかすいた」
望来が小さな声で言った。
その声には、朝からずっと無理してきた疲れが混じっとる。芽依も黙ったまま、創磨の服のすそを握っとった。強気な芽依が静かになるときは、本当に不安なときだ。
創磨は穴の隅に置いた材料を見た。昼のうちに集めた木材。棒。丸石。作業台。
動画で何度も見た手順を、頭の中でなぞる。
まずは速さ。
素手じゃ遅い。
暗くなる前に、もう少しだけでも準備せんといかん。
創磨は作業台の前に座った。四角い盤面に、木の棒と丸石を置いていく。頭の中で知っとる形に合わせると、目の前にごく自然にそれが現れる。
石の斧だった。
何度見てもおかしい。
でも、今は助かる。
「また作ったと?」
芽依が少しだけ身を乗り出した。
「うん。木ば切るやつ。手より早か」
創磨は石の斧を握った。ずしっとした重さが手に来る。おもちゃじゃない。本物の道具の重さだった。
それから、今度は板材を並べた。縦に二枚、横に三枚。見覚えのある形。
木のドア。
四角い板に小さな窓みたいな穴が空いとる。ゲームの中では当たり前の、でも今の創磨にはありがたい一枚だった。
「これで家になると?」
芽依が聞く。
「……家っぽくはなる」
創磨はそう答えたけど、自分で言いながらわかっとった。
家っぽい、だけだ。
この穴は土の壁で、天井も低い。ドアをつけたところで、ちゃんと守れる気がせん。雨が来たらどうなるかわからんし、夜に何か来て入口を掘られたら終わりだ。
石の斧と木のドア。
作ったのは間違いじゃなか。
でも、これだけじゃ足りん。
創磨はドアを穴の入口にあててみた。たしかに、むき出しよりはましだった。けど、それだけだった。
外を見る。
木も、土も、影も、全部が四角い。昼はまだ変な世界ですんどったのに、夕方になるとその四角さが逆に気味悪い。木の影がまっすぐ伸びて、黒い板を地面に何枚も並べたみたいに見えた。
このままじゃだめだ。
望来に、こんなところで夜を越させられん。
「芽依、望来。ちょっと待っとって」
「どこ行くと」
「すぐそこ。見るだけ」
創磨は石の斧を持って、穴から外に出た。
夕方の空気は冷たかった。草を踏む音まで、妙にはっきり聞こえる。創磨は周りを警戒しながら、少し高くなっとる場所へ上がった。
木の間から、遠くを見る。
最初は気のせいかと思った。
けど、もう一回目を凝らすと、やっぱりあった。
まっすぐな線。
四角い影。
木でも岩でもない、人工物の形。
ひとつじゃない。
いくつか、並んどる。
「……家」
創磨の口から、声が漏れた。
胸がどくんと鳴る。
村かもしれん。
マイクラの村みたいに、家が何軒か集まっとるように見える。煙は見えん。人がおるかもわからん。安全かどうかもわからん。
でも、土の穴よりはずっとましだ。
創磨は走りたい気持ちをこらえて穴に戻った。
「芽依、移動する」
「え」
「家みたいなのが見えた。たぶん村。今から行く」
「今?」
「今。暗くなる前に入らんば」
芽依の顔がこわばる。けど、反対はせんかった。望来はもう半分眠そうな目で、創磨を見上げとる。
「みく、あるけん……」
そう言った望来の声は、頼りなかった。
創磨はしゃがんで、望来の頭をなでた。
「無理せんでよか。兄ちゃんが抱える」
そう言って、荷物をまとめた。薬。作業台。木のドア。少しの材料。置いていけるものなんて、ほとんどない。
創磨は望来を背負った。軽いはずなのに、今日はいつもよりずっと重く感じる。疲れと不安のせいか、自分の足までふらつきそうだった。
「芽依、絶対離れんで」
「わかっとる」
芽依が珍しく、すぐうなずいた。
三人で穴を出る。
振り返ると、さっきまでの土の穴は、ただ地面がへこんどるだけの場所に見えた。そこで生き延びようとしていた自分たちが、急に心細く思えてくる。
創磨は前だけを見て歩いた。
家まで、そう遠くはなかった。
でも、望来を背負って、芽依の歩幅を気にして、何度も足元を見ながら進むと、それだけで長く感じる。暗さも、じわじわ追いかけてくる。
途中で望来の体がずるっとずれ、創磨は一度しゃがみこんだ。
「ごめ……」
望来がかすれた声で言う。
「謝らんでよか」
創磨は息を整えながら言った。
「みくが悪いわけじゃなか」
腹が減って、胃の奥がきゅうっと縮んだ。喉も乾いとる。けど立ち止まるほうが怖い。
近づくほど、それははっきりした。
木と石と土でできた家。
四角い窓。
ちゃんとした壁。
ちゃんとした屋根。
ひとつ見つけた瞬間の安心じゃなかった。
その向こうにも、また別の家が見える。
「……村や」
創磨は、ほとんど息みたいに言った。
芽依もそれを見て、目を丸くした。
「ほんとに家やん」
声に、少しだけ明るさが戻る。
創磨は一番近い家の前まで行って、望来をそっと下ろした。扉に手をかける。ぎ、と木の音がして、扉はちゃんと開いた。
中は薄暗かったが、外よりずっとましだった。
壁がある。
屋根がある。
角の見える、閉じられた空間。
創磨はすぐ中を見回した。動くものはない。変な音もしない。床も、土の穴よりずっとましだった。
「入ってよか」
その一言で、芽依がほっと息をした。
望来を中に入れて、扉を閉める。
たったそれだけで、世界との間に線が引かれた気がした。
「おうち?」
望来が、ぼんやりした声で聞く。
「借りもん。でも今日はここ」
創磨はそう答えた。
芽依は部屋の隅に座りこむと、小さく言った。
「穴より、ぜんぜんよか……」
「うん」
創磨も壁にもたれた。
助かったわけじゃない。
でも、前には進んだ。
窓の向こうは、もう暗くなりかけとる。
創磨はぎゅっと薬の袋を握った。
今夜、望来にちゃんと薬を飲ませるには、水が要る。
この家に入れただけじゃ、まだ足りん。
それでも今は、穴じゃない場所に来られた。
それだけで、胸の中の震えが少しだけおさまった。
――穴より家。
今日は、それでよか。




