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妹の薬が尽きる前に  作者: MONEMOLT


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35/36

黒いすき間



 創磨は、閉じた扉から手を離せなかった。


 木の板は、さっきまでほんの少しだけ開いていた。そこからたいまつの光が細く入り、暗い家の中を少しだけ見せた。


 小さなベッド。


 倒れた木の器。


 床に落ちたパンのかけら。


 壁の端に引っかかっていた、細い白い糸。


 そして、天井の近くにあった黒い影。


 見えたのは、それだけだった。


 それだけなのに、創磨の胸の中では、扉の向こうが前よりずっと大きくなっていた。


 何も知らなかった時より、少し知ってしまった今の方が怖い。


 誰もいなかった。


 でも、何もなかったわけではない。


「そうま」


 芽依が横から呼んだ。


 声は小さかった。


 さっきまで石を握っていた手は、そのままぎゅっと固まっている。芽依の指の間から、小さな灰色の石が少しだけ見えていた。


「もう、閉めたと?」


「うん」


「中、もう見らん?」


「今は見らん」


「……中に、なんかおった?」


 創磨は首を振った。


「おらんかった」


 芽依の肩が、少しだけ下がった。


 けれど、すぐに顔は戻った。


「でも、怖か顔しとる」


「糸があった」


「中に?」


「うん」


 芽依の目が、扉へ戻る。


 閉まっているのに、まるでその奥を見ようとするみたいだった。


「じゃあ、やっぱり入ったらだめやん」


「うん」


「赤ちゃんのおうちなのに」


 芽依はそう言ってから、つよし号の方を見た。


 望来は、赤ちゃん村人の手を両手で握っていた。


 赤ちゃん村人は扉を見ている。


 体を前に出したがっている。


 でも、望来が止めている。


「赤ちゃんのおうち、あったね」


 望来が、さっきと同じことをもう一度言った。


 声は少しだけ明るくしようとしていた。


 でも、目は泣きそうだった。


「ベッド、あったと?」


「うん」


 創磨が答える。


「赤ちゃんのベッド?」


「たぶん」


「パンも?」


「うん」


「じゃあ、赤ちゃん、帰れる?」


 創磨は、すぐに答えられなかった。


 扉の前の白い石を見る。


 止まる印。


 まだ進めない場所。


 望来が花に変えたがっている石。


「まだ」


 創磨は言った。


「また、まだ?」


「うん」


「なんで」


 望来の声が、少しだけ強くなった。


「赤ちゃんのおうち、あったとに」


「中にも糸があったけん」


「糸、いや」


「うん」


「取ったらよかやん」


「中に入らんと取れん」


「じゃあ、入ったらよかやん」


「まだ入らん」


 望来の口が、ぎゅっと曲がった。


 赤ちゃん村人の手を握る力が強くなりかける。


 すぐに芽依が言った。


「みく、やさしく」


「やさしくしとる」


「今、ぎゅってした」


「ちょっと」


「ちょっとでも痛かかもしれん」


 望来は自分の手を見た。


 それから、赤ちゃん村人の手を少しだけゆるめた。


「ごめんね」


 小さく言って、また扉を見る。


 その顔を見て、創磨の胸が苦しくなった。


 望来は帰したい。


 赤ちゃん村人を家に帰したい。


 でも、望来自身もまだ三歳で、赤ちゃん村人と一緒に扉へ行きたくてたまらない。


 止める役をしているのに、止められているのは望来でもある。


 創磨は扉の横のたいまつを見た。


 火はまだ小さく燃えている。


 昼の光の中では、たいまつの明るさはそれほど強くない。けれど、扉の板の横だけは、さっきより少しだけ色がついて見える。


 この火を置いたことで、中が見えた。


 見えたから、怖くなった。


 でも、見えなければ、もっと何もできなかった。


「黒いところ」


 創磨はつぶやいた。


 芽依が顔を上げる。


「黒いところ?」


「天井の近くに、黒かところがあった」


「家の中に?」


「うん。穴か、すき間か、影か、わからん」


「また、わからん」


「うん」


 創磨は扉を見た。


 扉の向こうにあった黒い影。


 白い糸は壁の端だった。


 でも、黒い影は上だった。


 屋根の近く。


