2度目のからん
昼を過ぎても、創磨の耳は家の横を向いていた。
朝、白い石が落ちていた場所。
糸がたるみ、木片がずれ、何かが通ったかもしれない場所。
そこを直したあとも、創磨は何度も家の角を見に行った。
糸は、もう一度張り直してある。
昨日より少しだけ低く。
でも、望来や赤ちゃん村人が歩いて触らない高さに。
木片は壁の隙間へ深く差し込んだ。芽依の白い石は、今度は糸の真ん中ではなく、少し横にぶら下げてある。揺れたら木片に当たるようにした。
きれいな仕組みではない。
ゲームで見たようなトリップワイヤーではない。
レッドストーンもない。
フックもない。
音符ブロックもない。
ただ、細い糸と、小さな石と、拾った木片だけ。
でも、昨夜は鳴った。
からん。
あの小さな音が、創磨を起こした。
怖くて眠れなくした。
そして、朝になって、何かがあったと教えてくれた。
「そうま」
芽依が家の入口から顔を出した。
「また見よると?」
「うん」
「見すぎても、鳴らんよ」
「わかっとる」
「わかっとらん顔しとる」
芽依はそう言って、家の横まで来た。
手には、また小さな石を握っている。
白い石ではない。
灰色で、少し平たい石だった。
「それ、また拾ったと?」
「拾った」
「いつ」
「さっき」
「どこで」
「そこ」
芽依は当然みたいに地面を指さした。
創磨は少しだけ息を吐いた。
家にいたら、また洗濯機の中でがらがら鳴るやつだ。
でも、この世界では違う。
芽依が拾った石は、目印になる。
警報になる。
戻る場所を教えてくれる。
怖い場所と、安全な場所の線になる。
「それ、どうすると?」
創磨が聞くと、芽依は少し得意そうに言った。
「二個目」
「二個目?」
「からん、もう一個いるやろ」
創磨は芽依を見た。
芽依は家の横ではなく、家の裏の方を見ていた。
壁の角を曲がった先。
朝の時点では、まだそこまで見に行っていない場所。
村の家の裏側は、たいまつの光も届きにくい。
昼なのに、少し暗い。
「ここだけ鳴っても、裏から来たらわからんやん」
芽依は言った。
その言葉は、創磨の胸に落ちた。
確かにそうだった。
家の横だけでは足りない。
クモは壁を登る。
横だけではなく、裏にも、屋根にも行く。
でも、糸は多くない。
今ある糸を全部使えば、弓はもっと遠くなる。
けれど、弓を作ったとしても、夜に近づいてくるものに気づけなければ意味がない。
「糸、足りるかな」
創磨はつぶやいた。
「短くしたらよかやん」
「短くしたら、そこ通らんかったら鳴らん」
「でも、ないよりよか」
芽依はすぐに言った。
「一本より二本がよか」
創磨は黙った。
芽依の言うことは、たぶん合っていた。
完全なものを作ろうとして何もしないより、弱くても二か所に音がある方がいい。
風で鳴るかもしれない。
赤ちゃん村人が触るかもしれない。
望来が気になって手を伸ばすかもしれない。
でも、それでも。
何もないよりは、いい。
「……じゃあ、裏にも作る」
創磨が言うと、芽依はうなずいた。
「めいの石、使ってよかよ」
「返せんかもしれんよ」
「仕事したらよか」
「うん」
「でも、めいの石って言って」
「芽依の石」
「よし」
芽依は満足そうに、手の中の灰色の石を創磨へ渡した。
*
家の裏は、思っていたより静かだった。
村人の声も、井戸の音も、鉄ゴーレムの足音も、少し遠くなる。
同じ家の周りなのに、角をひとつ曲がるだけで、世界が変わったみたいだった。
創磨は壁に手を当てて、ゆっくり進んだ。
盾は持っている。
でも、両手を使いたいから、体の横に置いてあるだけだった。
すぐに構えられるように、壁にもたせかけている。
「そうま、顔出しすぎ」
芽依が後ろから小さく言った。
「出しとらん」
「出しとる」
「ちょっと見るだけ」
「そのちょっとが危なかと」
芽依の声は、少し母に似ていた。
でも、言っている芽依自身も、顔を出したくてうずうずしている。
創磨はそれを見て、少しだけ笑いそうになった。
でも、すぐにやめた。
笑うには、家の裏は静かすぎた。
地面を見る。
