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妹の薬が尽きる前に  作者: MONEMOLT


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26/32

赤ちゃんのいえ





 創磨がはしごから下りた時、足の裏が地面についたのに、まだ体は屋根の上に残っているみたいだった。


 膝が少し笑っている。


 手のひらには、はしごの木を強く握ったあとが残っていた。指を開くと、じん、と痛い。落ちなかった。それだけで体の奥から力が抜けそうになる。


「そうま」


 芽依がすぐに近づいてきた。


 顔は怒っている。


 けれど、目は創磨の足元ばかり見ていた。


「落ちんかった?」


「うん」


「ほんとに?」


「ほんと」


「足、ふらふらしとる」


「ちょっとだけ」


「ちょっとじゃなか」


 芽依はそう言って、はしごの下に置いていた白い石を拾った。


 屋根に登る前、芽依が置いた目印だった。


 ここから先は危ない。


 ここで待つ。


 ここから上を見上げる。


 ただの石なのに、芽依にとってはちゃんと仕事をしたものだった。


「上、どうやったと」


 芽依が聞いた。


 創磨はすぐには答えられなかった。


 屋根の上。


 たいまつ。


 白い糸のかけら。


 端の方に残っていた細いもの。


 夜に床板の上から聞こえた、かさ、という音。


 全部が一緒になって、まだ胸の中でざわざわしている。


「糸、あった」


 創磨が言うと、芽依の手が止まった。


「くもの?」


「たぶん」


「またたぶん」


「でも、あれはたぶんじゃなくて、糸」


「……上にも来とったと?」


 芽依の声が小さくなった。


 創磨は家の屋根を見上げた。


 さっきまで自分がいた場所。


 朝の光が当たっているのに、屋根の端だけはまだ暗く見えた。


「来たかもしれん」


「家の上?」


「うん」


「じゃあ、下だけからんしてもだめやん」


「うん」


 創磨はうなずいた。


 それが、屋根に登ってわかったことだった。


 横だけではない。


 裏だけでもない。


 上もある。


 そして、上があるなら、自分たちの家だけでもない。


 村には、ほかにも屋根がある。


 屋根の上は、どの家も似ている。


 木と石の四角い家。


 たいまつがあるところもあれば、ないところもある。


 明るい壁もあれば、窓の上に影を残している家もある。


 クモが屋根を通るなら。


 自分たちの家だけを見ても、終わりではない。


「そうま」


 望来の声がした。


 つよし号の中からだった。


 望来は赤ちゃん村人の服の端を握ったまま、こっちを見ている。


「くもしゃん、いた?」


「いなかった」


「いなかった?」


「うん。でも、ひもあった」


「ひも?」


「くもが通ったあとかもしれんやつ」


 望来は少し考えた。


 そして、赤ちゃん村人の方を向く。


「赤ちゃん、だめよ。上、くもしゃん」


 赤ちゃん村人は何も言わない。


 ただ、つよし号のへりに小さな手をかけて、村の方を見ていた。


 創磨は、その視線に気づいた。


 赤ちゃん村人は、創磨たちの家を見ていない。


 屋根を見ているわけでもない。


 村の奥。


 畑の向こう。


 井戸の少し先にある、小さな家の方を見ていた。


 何度も。


 同じ方向を。


「赤ちゃん?」


 望来が赤ちゃん村人の顔をのぞきこんだ。


「どこ見ると?」


 赤ちゃん村人は、つよし号から降りようとした。


「だめ」


 望来がすぐに袖をつかむ。


「赤ちゃん、だめ。くものみち」


 芽依も振り返った。


「降りたらだめって言ったやろ」


 赤ちゃん村人は、言葉を返さない。


 けれど、小さな体を前に傾けたまま、村の奥を見ている。


 創磨はその先を見た。


 小さな家。


 扉がひとつ。


 窓がひとつ。


 屋根は低い。


 でも、その屋根の端に、たいまつはない。


「あの家……」