 もし、あれがただの影ではなく、外とつながっているすき間だったら。


 何かがそこから入ったのかもしれない。


 クモは壁を登る。


 屋根にも行く。


 上から来る。


 創磨たちは、それをもう知っている。


「中に入らんなら」


 芽依が言った。


「外から見ればよかやん」


 創磨は芽依を見た。


「外?」


「うん。黒かところが上なら、外から屋根の下見たらわかるかもしれんやろ」


 芽依は当たり前みたいに言った。


 でも、少しだけ声が震えていた。


 怖くないわけではない。


 それでも、考えている。


 創磨は、扉の上を見た。


 屋根。


 壁。


 その間。


 確かに、外から見ればわかるかもしれない。


 中に入らずに。


「……見る」


 創磨は言った。


「家の横と、裏と、屋根の下」


「中、入らんとよ」


「入らん」


「扉も、もう開けんとよ」


「今は開けん」


「みくたちは、ここ」


 芽依はすぐにつよし号の前に移動した。


 地面に置いてあった灰色の石を拾い、白い花の線より少し手前に置き直す。


「みく、ここまで」


「みく、見えん」


「見えるところまで動かす。でも、線越えん」


「赤ちゃん、おうち見えん」


「見えるって。こっち向ければ」


 芽依はつよし号の前に回り、ゆっくり向きを変えた。


 木の底が土にこすれて、ずず、と音を立てる。


 望来の体が少し揺れた。


「わっ」


「みく、座っとって」


「座っとる」


「赤ちゃんも」


 芽依は赤ちゃん村人の肩を見て、少しだけ手を伸ばした。


 触ろうとして、やめる。


 代わりに、望来に言った。


「みくが持っとくとよ」


「みく、持っとる」


「でも、強くせん」


「わかっとる」


「赤ちゃんが行こうとしたら?」


「まだ、って言う」


「みくが行きたくなったら?」


 望来は黙った。


 創磨も芽依も、その顔を見た。


 望来は赤ちゃん村人の手を見て、それから自分の膝を見た。


「……めい、止める?」


「止める」


「痛くせんで」


「みくが急に出たら、服つかむけん」


「やだ」


「出んかったらつかまん」


 望来は少し考えてから、こくんとうなずいた。


「みく、ここ」


「うん」


 芽依は地面に木片を一つ立てた。


「ここ、みくと赤ちゃんの場所」


「みくの場所?」


「うん。待つ場所」


「赤ちゃんの場所」


「そう」


 望来はその木片を見た。


 ただの小さな木片なのに、自分の場所だと言われると、少しだけ納得した顔になった。


 創磨はそれを見て、盾を持ち直した。


 扉ではなく、家の横を見る。


 昼の光はまだある。


 でも、家の横は少し暗かった。


 屋根の出っ張りが影を作っている。石の壁と木の梁の間に、細い影が重なっている。


 そこに何かがあっても、遠くからはわからない。


「芽依、前じゃなくて横」


「わかっとる」


「みくたち、見てて」


「わかっとるって」


「あと、石」


「持っとる」


 芽依は握っていた石を見せた。


 怖い時の石。


 目印にもなる石。


 投げるためではなく、ここにいることを自分に知らせるための石。


 創磨は家の横へ一歩進んだ。


 扉の前の白い石を越えないように、少し斜めに回る。


 扉から入るのではない。


 外から見るだけ。


 そう何度も心の中で言った。


     *


 家の横は、さっきより静かに感じた。


 同じ昼なのに、扉の前とは空気が違う。


 家の正面には白い花の道がある。


 つよし号も見える。


 望来の声も聞こえる。


 でも、角を少し回るだけで、光は減った。


 屋根の下の影が、壁に沿って長く伸びている。


 創磨は盾を左腕に構えたまま、壁の上の方を見上げた。


 首が痛い。


 屋根は思ったより高い。


 自分の家の屋根を見た時もそうだった。ゲームの中なら簡単に見える場所が、本当に立って見上げると、遠い。


「見える?」


 芽依が後ろから聞いた。


「まだ」


「近づきすぎんでよ」


「うん」


「顔、出しすぎんでよ」


「うん」


「ほんとに?」


「ほんと」


 芽依は疑っている声だった。


 でも、ついて来てくれている。


 創磨は少しだけ壁に近づいた。


 石の壁には、でこぼこがある。