草の面。
土の角。
壁の根元。
朝見たようなはっきりした跡はない。
けれど、何もないとは言い切れない。
「ここ、暗かね」
芽依が言った。
「うん」
「たいまつ置く?」
「置きたい」
「じゃあ置こう」
「たいまつ、減る」
「暗いよりよか」
また、芽依の言うことは合っていた。
たいまつは大事だ。
でも、暗い場所をそのままにする方がもっと怖い。
創磨は家の中から持ってきたたいまつを一本、裏の壁の角に立てた。
小さな火が揺れる。
昼でも、その火があるだけで少し息がしやすくなった。
「ここ、くものみち?」
家の入口の方から、望来の声がした。
創磨と芽依が同時に振り返る。
望来はつよし号に座ったまま、身を乗り出していた。
赤ちゃん村人も隣で同じようにこちらを見ている。
「みく、そこから出ん!」
芽依がすぐに言った。
「出とらん」
「乗り出しとる!」
「見よるだけ」
「見よるだけでも落ちると!」
望来は少しむっとした顔をした。
でも、赤ちゃん村人の服の端をつまんで、自分もつよし号の中へ座り直した。
「赤ちゃん、だめよ」
望来は小さな声で言った。
「くものみち、だめ」
赤ちゃん村人は何も言わない。
けれど、望来に引かれて、つよし号の中でじっとした。
芽依はそれを見て、少しだけ表情をやわらげた。
「みく、えらい」
「えらい?」
「うん。赤ちゃん止めたけん」
望来はすぐに笑った。
「みく、止めた」
「でも、みくも出たらだめ」
「出ん」
「ほんとに?」
「ほんと」
返事はいい。
創磨はその返事を聞きながら、胸の中で少しだけ不安になった。
望来は守ろうとする。
でも、まだ三歳だ。
守ろうとして、自分が前に出るかもしれない。
赤ちゃん村人を止めようとして、つよし号から落ちるかもしれない。
だから、望来をただ「えらい」で終わらせてはいけない。
守れるようにするには、望来が動かなくても守れる場所を作らなければならない。
「芽依」
「なに」
「つよし号の場所、決める」
「場所?」
「夜、からん鳴った時、どこにおるか」
芽依はすぐに真面目な顔になった。
創磨は家の入口を見た。
床下の扉。
薬袋。
水。
つよし号。
赤ちゃん村人。
盾。
全部が近くにある場所。
「入口の中。床下の近く」
「外じゃなくて?」
「夜は中」
「でも、からん見えんやん」
「見えんでよか」
「みく、見たがるよ」
「だから中」
芽依は少し考えてから、うなずいた。
「そうね。みく、見たがるけん」
見たい。
触りたい。
ちょっとだけ。
それが望来だった。
かわいい。
でも、この世界では危ない。
創磨は家の裏に、短い糸を張った。
低すぎないように。
高すぎないように。
壁の木片に結び、芽依の灰色の石を軽くぶら下げる。
何度も試す。
指先で少しだけ揺らす。
から。
小さな音がした。
昨日の音より、もっと軽い。
頼りない。
でも、鳴った。
「鳴った」
芽依が言った。
「鳴ったね」
「でも、小さか」
「うん」
「夜、聞こえる?」
「わからん」
「またわからん」
「でも、ないよりいい」
創磨がそう言うと、芽依は少しだけ笑った。
「そうま、めいみたいなこと言った」
「言ってなか」
「言った」
「言ってなか」
小さな言い合いだった。
でも、その言い合いができるくらいには、昼の光がまだ残っていた。
*
夕方になると、家の中の空気が少しずつ重くなっていった。
窓の外の光が赤くなる。
村人の動きがゆっくりになる。
鉄ゴーレムの足音が、昼よりも大きく聞こえる。
たいまつの火が目立ち始める。
創磨は食べ物を並べた。
パンを少し。
焼きじゃがいもを少し。
赤ちゃん村人にも、望来が分けたがる分を最初から小さく取っておく。
そうしないと、望来は自分の分をどんどん渡してしまう。
「あの子、パン」
望来はすぐに言った。
「ある」
創磨は小さなかけらを見せた。
「これは赤ちゃんの分」
「みくがあげる」
「あとでね」
「いま」
「先にみく食べて」
「赤ちゃん、さき」
「みくが先」
芽依が横から言った。
「みく、薬飲まんばやけん、ごはん食べんば」