 創磨がつぶやくと、芽依もそっちを見た。


「赤ちゃんの家?」


「わからん」


「でも、赤ちゃん、あっち見よる」


「うん」


 望来がすぐに顔を上げた。


「赤ちゃんのおうち?」


 その声は、少しうれしそうだった。


 望来にとって、赤ちゃん村人はずっと一緒にいる子だった。


 つよし号に乗る子。


 パンを分ける子。


 服の端を握る子。


 でも、赤ちゃん村人にも家がある。


 帰る場所がある。


 そのことに、望来は今初めて気づいたみたいだった。


「赤ちゃん、おうち行く?」


 望来が聞いた。


 赤ちゃん村人は答えない。


 でも、また体を前に出した。


「だめ!」


 芽依が声を強くした。


「勝手に行ったらだめ。上、まだ見てなかとよ」


 望来はむっとした。


「みく、赤ちゃん係やもん」


「係やけん、止めると」


「赤ちゃん、おうち行きたかと」


「行きたかでも、危なかと!」


 芽依の声が少し大きくなった。


 望来の口が曲がる。


「めい、こわい」


「怖く言わんと、みく聞かんやん」


「聞くもん」


「聞いとらんやん」


 言い合いになりそうだった。


 創磨は、はしごの横に座り込んだまま、二人の声を聞いていた。


 足がまだ少し震えている。


 喉も渇いている。


 腹も、朝のパンだけでは足りない。


 でも、今止めるだけではだめだと思った。


 赤ちゃん村人が帰りたがる。


 望来がそれを守りたがる。


 それなら、赤ちゃん村人の行き先を知らないままにはできない。


 知らない場所は、夜になるともっと怖くなる。


「見るだけ」


 創磨が言った。


 芽依がすぐに振り向く。


「どこを?」


「あの家」


「行くと?」


「見るだけ」


「そうま、さっき屋根から下りたばっかやん」


「うん」


「足、ふらふらしとるやん」


「うん」


「じゃあ休まんば」


 芽依の言うことは正しい。


 創磨自身も、休みたかった。


 でも、赤ちゃん村人はまだあの家を見ている。


 望来も、その顔を見ている。


 このまま「だめ」で終わらせたら、望来はたぶん納得しない。


 あとで勝手に動くかもしれない。


 赤ちゃん村人を追いかけようとするかもしれない。


 その方が、もっと危ない。


「今、ちょっとだけ見る」


 創磨は言った。


「屋根には登らん」


「ほんとに?」


「ほんと」


「はしご持っていかん?」


「持っていかん」


「上、見たくなっても登らん?」


「登らん」


 芽依はまだ疑っている顔だった。


 でも、少ししてから、つよし号の方を見た。


 望来は赤ちゃん村人の手を握っている。


 自分は止めているつもりなのに、体ごと前へ乗り出していた。


「みく、落ちる!」


「落ちん」


「落ちるって!」


 芽依がつよし号の前に行って、望来の肩を押さえた。


 それから、創磨に向かって言った。


「じゃあ、花の道いる」


「花の道?」


「赤ちゃんのおうちまで」


 芽依はポケットを探った。


 小さな白い石。


 葉っぱ。


 しおれかけた白い花。


 木片。


 いつ拾ったのかわからないものが、またいくつも出てきた。


「白い石は危ないとこ」


 芽依は言った。


「白い花は、通ってよかとこ」


 創磨は芽依を見た。


 第十八話の時、望来が家の入口に白い花を置いた。


 家に戻る最後の目印。


 その小さな花を、創磨はいいと思った。


 芽依はそれを覚えていた。


 都合のいいことだけではない。


 ちゃんと、必要なことも覚えている。


「うん」


 創磨はうなずいた。


「花の道、作る」


「めいが作る」


 芽依はすぐに言った。


「そうまは、先見て」


「うん」


「でも、走らんで」


「うん」


「赤ちゃんとみくは、つよし号」


「うん」


 望来がすぐに言った。


「みく、花の道」


「まだ作っとらん」


「作る」


「めいが作ると」


「みくも」


「みくは、つよし号から」


「赤ちゃんも?」


「赤ちゃんも」


 望来は赤ちゃん村人の手を握った。