 木の柱と石の間に、小さな隙間がいくつかあった。


 ただの建て方のすき間かもしれない。


 風が入る場所かもしれない。


 でも、天井の近くに見えた黒い影とつながっているかは、わからない。


「こっちじゃなかかも」


 創磨が言うと、芽依はすぐに足元へ石を置いた。


「ここ、見た」


「うん」


「見たけど、わからん場所」


「灰色?」


「灰色」


 芽依は灰色の石を置いた。


 見たけど、あとでまた見る場所。


 その意味が、二人の中で少しずつ決まっていく。


「裏も見る?」


「うん」


「つよし号、見えるとこまでね」


 芽依は振り返った。


「みく、そこから動かんとよ!」


 望来の声が返ってくる。


「動いとらん!」


「赤ちゃんは?」


「みく、持っとる!」


「強くせん!」


「してない!」


 返事は強い。


 でも、その強さが少しだけ安心でもあった。


 声がする。


 そこにいるとわかる。


 創磨は家の角へ進んだ。


 角を曲がる前に、一度止まる。


 父の声が頭の中で鳴る。


 そう。


 危ない時に、短く呼ばれる声。


 顔を出しすぎるな。


 先に音を聞け。


 体全部を出すな。


 創磨は、盾を少し前にして、耳をすませた。


 何も聞こえない。


 村人の低い声が遠くで聞こえる。


 鉄ゴーレムの足音も、もっと遠い。


 家の裏は静かだ。


「そうま」


 芽依が小さく言った。


「うん」


「怖かったら、やめてよかよ」


「怖か」


「じゃあ、やめる?」


「見らん方が、もっと怖か」


 芽依は黙った。


 それから、小さく言った。


「それ、めいもわかる」


 創磨は少しだけ振り返った。


 芽依は強い顔をしていた。


 でも、目は屋根の下から離れていない。


 五歳の妹。


 石を握って、怖がりながらもついてくる妹。


 創磨はうなずいて、家の裏へ回った。


     *


 裏側は、正面よりもずっと暗かった。


 昼なのに、屋根の下だけは夜の残りみたいだった。


 地面には草が少し伸びている。


 壁の根元に、小さな土の段差がある。


 たいまつはない。


 ここにはまだ、明かりを置いていなかった。


「ここ、暗か」


 芽依が言った。


「うん」


「たいまつ、いるやん」


「いる」


「でも、足りんやろ」


「うん」


 二人とも、すぐに置くとは言えなかった。


 さっき一本を扉の横に置いた。


 家の分も必要。


 自分たちの家の周りにも必要。


 たいまつは、ただ明るくするものではなく、夜を生きるためのものだった。


 でも、暗い場所を暗いままにしておくのも怖い。


 創磨は、家の裏の壁を見上げた。


 屋根と壁の間。


 木の梁の下。


 石の上。


 そこに、黒い線があった。


 最初は影だと思った。


 けれど、創磨は息を止めた。


 影にしては、細すぎる。


 ただの木の合わせ目にしては、奥が黒すぎる。


 その端に、白いものが引っかかっていた。


 ほんの少し。


 糸。


「芽依」


 創磨の声は、自分でも驚くくらい小さかった。


「なに」


「あれ」


 芽依が創磨の指先を追って見上げる。


 すぐにはわからなかったらしく、目を細めた。


「どこ」


「あの屋根の下。黒か線」


「……あ」


 芽依の声が消えた。


 見つけた。


 黒いすき間。


 その端の白い糸。


「糸?」


「たぶん」


「中の糸と、つながっとる?」


「わからん」


「でも、場所、上やん」


「うん」


「家の中で見えた黒かやつ、あそこ?」


「たぶん」


 また、たぶん。


 でも、さっきよりは近い。


 扉のすき間から見えた黒い影。


 今、外から見上げている黒いすき間。


 同じ高さ。


 同じあたり。


 そこに、白い糸。


 創磨の背中に冷たいものが走った。


 クモが入った道かもしれない。


 屋根から、壁の上から、あのすき間を通って、家の中へ。


 赤ちゃん村人のベッドがある家へ。


「……ここから入ったと?」


 芽依が聞いた。


「わからん」


「でも、入れるすき間ってこと?」


「小さかけど、クモなら」


 創磨は言いかけて、止まった。


 望来に聞こえたら怖がるかもしれない。


 でも、望来はもう聞いていた。


「くもしゃん?」


 つよし号の方から声がした。