「おくすり、あと?」
「あと」
「にがい?」
「にがい」
「やだ」
「水あるけん」
「パンもある?」
「ある」
いつものやり取り。
でも、創磨は薬袋を見ながら、手が少し止まった。
朝の薬を飲ませて、残り三十一回。
今夜飲ませれば、三十回。
十五日分。
三十。
数字が丸くなると、なぜか余計に怖かった。
三十一はまだ、少し余りがあるように見える。
でも、三十になると、何かが一段減った感じがする。
最初は四十二回あった。
三週間あった。
それが、三十回。
十五日。
まだ十五日ある。
そう思いたい。
でも、もう六日分が消えている。
この世界に来てから、朝と夜がちゃんと来ている。
薬は、そのたびに減っている。
「そうま?」
芽依が見ていた。
創磨は小さく首を振った。
「なんでもなか」
「なんでもなくなか顔」
「薬、先にする」
「うん」
芽依はそれ以上、聞かなかった。
でも、器に水を入れる手つきが少しだけ慎重になった。
望来は布の上に座り、赤ちゃん村人の袖を握っている。
「みく、口」
「にがい?」
「にがい」
「パン、あと?」
「あと」
「ちょっと大きいパン?」
「ちょっと」
「大きいちょっと?」
「普通のちょっと」
望来は不満そうに口を曲げたが、ちゃんと開けた。
創磨は薬を入れた。
芽依が器を支える。
望来が水を飲む。
こくん。
小さな喉が動いた。
創磨は、その動きを最後まで見た。
「飲めた」
「飲めた」
芽依も言った。
望来は顔をしかめ、すぐに手を出した。
「パン」
芽依が小さなパンを渡す。
望来は半分を自分の口に入れ、残りを赤ちゃん村人に差し出した。
「あの子も」
「ちょっとね」
「ちょっと」
赤ちゃん村人はそれを受け取った。
食べる。
望来はうれしそうに笑った。
「あの子、食べた」
「うん」
創磨も言った。
そして、薬袋をしまいながら、胸の中だけで数えた。
残り三十回。
十五日分。
声には出さなかった。
出したら、芽依の顔がまた固くなると思った。
望来はたぶん、全部はわからない。
でも、創磨と芽依の声の変化くらいは感じてしまう。
だから、声には出さない。
ただ、袋をしっかりしまう。
絶対に落とさない場所に。
すぐ取り出せる場所に。
水の近くに。
床下の扉の近くに。
*
夜が来た。
家の中のたいまつが、壁に揺れる影を作っている。
望来と赤ちゃん村人は、床下の扉に近い場所に移したつよし号の中に座っていた。
布もかけてある。
眠れるなら眠ってほしい。
でも、望来は眠らなかった。
「からん、鳴る?」
小さな声で聞く。
「鳴らん方がよか」
芽依が答えた。
「なんで」
「鳴ったら、何か来たかもしれんってことやけん」
「でも、からん、えらい」
「えらいけど、鳴らん方がよか」
望来は少し考えた。
「じゃあ、からん、ねんね?」
「そう。からんも寝とってよか」
「からん、ねんね」
望来は赤ちゃん村人にそう言って聞かせた。
「あの子も、ねんね」
赤ちゃん村人は、望来の服の端を握ったまま、静かにしている。
創磨は扉の近くに座っていた。
盾は横。
すぐ持てる場所。
芽依はその隣。
手には小さな石。
投げるためではない。
握っているための石だ。
外は静かだった。
昼に増やしたたいまつの光が、窓の外に少しだけ見える。
家の横。
家の裏。
白い石と灰色の石。
二つのからん。
鳴らないでほしい。
でも、鳴らないままだと、本当に何も来ていないのかわからない。
鳴ったら怖い。
鳴らなくても怖い。
創磨は膝の上で手を握った。
左腕は、まだ重い。
盾を構え続けたら、すぐに疲れる。
昨日までより少しましになった気もする。
でも、ちゃんと治ったわけではない。
もし今夜、本当にクモが来たら。
もし窓の上から赤い目が見えたら。
もし、二つのからんが同時に鳴ったら。
創磨は息をゆっくり吐いた。
父ならどうするだろう。
そう考えて、すぐにやめた。
父はいない。
母もいない。
ここで動くのは自分だ。
でも、父の声だけは頭に残っている。
危ない時の、短い声。
――そう。
その声が、今もどこかで待っている気がした。