「赤ちゃん、花の道よ」


 赤ちゃん村人は何も言わない。


 けれど、望来に手を握られたまま、少しだけ動くのをやめた。


     *


 村の中を進むだけなのに、創磨には思ったより時間がかかった。


 ただ歩けばすぐの距離だった。


 でも、ただ歩くわけにはいかなかった。


 屋根を見る。


 窓の上を見る。


 壁の角を見る。


 地面を見る。


 つよし号の車輪みたいに動く底が、段差に引っかからないかを見る。


 望来が身を乗り出していないかを見る。


 赤ちゃん村人が花の道から外れようとしていないかを見る。


 見るものが多すぎた。


「そうま、前」


 芽依が言った。


 創磨は足を止めた。


 畑へ続く細い道の横に、草が少し高くなっている場所があった。


 白い石を置くにはちょうどいい。


「ここ、危なか?」


 芽依が聞く。


「段差ある」


「じゃあ白い石」


 芽依は小さな白い石を置いた。


 望来がつよし号の中からそれを見ている。


「白い石、だめ」


「そう。だめ」


「くものみち?」


「くものみちか、落ちるみち」


「落ちるみち、だめ」


「だめ」


 芽依は次に、平らな草の上へ小さな花を置いた。


「ここは花」


「通ってよか?」


「そう」


「赤ちゃん、花よ」


 望来はうれしそうに赤ちゃん村人へ言った。


 赤ちゃん村人は、花をじっと見ていた。


 その小さな目に、何が映っているのかはわからない。


 でも、望来がうれしそうにするからか、赤ちゃん村人もその場で止まった。


「赤ちゃん、わかった」


 望来が言う。


 芽依がすぐに返した。


「みくが勝手に言いよるだけやろ」


「わかったもん」


「赤ちゃん、しゃべっとらんやん」


「みく、わかるもん」


「またそれ」


 芽依は呆れたように言いながらも、花をもう一つ置いた。


 白い花。


 小さな花。


 すぐ踏まれそうな、頼りない目印。


 でも、望来にはわかる。


 創磨にもわかる。


 白い石は、だめ。


 白い花は、通っていい。


 世界の中に、少しだけ自分たちのルールが増えていく。


 それだけで、村の道がただの道ではなくなる。


 戻る道になる。


 逃げる道になる。


 守る道になる。


「そうま」


 芽依が小さく呼んだ。


「なに」


「これ、夜も見えるかな」


 創磨は白い花を見た。


 昼の光の中では見える。


 でも夜になれば、たぶん見えにくい。


 たいまつの近くなら見えるかもしれない。


 暗い場所では、ただの影になるかもしれない。


「たいまつの近くなら」


「じゃあ、花の近くにたいまつ?」


「全部は無理」


「たいまつ、足りん?」


「足りん」


「また足りん」


「うん」


 足りないものばかりだった。


 糸も足りない。


 たいまつも足りない。


 鉄も足りない。


 食べ物も多くはない。


 薬は、増えない。


 二十九回。


 その数字が、また創磨の頭の中に出てきた。


 朝飲ませたから、残り二十九回。


 十四日と半分。


 今は昼にもなっていない。


 薬は減っていない。


 でも、夜になればまた減る。


 何もしなくても、時間だけは進む。


「そうま?」


 芽依が見ていた。


「なに考えよると」


「たいまつ」


「ほんと?」


「……薬も」


 芽依は黙った。


 望来には聞こえていなかった。


 望来は赤ちゃん村人に向かって、花を指さしている。


「ここ、よか」

「ここ、だめ」

「ここ、よか」


 赤ちゃん村人は、ただ見ている。


 でも望来は真剣だった。


 それを見て、芽依は小さく息を吐いた。


「今は、花の道」


「うん」


「薬は、夜」


「うん」


「今は、赤ちゃんのおうち見る」


「うん」


 芽依は、自分に言い聞かせるように言っていた。


 創磨も同じだった。


 全部を一度にはできない。


 今は、赤ちゃん村人の家を見る。


 それだけ。


     *


 赤ちゃん村人が見ていた家は、近くまで来ると本当に小さかった。


