黒いすき間
創磨は、閉じた扉から手を離せなかった。
木の板は、さっきまでほんの少しだけ開いていた。そこからたいまつの光が細く入り、暗い家の中を少しだけ見せた。
小さなベッド。
倒れた木の器。
床に落ちたパンのかけら。
壁の端に引っかかっていた、細い白い糸。
そして、天井の近くにあった黒い影。
見えたのは、それだけだった。
それだけなのに、創磨の胸の中では、扉の向こうが前よりずっと大きくなっていた。
何も知らなかった時より、少し知ってしまった今の方が怖い。
誰もいなかった。
でも、何もなかったわけではない。
「そうま」
芽依が横から呼んだ。
声は小さかった。
さっきまで石を握っていた手は、そのままぎゅっと固まっている。芽依の指の間から、小さな灰色の石が少しだけ見えていた。
「もう、閉めたと?」
「うん」
「中、もう見らん?」
「今は見らん」
「……中に、なんかおった?」
創磨は首を振った。
「おらんかった」
芽依の肩が、少しだけ下がった。
けれど、すぐに顔は戻った。
「でも、怖か顔しとる」
「糸があった」
「中に?」
「うん」
芽依の目が、扉へ戻る。
閉まっているのに、まるでその奥を見ようとするみたいだった。
「じゃあ、やっぱり入ったらだめやん」
「うん」
「赤ちゃんのおうちなのに」
芽依はそう言ってから、つよし号の方を見た。
望来は、赤ちゃん村人の手を両手で握っていた。
赤ちゃん村人は扉を見ている。
体を前に出したがっている。
でも、望来が止めている。
「赤ちゃんのおうち、あったね」
望来が、さっきと同じことをもう一度言った。
声は少しだけ明るくしようとしていた。
でも、目は泣きそうだった。
「ベッド、あったと?」
「うん」
創磨が答える。
「赤ちゃんのベッド?」
「たぶん」
「パンも?」
「うん」
「じゃあ、赤ちゃん、帰れる?」
創磨は、すぐに答えられなかった。
扉の前の白い石を見る。
止まる印。
まだ進めない場所。
望来が花に変えたがっている石。
「まだ」
創磨は言った。
「また、まだ?」
「うん」
「なんで」
望来の声が、少しだけ強くなった。
「赤ちゃんのおうち、あったとに」
「中にも糸があったけん」
「糸、いや」
「うん」
「取ったらよかやん」
「中に入らんと取れん」
「じゃあ、入ったらよかやん」
「まだ入らん」
望来の口が、ぎゅっと曲がった。
赤ちゃん村人の手を握る力が強くなりかける。
すぐに芽依が言った。
「みく、やさしく」
「やさしくしとる」
「今、ぎゅってした」
「ちょっと」
「ちょっとでも痛かかもしれん」
望来は自分の手を見た。
それから、赤ちゃん村人の手を少しだけゆるめた。
「ごめんね」
小さく言って、また扉を見る。
その顔を見て、創磨の胸が苦しくなった。
望来は帰したい。
赤ちゃん村人を家に帰したい。
でも、望来自身もまだ三歳で、赤ちゃん村人と一緒に扉へ行きたくてたまらない。
止める役をしているのに、止められているのは望来でもある。
創磨は扉の横のたいまつを見た。
火はまだ小さく燃えている。
昼の光の中では、たいまつの明るさはそれほど強くない。けれど、扉の板の横だけは、さっきより少しだけ色がついて見える。
この火を置いたことで、中が見えた。
見えたから、怖くなった。
でも、見えなければ、もっと何もできなかった。
「黒いところ」
創磨はつぶやいた。
芽依が顔を上げる。
「黒いところ?」
「天井の近くに、黒かところがあった」
「家の中に?」
「うん。穴か、すき間か、影か、わからん」
「また、わからん」
「うん」
創磨は扉を見た。
扉の向こうにあった黒い影。
白い糸は壁の端だった。
でも、黒い影は上だった。
屋根の近く。
もし、あれがただの影ではなく、外とつながっているすき間だったら。
何かがそこから入ったのかもしれない。
クモは壁を登る。