「そうま」
芽依がささやいた。
「なに」
「眠たか?」
「眠たくなか」
「うそ」
「芽依は?」
「眠たくなか」
「うそ」
二人とも、うそだった。
眠い。
昨日も眠れていない。
昼もずっと動いていた。
食べ物も少ない。
体の奥は、もう布に入りたがっている。
でも、耳だけは眠れなかった。
外の音を拾おうとしている。
風。
草。
遠くの村人の声。
鉄ゴーレムの足音。
たいまつが小さく燃える音。
そして。
かさ。
創磨は顔を上げた。
芽依も動きを止めた。
望来も、つよし号の中で目を丸くした。
「いま」
芽依が言った。
「聞こえた」
創磨はうなずいた。
家の横か。
裏か。
まだわからない。
かさ。
もう一度。
今度は少し低い場所。
草がこすれるような音。
創磨は盾に手を伸ばした。
「みく、動かんで」
芽依が小さく、でも強く言う。
望来は赤ちゃん村人の手をぎゅっと握った。
「動かん」
「赤ちゃんも」
「赤ちゃんも動かん」
かさ。
音が近づく。
創磨は喉が乾くのを感じた。
水はある。
でも、今は飲めない。
盾を持つ。
左腕に重さが来る。
まだ構えていないのに、腕が少し嫌がる。
外を見るな。
顔を出しすぎるな。
でも、見なければわからない。
その時だった。
からん。
家の横で鳴った。
昨日と同じ音。
小さくて、頼りない。
でも、確かに鳴った。
創磨の体が固まった。
芽依が息をのむ。
望来は目を丸くして、すぐに自分の口を手で押さえた。
赤ちゃん村人にも、望来の小さな手が伸びる。
「しー」
望来は声にならない声で言った。
創磨はその姿を見て、胸が痛くなった。
怖いのに。
望来も、ちゃんとわかっている。
音を立てたらいけないこと。
赤ちゃん村人を静かにさせること。
守られるだけではなく、守ろうとしていること。
でも、今は見ている場合ではない。
からん。
もう一度、今度は少しだけ違う音がした。
家の裏。
昼に作った二つ目。
灰色の石の音。
小さく、軽く、から、と鳴った。
「二個目」
芽依がほとんど息だけで言った。
「裏も鳴った」
創磨の背中が冷たくなった。
横だけではない。
裏も。
何かが、家の角を回った。
または、壁を伝っている。
創磨は盾を前に出した。
でも、扉は開けない。
開けたらだめだ。
今は見に行く時間ではない。
夜に外へ出たら、負ける。
知りたい。
でも、知るために出たら危ない。
警報は、外へ出るためのものではない。
中へ隠れるためのものだ。
「床下」
創磨は小さく言った。
芽依がすぐに動いた。
「みく、赤ちゃん、床下」
「うん」
望来は驚くほど素直にうなずいた。
つよし号から降りようとして、少しもたつく。
芽依が支える。
赤ちゃん村人の手も引く。
創磨は盾を持ったまま、扉と窓を見ている。
窓の外。
たいまつの光の端。
そこに、何かが動いた気がした。
赤い目は見えない。
足も見えない。
ただ、壁の影が少しだけ濃くなったように見えた。
かさ。
屋根の方から。
創磨の喉がひゅっと鳴った。
上。
やっぱり上。
クモは、横だけではなかった。
裏だけでもなかった。
壁を上がる。
屋根へ行く。
「そうま」
芽依が床下の扉を開けながら呼ぶ。
「みく入った」
「赤ちゃんは」
「入れる」
望来は床下の中から、赤ちゃん村人の手を引いていた。
「赤ちゃん、こっち」
声は小さい。
でも、ちゃんと動いている。
赤ちゃん村人が床下へ入る。
芽依も半分体を入れかけて、創磨を見た。
「そうまも」
「まだ」
「だめ」
「扉閉めるまで」
「そうまも入らんば!」
芽依の声が少し強くなった。
その瞬間。
かさ。
窓の上で鳴った。
創磨は反射的に盾を上げた。
何も飛んできていない。
矢ではない。
でも、盾を上げずにはいられなかった。
腕が痛む。
肩が震える。
盾の向こうはほとんど見えない。
見えないことが怖い。
でも、見えることも怖い。
窓の外のたいまつの光が揺れた。
壁に、細い影が何本も走った気がした。
虫の足みたいな影。
創磨の頭の中で、父の声が鳴った。
――そう!