 木と石でできた村の家。


 入口の扉は低く、窓も小さい。


 家の横には、たいまつが一本もなかった。


 昼だから明るい。


 でも、屋根の下の影は濃い。


 窓の上も暗い。


 壁と地面の境目に、草が少し伸びている。


 創磨はそこを見て、足を止めた。


「ここ、暗か」


 芽依も同じ場所を見ていた。


「うん」


「夜、もっと暗かよね」


「うん」


「赤ちゃん、ここにおったと?」


「たぶん」


「またたぶん」


「でも、赤ちゃん、ここ見よる」


 つよし号の中で、赤ちゃん村人が身を乗り出した。


 望来が袖をつかむ。


「赤ちゃん、まだ」


「みくも出たらだめ」


 芽依が言う。


「出とらん」


「乗り出しとる」


「ちょっと」


「ちょっとがだめ」


 望来は口を曲げた。


 けれど、赤ちゃん村人の手は離さなかった。


 創磨は家の周りを見た。


 扉。


 窓。


 屋根。


 屋根の端。


 さっき自分の家で見た場所と、同じようなところ。


 クモが壁を登るなら。


 屋根の上を通るなら。


 この家も、通れる。


 この家の中に赤ちゃん村人が一人でいたら。


 夜、窓の上に赤い目が来たら。


 創磨は、考えかけてやめた。


 考えすぎると、足が止まる。


「まず、たいまつ」


 創磨は言った。


「どこ?」


「入口の横」


「屋根は?」


「屋根は、まだ無理」


「登らん約束やもんね」


「うん」


「ほんとやね?」


「ほんと」


 芽依は念を押しながらも、少し安心した顔をした。


 創磨は持ってきたたいまつを一本だけ取り出した。


 多くは使えない。


 でも、ここには一本必要だった。


 家の入口の横。


 窓の下。


 白い花の道から見える場所。


 そこに立てる。


 小さな火が揺れた。


 昼の光の中では、たいした明るさには見えない。


 でも、影が少し薄くなる。


 屋根の下の暗さが、ほんの少しだけ後ろへ下がった気がした。


「赤ちゃんのおうち、あかり」


 望来が言った。


「うん」


 創磨は答えた。


「赤ちゃんのおうちにも、あかり」


 望来はぱっと笑った。


「赤ちゃん、よかったね」


 赤ちゃん村人はたいまつを見ていた。


 火を怖がっているのか、興味があるのか、わからない。


 でも近づきすぎると危ない。


 芽依がすぐに言った。


「赤ちゃん、火はだめ」


 望来も真似する。


「火、だめ。あちち」


「みくもだめ」


「みく、わかっとる」


「ほんとに?」


「ほんと」


 返事だけは、やっぱりいい。


 創磨は、白い石を一つ家の横に置いた。


 窓の上が暗い場所の下。


 そこは近づかない印。


 芽依がもう一つ、家の角へ置く。


「ここも?」


「うん。角、見えにくか」


「じゃあ白い石」


 望来がつよし号から身を乗り出した。


「みく、花」


「つよし号からね」


 芽依が言う。


「降りたらだめ」


「わかった」


 望来は小さな白い花を一つ、つよし号の中から一生懸命手を伸ばして置こうとした。


 でも、届かない。


「届かん」


「だから出らんで」


「ちょっと」


「ちょっともだめ」


「みくの花」


 望来の声が少し泣きそうになった。


 創磨は花を受け取ろうと手を出した。


「おれが置く」


「みくが」


「みくの花って言うけん」


「みくが置いたってして?」


「うん。みくが置いたってする」


 望来は少し考えてから、花を創磨に渡した。


「赤ちゃんのおうちの花」


「うん」


 創磨は入口の横、たいまつから少し離れた場所に白い花を置いた。


 踏まれないように。


 でも、つよし号から見えるように。


 望来はそれを見て、満足そうにうなずいた。


「赤ちゃん、ここよ」


 赤ちゃん村人は、その花を見ていた。


 小さな白い花。


 望来の花。


 赤ちゃん村人の家の前の花。


 創磨は、その景色を見ながら、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。