屋根にも行く。
上から来る。
創磨たちは、それをもう知っている。
「中に入らんなら」
芽依が言った。
「外から見ればよかやん」
創磨は芽依を見た。
「外?」
「うん。黒かところが上なら、外から屋根の下見たらわかるかもしれんやろ」
芽依は当たり前みたいに言った。
でも、少しだけ声が震えていた。
怖くないわけではない。
それでも、考えている。
創磨は、扉の上を見た。
屋根。
壁。
その間。
確かに、外から見ればわかるかもしれない。
中に入らずに。
「……見る」
創磨は言った。
「家の横と、裏と、屋根の下」
「中、入らんとよ」
「入らん」
「扉も、もう開けんとよ」
「今は開けん」
「みくたちは、ここ」
芽依はすぐにつよし号の前に移動した。
地面に置いてあった灰色の石を拾い、白い花の線より少し手前に置き直す。
「みく、ここまで」
「みく、見えん」
「見えるところまで動かす。でも、線越えん」
「赤ちゃん、おうち見えん」
「見えるって。こっち向ければ」
芽依はつよし号の前に回り、ゆっくり向きを変えた。
木の底が土にこすれて、ずず、と音を立てる。
望来の体が少し揺れた。
「わっ」
「みく、座っとって」
「座っとる」
「赤ちゃんも」
芽依は赤ちゃん村人の肩を見て、少しだけ手を伸ばした。
触ろうとして、やめる。
代わりに、望来に言った。
「みくが持っとくとよ」
「みく、持っとる」
「でも、強くせん」
「わかっとる」
「赤ちゃんが行こうとしたら?」
「まだ、って言う」
「みくが行きたくなったら?」
望来は黙った。
創磨も芽依も、その顔を見た。
望来は赤ちゃん村人の手を見て、それから自分の膝を見た。
「……めい、止める?」
「止める」
「痛くせんで」
「みくが急に出たら、服つかむけん」
「やだ」
「出んかったらつかまん」
望来は少し考えてから、こくんとうなずいた。
「みく、ここ」
「うん」
芽依は地面に木片を一つ立てた。
「ここ、みくと赤ちゃんの場所」
「みくの場所?」
「うん。待つ場所」
「赤ちゃんの場所」
「そう」
望来はその木片を見た。
ただの小さな木片なのに、自分の場所だと言われると、少しだけ納得した顔になった。
創磨はそれを見て、盾を持ち直した。
扉ではなく、家の横を見る。
昼の光はまだある。
でも、家の横は少し暗かった。
屋根の出っ張りが影を作っている。石の壁と木の梁の間に、細い影が重なっている。
そこに何かがあっても、遠くからはわからない。
「芽依、前じゃなくて横」
「わかっとる」
「みくたち、見てて」
「わかっとるって」
「あと、石」
「持っとる」
芽依は握っていた石を見せた。
怖い時の石。
目印にもなる石。
投げるためではなく、ここにいることを自分に知らせるための石。
創磨は家の横へ一歩進んだ。
扉の前の白い石を越えないように、少し斜めに回る。
扉から入るのではない。
外から見るだけ。
そう何度も心の中で言った。
*
家の横は、さっきより静かに感じた。
同じ昼なのに、扉の前とは空気が違う。
家の正面には白い花の道がある。
つよし号も見える。
望来の声も聞こえる。
でも、角を少し回るだけで、光は減った。
屋根の下の影が、壁に沿って長く伸びている。
創磨は盾を左腕に構えたまま、壁の上の方を見上げた。
首が痛い。
屋根は思ったより高い。
自分の家の屋根を見た時もそうだった。ゲームの中なら簡単に見える場所が、本当に立って見上げると、遠い。
「見える?」
芽依が後ろから聞いた。
「まだ」
「近づきすぎんでよ」
「うん」
「顔、出しすぎんでよ」
「うん」
「ほんとに?」
「ほんと」
芽依は疑っている声だった。
でも、ついて来てくれている。
創磨は少しだけ壁に近づいた。
石の壁には、でこぼこがある。
木の柱と石の間に、小さな隙間がいくつかあった。
ただの建て方のすき間かもしれない。