それは、前に出るな、という声だった。
顔を出すな。
見に行くな。
戻れ。
創磨は一歩下がった。
もう一歩。
盾を構えたまま、床下の扉へ近づく。
「芽依、先」
「そうまが先!」
「芽依!」
創磨の声が少し強くなった。
芽依は一瞬だけ悔しそうな顔をした。
でも、床下へ入った。
そのすぐ後に、創磨も体をすべり込ませる。
盾が引っかかりそうになり、左腕に痛みが走った。
「っ」
「そうま?」
「大丈夫」
大丈夫ではなかった。
でも、今はそれしか言えない。
創磨は床下に入ると、内側から扉を閉めた。
小さな闇が、四人を包んだ。
望来。
芽依。
赤ちゃん村人。
創磨。
狭い。
息が近い。
土と木の匂いがする。
上で、かさ、と音がした。
床板の向こう。
家の壁か。
屋根か。
それとも窓の外か。
わからない。
でも、もう外ではない。
扉の外ではない。
床下にいる。
創磨は盾を抱えたまま、息を殺した。
芽依が望来を抱きしめている。
望来は赤ちゃん村人の口元に、小さな手を当てていた。
「しー」
ほんの少しだけ、声が漏れる。
「からん、きたけん」
創磨は暗い中で、望来の方を見た。
顔はよく見えない。
でも、その小さな声だけでわかった。
望来は怖がっている。
怖がりながら、赤ちゃん村人を守ろうとしている。
創磨は胸の奥が熱くなるのを感じた。
泣きそうな熱さだった。
でも、泣かない。
今は泣く音も怖い。
上で、もう一度、かさ、と鳴った。
それから、しばらく何も聞こえなくなった。
静かになった。
けれど、誰も動かなかった。
朝まで、まだ遠い。
からんは、二度鳴った。
横も、裏も。
そして、上にも何かいた。
創磨は暗闇の中で、ゆっくり考えた。
家の横だけでは足りない。
裏だけでも足りない。
上も見なければならない。
でも、夜に上を見るのはだめだ。
朝になったら。
朝になったら、屋根を見なければならない。
はしご。
足場。
たいまつ。
屋根の上の明かり。
クモが登れない形。
まだ、どうすればいいかわからない。
でも、やることは見えた。
怖いままでも、次に手を動かす場所は見えた。
からん。
二度目の音は、ただ怖いだけではなかった。
横から来たこと。
裏へ回ったこと。
上へ行ったこと。
それを教えてくれた。
創磨は盾を抱える腕に力を入れた。
痛い。
重い。
眠い。
腹も減っている。
でも、今夜は外へ出なかった。
見たくても、出なかった。
それはたぶん、昨日より少しだけましな判断だった。
芽依が暗闇の中で小さく言った。
「そうま」
「なに」
「朝になったら、上やね」
「うん」
「めいも行く」
「だめ」
「行く」
「危なか」
「でも、めいの石、上には届かんやん」
創磨は答えられなかった。
芽依は続けた。
「めい、拾うだけじゃなか。見ることもできる」
「落ちたら」
「落ちん」
「そんなのわからん」
「そうまもわからんやん」
暗闇の中で、二人は黙った。
その沈黙の中で、望来が小さく言った。
「みくは、つよし号」
芽依が少しだけ息を吐いた。
「うん。みくはつよし号」
「赤ちゃんも」
「赤ちゃんも」
「からん、さわらん」
「うん」
創磨はその声を聞きながら、目を閉じなかった。
床下の暗さの向こうで、朝を待つ。
上に何かがいるかもしれない。
家の外を、まだ何かが歩いているかもしれない。
でも、薬は飲ませた。
残りは三十回。
望来はここにいる。
芽依もいる。
赤ちゃん村人もいる。
今夜も、まだ終わっていない。
それでも、朝になればまた手を動かせる。
創磨は、そう自分に言い聞かせた。
床の上で、遠く、最後に一度だけ。
かさ。
小さな音がした。
誰も声を出さなかった。
床下の中で、四人は息をひそめたまま、二度目のからんが教えた夜を、ただじっと越えようとしていた。