 守るものが増えた。


 でも、ただ増えただけではない。


 場所ができた。


 赤ちゃん村人にも家があった。


 望来が守りたいと言う場所ができた。


 芽依の石と花が、その場所に意味をつけた。


 これで安全になったわけではない。


 でも、何もなかったさっきまでとは違う。


 ここは、もうただの村の家ではない。


 赤ちゃん村人の家だった。


     *


 創磨は帰る前に、もう一度だけ家の周りを見た。


 屋根には登らない。


 約束した。


 だから下から見るだけだった。


 窓の上。


 屋根の端。


 壁の角。


 たいまつの火が届かないところ。


 見るだけ。


 見るだけなのに、目が勝手に探してしまう。


 白いもの。


 細いもの。


 昨夜の気配。


 何もない方がいい。


 何も見つからない方がいい。


 そう思っているのに、見つからなかったら見つからなかったで、怖い。


 本当にいなかったのか。


 見えていないだけなのか。


「そうま、行くよ」


 芽依が言った。


「うん」


「約束、守ったね」


「うん」


「登らんやった」


「うん」


 芽依は少しだけ得意そうだった。


 自分が止めたから、創磨が登らなかったと思っている顔だった。


 たぶん、それでよかった。


 創磨一人だったら、登りたくなったかもしれない。


 確認したくなったかもしれない。


 でも、今日はもう足が震えている。


 もう一回はしごを登ったら、落ちるかもしれない。


 落ちたら、薬どころではない。


 望来も、芽依も、赤ちゃん村人も困る。


 創磨は自分の足を見た。


 朝からずっと動いている。


 まだ昼にもなっていないのに、体はもう一日分動いたみたいに重かった。


「帰ったら、食べる」


 創磨が言うと、芽依はすぐにうなずいた。


「そうま、食べんば」


「芽依も」


「めいは食べるし」


「みくも」


「みくは絶対食べる」


 望来がつよし号から言った。


「みく、パン」


「またパン」


「赤ちゃんもパン」


「ちょっとだけね」


「ちょっと」


 いつもの声だった。


 でも、その後ろに、赤ちゃん村人の家がある。


 入口の横に、小さなたいまつがある。


 白い花がある。


 白い石がある。


 創磨はそれを見てから、つよし号を押す準備をした。


 その時だった。


 風が吹いた。


 赤ちゃん村人の家の屋根の端。


 朝の光が少し斜めに当たる場所。


 そこに、ほんの一瞬だけ白いものが揺れた。


 細い。


 短い。


 見間違いかもしれないくらい、小さなもの。


 創磨は息を止めた。


「そうま?」


 芽依が気づく。


「なに」


 創磨はすぐには答えなかった。


 屋根には登らない。


 約束した。


 だから、今は見るだけ。


 見るだけで、覚える。


 白い石を置いた場所。


 白い花の道。


 たいまつの位置。


 赤ちゃん村人の家。


 そして、屋根の端に揺れた白いもの。


「……帰ろう」


 創磨は言った。


 芽依は創磨の顔をじっと見た。


「なんかあったと?」


「帰ってから言う」


「今言って」


「帰ってから」


「そうま」


「帰ってから。みくも赤ちゃんもおるけん」


 芽依は不満そうに口を結んだ。


 でも、つよし号の中の望来と赤ちゃん村人を見て、言い返すのをやめた。


「じゃあ、花の道から帰る」


「うん」


「白い石、踏まんで」


「うん」


 望来が赤ちゃん村人の手を握った。


「赤ちゃん、帰るよ」


 赤ちゃん村人は何も言わない。


 けれど、家の方を一度だけ振り返った。


 創磨も、もう一度だけ振り返った。


 小さな家。


 入口のたいまつ。


 白い花。


 白い石。


 そして、屋根の端。


 昼の光の中なのに、そこだけがまだ、夜の続きを残しているように見えた。


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