風が入る場所かもしれない。
でも、天井の近くに見えた黒い影とつながっているかは、わからない。
「こっちじゃなかかも」
創磨が言うと、芽依はすぐに足元へ石を置いた。
「ここ、見た」
「うん」
「見たけど、わからん場所」
「灰色?」
「灰色」
芽依は灰色の石を置いた。
見たけど、あとでまた見る場所。
その意味が、二人の中で少しずつ決まっていく。
「裏も見る?」
「うん」
「つよし号、見えるとこまでね」
芽依は振り返った。
「みく、そこから動かんとよ!」
望来の声が返ってくる。
「動いとらん!」
「赤ちゃんは?」
「みく、持っとる!」
「強くせん!」
「してない!」
返事は強い。
でも、その強さが少しだけ安心でもあった。
声がする。
そこにいるとわかる。
創磨は家の角へ進んだ。
角を曲がる前に、一度止まる。
父の声が頭の中で鳴る。
そう。
危ない時に、短く呼ばれる声。
顔を出しすぎるな。
先に音を聞け。
体全部を出すな。
創磨は、盾を少し前にして、耳をすませた。
何も聞こえない。
村人の低い声が遠くで聞こえる。
鉄ゴーレムの足音も、もっと遠い。
家の裏は静かだ。
「そうま」
芽依が小さく言った。
「うん」
「怖かったら、やめてよかよ」
「怖か」
「じゃあ、やめる?」
「見らん方が、もっと怖か」
芽依は黙った。
それから、小さく言った。
「それ、めいもわかる」
創磨は少しだけ振り返った。
芽依は強い顔をしていた。
でも、目は屋根の下から離れていない。
五歳の妹。
石を握って、怖がりながらもついてくる妹。
創磨はうなずいて、家の裏へ回った。
*
裏側は、正面よりもずっと暗かった。
昼なのに、屋根の下だけは夜の残りみたいだった。
地面には草が少し伸びている。
壁の根元に、小さな土の段差がある。
たいまつはない。
ここにはまだ、明かりを置いていなかった。
「ここ、暗か」
芽依が言った。
「うん」
「たいまつ、いるやん」
「いる」
「でも、足りんやろ」
「うん」
二人とも、すぐに置くとは言えなかった。
さっき一本を扉の横に置いた。
家の分も必要。
自分たちの家の周りにも必要。
たいまつは、ただ明るくするものではなく、夜を生きるためのものだった。
でも、暗い場所を暗いままにしておくのも怖い。
創磨は、家の裏の壁を見上げた。
屋根と壁の間。
木の梁の下。
石の上。
そこに、黒い線があった。
最初は影だと思った。
けれど、創磨は息を止めた。
影にしては、細すぎる。
ただの木の合わせ目にしては、奥が黒すぎる。
その端に、白いものが引っかかっていた。
ほんの少し。
糸。
「芽依」
創磨の声は、自分でも驚くくらい小さかった。
「なに」
「あれ」
芽依が創磨の指先を追って見上げる。
すぐにはわからなかったらしく、目を細めた。
「どこ」
「あの屋根の下。黒か線」
「……あ」
芽依の声が消えた。
見つけた。
黒いすき間。
その端の白い糸。
「糸?」
「たぶん」
「中の糸と、つながっとる?」
「わからん」
「でも、場所、上やん」
「うん」
「家の中で見えた黒かやつ、あそこ?」
「たぶん」
また、たぶん。
でも、さっきよりは近い。
扉のすき間から見えた黒い影。
今、外から見上げている黒いすき間。
同じ高さ。
同じあたり。
そこに、白い糸。
創磨の背中に冷たいものが走った。
クモが入った道かもしれない。
屋根から、壁の上から、あのすき間を通って、家の中へ。
赤ちゃん村人のベッドがある家へ。
「……ここから入ったと?」
芽依が聞いた。
「わからん」
「でも、入れるすき間ってこと?」
「小さかけど、クモなら」
創磨は言いかけて、止まった。
望来に聞こえたら怖がるかもしれない。
でも、望来はもう聞いていた。
「くもしゃん?」
つよし号の方から声がした。
創磨と芽依が振り返る。