 創磨と芽依が振り返る。


 望来はつよし号の中で赤ちゃん村人の手を握ったまま、こっちを見ていた。


 距離はある。


 でも、三歳の耳は、聞きたい言葉だけよく聞く。


「みく、そこ」


 芽依が先に言った。


「動いとらん」


「ならよか」


「くもしゃん、おった?」


「おらん」


 創磨が答える。


「ほんと?」


「おらん。くもしゃんはおらん」


「ひも?」


 望来はまた聞いた。


 創磨は、少しだけ迷ってからうなずいた。


「ひもは、あった」


 望来の顔が曇った。


 赤ちゃん村人の手を握り直す。


「赤ちゃんのおうち、ひもばっかり」


 その言葉に、誰もすぐには返事できなかった。


 赤ちゃん村人は、つよし号の中で体を小さくしていた。


 さっきまでは扉の方へ前に出ようとしていた。


 でも今は、屋根の下の黒いすき間の方を見ている。


 そして、少しだけ後ろへ下がっている。


 望来がそれに気づいた。


「赤ちゃん?」


 望来は赤ちゃん村人の顔をのぞき込んだ。


「ここ、こわかと?」


 赤ちゃん村人は答えない。


 けれど、緑がかった目は、扉ではなく、屋根の下を見ていた。


 小さな手が、望来の手を握り返す。


 望来の顔が変わった。


 帰りたい。


 でも、怖い。


 その二つが、赤ちゃん村人にもあるのかもしれない。


「赤ちゃん、こわかったと?」


 望来の声が震えた。


「おうち、こわかったと?」


 創磨は黒いすき間を見上げたまま、奥歯をかんだ。


 赤ちゃん村人の家は、帰る場所だった。


 でも、もしかしたら、怖いことがあった場所でもある。


 ベッド。


 倒れた器。


 パンのかけら。


 白い糸。


 黒いすき間。


 それらが、頭の中でひとつにつながりかける。


 でも、全部はまだわからない。


 わからないのに、わかったふりをしてはいけない。


「ここ、直さんば」


 創磨は言った。


 芽依が顔を上げる。


「すき間?」


「うん」


「どうやって?」


「まだわからん」


「また」


「でも、場所はわかった」


 創磨は黒いすき間を指さした。


「あそこをふさがんと、赤ちゃんは帰せん」


 芽依は、扉の前の白い石を見た。


 そこから黒いすき間へ目を移す。


 また白い石を取り出しそうになって、少し考えた。


「ここ、白い石?」


「危ない場所やけん」


「でも、上やん」


「下に置くしかなか」


 芽依は白い石を一つ、家の裏の壁の根元に置いた。


 そのすぐ横に、灰色の石を置く。


「白い石は危ない」


「うん」


「灰色は、あとで見る」


「うん」


「木片は?」


「直す場所」


 創磨が言うと、芽依はポケットから小さな木片を出した。


 それを白い石と灰色の石のそばに立てようとして、うまく立たず、倒れた。


「むかつく」


 芽依が小さく言った。


 もう一度、土の角に押し込む。


 木片は斜めに立った。


「これ、直す場所」


「うん」


「でも、今は直せん」


「今は、見るだけ」


「また見るだけ」


「でも、今度は、どこを直すかわかった」


 芽依は少しだけ黙った。


 それから、木片を見た。


 白い石。


 灰色の石。


 木片。


 花ではない。


 でも、ただの止まる印だけでもない。


「みく!」


 芽依が声をかけた。


「なに!」


「ここ、直す場所にした!」


 望来はつよし号の中から、身を乗り出しそうになった。


 すぐに赤ちゃん村人の手を見て、止まる。


「そこ、なおすと?」


「うん」


「なおしたら、赤ちゃん帰れる?」


 芽依は創磨を見た。


 創磨は、すぐに「帰れる」とは言えなかった。


 扉の中にはまだ白い糸がある。


 床も、ベッドも、器も、ちゃんと見ていない。


 黒いすき間をふさいでも、全部安全になるとは限らない。


 でも、何も言えないままにするのも違った。


「一つ、近づく」


 創磨は言った。


「一つ?」


「うん。ここ直したら、赤ちゃんが帰れる家に、一つ近づく」


 望来はその言葉を考えているようだった。


 赤ちゃん村人の手を握ったまま、白い花を見た。


 手の中にある、まだ置けない花。


「ここ、なおしたら、花?」


 望来が聞いた。


 創磨は、扉の前の白い石を見た。