望来はつよし号の中で赤ちゃん村人の手を握ったまま、こっちを見ていた。
距離はある。
でも、三歳の耳は、聞きたい言葉だけよく聞く。
「みく、そこ」
芽依が先に言った。
「動いとらん」
「ならよか」
「くもしゃん、おった?」
「おらん」
創磨が答える。
「ほんと?」
「おらん。くもしゃんはおらん」
「ひも?」
望来はまた聞いた。
創磨は、少しだけ迷ってからうなずいた。
「ひもは、あった」
望来の顔が曇った。
赤ちゃん村人の手を握り直す。
「赤ちゃんのおうち、ひもばっかり」
その言葉に、誰もすぐには返事できなかった。
赤ちゃん村人は、つよし号の中で体を小さくしていた。
さっきまでは扉の方へ前に出ようとしていた。
でも今は、屋根の下の黒いすき間の方を見ている。
そして、少しだけ後ろへ下がっている。
望来がそれに気づいた。
「赤ちゃん?」
望来は赤ちゃん村人の顔をのぞき込んだ。
「ここ、こわかと?」
赤ちゃん村人は答えない。
けれど、緑がかった目は、扉ではなく、屋根の下を見ていた。
小さな手が、望来の手を握り返す。
望来の顔が変わった。
帰りたい。
でも、怖い。
その二つが、赤ちゃん村人にもあるのかもしれない。
「赤ちゃん、こわかったと?」
望来の声が震えた。
「おうち、こわかったと?」
創磨は黒いすき間を見上げたまま、奥歯をかんだ。
赤ちゃん村人の家は、帰る場所だった。
でも、もしかしたら、怖いことがあった場所でもある。
ベッド。
倒れた器。
パンのかけら。
白い糸。
黒いすき間。
それらが、頭の中でひとつにつながりかける。
でも、全部はまだわからない。
わからないのに、わかったふりをしてはいけない。
「ここ、直さんば」
創磨は言った。
芽依が顔を上げる。
「すき間?」
「うん」
「どうやって?」
「まだわからん」
「また」
「でも、場所はわかった」
創磨は黒いすき間を指さした。
「あそこをふさがんと、赤ちゃんは帰せん」
芽依は、扉の前の白い石を見た。
そこから黒いすき間へ目を移す。
また白い石を取り出しそうになって、少し考えた。
「ここ、白い石?」
「危ない場所やけん」
「でも、上やん」
「下に置くしかなか」
芽依は白い石を一つ、家の裏の壁の根元に置いた。
そのすぐ横に、灰色の石を置く。
「白い石は危ない」
「うん」
「灰色は、あとで見る」
「うん」
「木片は?」
「直す場所」
創磨が言うと、芽依はポケットから小さな木片を出した。
それを白い石と灰色の石のそばに立てようとして、うまく立たず、倒れた。
「むかつく」
芽依が小さく言った。
もう一度、土の角に押し込む。
木片は斜めに立った。
「これ、直す場所」
「うん」
「でも、今は直せん」
「今は、見るだけ」
「また見るだけ」
「でも、今度は、どこを直すかわかった」
芽依は少しだけ黙った。
それから、木片を見た。
白い石。
灰色の石。
木片。
花ではない。
でも、ただの止まる印だけでもない。
「みく!」
芽依が声をかけた。
「なに!」
「ここ、直す場所にした!」
望来はつよし号の中から、身を乗り出しそうになった。
すぐに赤ちゃん村人の手を見て、止まる。
「そこ、なおすと?」
「うん」
「なおしたら、赤ちゃん帰れる?」
芽依は創磨を見た。
創磨は、すぐに「帰れる」とは言えなかった。
扉の中にはまだ白い糸がある。
床も、ベッドも、器も、ちゃんと見ていない。
黒いすき間をふさいでも、全部安全になるとは限らない。
でも、何も言えないままにするのも違った。
「一つ、近づく」
創磨は言った。
「一つ?」
「うん。ここ直したら、赤ちゃんが帰れる家に、一つ近づく」
望来はその言葉を考えているようだった。
赤ちゃん村人の手を握ったまま、白い花を見た。
手の中にある、まだ置けない花。
「ここ、なおしたら、花?」
望来が聞いた。
創磨は、扉の前の白い石を見た。