 そして、家の裏に置いた白い石を見る。


 まだ花にはできない。


 でも、花にするための場所がわかった。


「うん」


 創磨はゆっくりうなずいた。


「ここ、なおしたら」


「扉の前も?」


「うん。ここを直して、中もちゃんと見て、危なくなかったら」


「長か」


 望来が少しだけ不満そうに言った。


 芽依がすぐに言う。


「長くても、危なかよりよかやろ」


「赤ちゃん、帰りたかもん」


「帰すために、長かと」


 芽依の言い方は少し強かった。


 でも、望来は怒らなかった。


 赤ちゃん村人が、黒いすき間の方を見たまま、自分の手を握っているからかもしれない。


 望来は小さくうなずいた。


「赤ちゃん、なおしてからね」


 赤ちゃん村人は答えない。


 でも、望来の手を離さなかった。


     *


 創磨は、黒いすき間をもう一度見上げた。


 高い。


 手は届かない。


 ジャンプしても無理だ。


 はしごがいるかもしれない。


 足場がいるかもしれない。


 木の板でふさげるかもしれない。


 土を積めば届くかもしれない。


 でも、土を積むなら、崩れないか考えないといけない。


 芽依が登りたがる。


 望来は絶対に登らせられない。


 赤ちゃん村人もつよし号から出せない。


 考えることが、次々に増えていく。


 それでも、さっきよりはましだった。


 さっきまでは、黒い影だった。


 今は、黒いすき間になった。


 わからない怖さから、直す場所へ少し変わった。


「そうま」


 芽依が言った。


「今日、直す?」


 創磨は首を振った。


「道具、考えんと」


「木、いる?」


「たぶん」


「土も?」


「いるかも」


「たいまつは?」


「上に置きたい」


「届かんやん」


「うん」


「じゃあ、足場?」


「たぶん」


「また、たぶん」


「でも、たぶんが増えた」


 芽依はきょとんとした。


「なにそれ」


「さっきまでは、何もわからんかった」


 創磨は黒いすき間を指さした。


「今は、あそこを直さんばってわかった」


 芽依は、しばらく黒いすき間を見ていた。


 それから、少しだけ口を結んだ。


「じゃあ、次は、あそこ」


「うん」


「めい、下の印係」


「うん」


「みくは待つ係」


 つよし号の方から、望来が言った。


「みく、赤ちゃん持つ係」


 芽依は少しだけ笑いそうになって、でも笑わなかった。


「そう。赤ちゃん持つ係」


「強くせん」


「うん」


「みく、まだ、って言う」


「うん」


 望来は赤ちゃん村人の手を両手で包んだ。


「まだ」


 小さく言う。


「まだ、なおしてから」


 赤ちゃん村人は、扉ではなく、黒いすき間を見ていた。


 その横顔は、やっぱり何を考えているのかわからない。


 でも、家に帰りたいだけではないことは、少しだけわかった気がした。


 創磨は、扉の前の白い石へ戻った。


 まだ、そこにある。


 朝から置いたまま。


 望来が嫌がった石。


 芽依が置いた石。


 創磨が必要だと思った石。


 さっきまでは、その石がただ冷たく見えた。


 帰れない場所。


 止まる場所。


 でも今は、少しだけ違う。


 どこを直せばいいのか、わかってきたからだ。


 創磨はしゃがんで、白い石に触れた。


 動かさない。


 まだ花にはしない。


 ただ、指先で少しだけ土を払った。


「まだ、石?」


 望来が聞いた。


「うん」


「いつ花?」


「黒いすき間を直したら」


「ほんと?」


「ほんと」


 望来は、手の中の白い花をぎゅっと握った。


 花びらは少ししわになっていた。


 それでも、望来は捨てなかった。


「これ、まだ」


「うん」


「あとで」


「うん」


「赤ちゃんのおうち、あとで花にすると」


 創磨はうなずいた。


 芽依も、うなずいた。


 赤ちゃん村人は何も言わなかった。


 昼の光の中で、扉横のたいまつだけが小さく燃えている。


 赤ちゃん村人の家は、まだ帰る場所には戻らなかった。


 けれど、どこを直せばいいのかは、初めて見えた。


 白い石は、まだ白い石のままだった。


 でも、それはもう、ただ止まるだけの石ではなかった。

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