そして、家の裏に置いた白い石を見る。
まだ花にはできない。
でも、花にするための場所がわかった。
「うん」
創磨はゆっくりうなずいた。
「ここ、なおしたら」
「扉の前も?」
「うん。ここを直して、中もちゃんと見て、危なくなかったら」
「長か」
望来が少しだけ不満そうに言った。
芽依がすぐに言う。
「長くても、危なかよりよかやろ」
「赤ちゃん、帰りたかもん」
「帰すために、長かと」
芽依の言い方は少し強かった。
でも、望来は怒らなかった。
赤ちゃん村人が、黒いすき間の方を見たまま、自分の手を握っているからかもしれない。
望来は小さくうなずいた。
「赤ちゃん、なおしてからね」
赤ちゃん村人は答えない。
でも、望来の手を離さなかった。
*
創磨は、黒いすき間をもう一度見上げた。
高い。
手は届かない。
ジャンプしても無理だ。
はしごがいるかもしれない。
足場がいるかもしれない。
木の板でふさげるかもしれない。
土を積めば届くかもしれない。
でも、土を積むなら、崩れないか考えないといけない。
芽依が登りたがる。
望来は絶対に登らせられない。
赤ちゃん村人もつよし号から出せない。
考えることが、次々に増えていく。
それでも、さっきよりはましだった。
さっきまでは、黒い影だった。
今は、黒いすき間になった。
わからない怖さから、直す場所へ少し変わった。
「そうま」
芽依が言った。
「今日、直す?」
創磨は首を振った。
「道具、考えんと」
「木、いる?」
「たぶん」
「土も?」
「いるかも」
「たいまつは?」
「上に置きたい」
「届かんやん」
「うん」
「じゃあ、足場?」
「たぶん」
「また、たぶん」
「でも、たぶんが増えた」
芽依はきょとんとした。
「なにそれ」
「さっきまでは、何もわからんかった」
創磨は黒いすき間を指さした。
「今は、あそこを直さんばってわかった」
芽依は、しばらく黒いすき間を見ていた。
それから、少しだけ口を結んだ。
「じゃあ、次は、あそこ」
「うん」
「めい、下の印係」
「うん」
「みくは待つ係」
つよし号の方から、望来が言った。
「みく、赤ちゃん持つ係」
芽依は少しだけ笑いそうになって、でも笑わなかった。
「そう。赤ちゃん持つ係」
「強くせん」
「うん」
「みく、まだ、って言う」
「うん」
望来は赤ちゃん村人の手を両手で包んだ。
「まだ」
小さく言う。
「まだ、なおしてから」
赤ちゃん村人は、扉ではなく、黒いすき間を見ていた。
その横顔は、やっぱり何を考えているのかわからない。
でも、家に帰りたいだけではないことは、少しだけわかった気がした。
創磨は、扉の前の白い石へ戻った。
まだ、そこにある。
朝から置いたまま。
望来が嫌がった石。
芽依が置いた石。
創磨が必要だと思った石。
さっきまでは、その石がただ冷たく見えた。
帰れない場所。
止まる場所。
でも今は、少しだけ違う。
どこを直せばいいのか、わかってきたからだ。
創磨はしゃがんで、白い石に触れた。
動かさない。
まだ花にはしない。
ただ、指先で少しだけ土を払った。
「まだ、石?」
望来が聞いた。
「うん」
「いつ花?」
「黒いすき間を直したら」
「ほんと?」
「ほんと」
望来は、手の中の白い花をぎゅっと握った。
花びらは少ししわになっていた。
それでも、望来は捨てなかった。
「これ、まだ」
「うん」
「あとで」
「うん」
「赤ちゃんのおうち、あとで花にすると」
創磨はうなずいた。
芽依も、うなずいた。
赤ちゃん村人は何も言わなかった。
昼の光の中で、扉横のたいまつだけが小さく燃えている。
赤ちゃん村人の家は、まだ帰る場所には戻らなかった。
けれど、どこを直せばいいのかは、初めて見えた。
白い石は、まだ白い石のままだった。
でも、それはもう、ただ止まるだけの石ではなかった。




