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妹の薬が尽きる前に  作者: MONEMOLT


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24/33

2度目のからん





 昼を過ぎても、創磨の耳は家の横を向いていた。


 朝、白い石が落ちていた場所。


 糸がたるみ、木片がずれ、何かが通ったかもしれない場所。


 そこを直したあとも、創磨は何度も家の角を見に行った。


 糸は、もう一度張り直してある。


 昨日より少しだけ低く。


 でも、望来や赤ちゃん村人が歩いて触らない高さに。


 木片は壁の隙間へ深く差し込んだ。芽依の白い石は、今度は糸の真ん中ではなく、少し横にぶら下げてある。揺れたら木片に当たるようにした。


 きれいな仕組みではない。


 ゲームで見たようなトリップワイヤーではない。


 レッドストーンもない。


 フックもない。


 音符ブロックもない。


 ただ、細い糸と、小さな石と、拾った木片だけ。


 でも、昨夜は鳴った。


 からん。


 あの小さな音が、創磨を起こした。


 怖くて眠れなくした。


 そして、朝になって、何かがあったと教えてくれた。


「そうま」


 芽依が家の入口から顔を出した。


「また見よると?」


「うん」


「見すぎても、鳴らんよ」


「わかっとる」


「わかっとらん顔しとる」


 芽依はそう言って、家の横まで来た。


 手には、また小さな石を握っている。


 白い石ではない。


 灰色で、少し平たい石だった。


「それ、また拾ったと?」


「拾った」


「いつ」


「さっき」


「どこで」


「そこ」


 芽依は当然みたいに地面を指さした。


 創磨は少しだけ息を吐いた。


 家にいたら、また洗濯機の中でがらがら鳴るやつだ。


 でも、この世界では違う。


 芽依が拾った石は、目印になる。


 警報になる。


 戻る場所を教えてくれる。


 怖い場所と、安全な場所の線になる。


「それ、どうすると?」


 創磨が聞くと、芽依は少し得意そうに言った。


「二個目」


「二個目?」


「からん、もう一個いるやろ」


 創磨は芽依を見た。


 芽依は家の横ではなく、家の裏の方を見ていた。


 壁の角を曲がった先。


 朝の時点では、まだそこまで見に行っていない場所。


 村の家の裏側は、たいまつの光も届きにくい。


 昼なのに、少し暗い。


「ここだけ鳴っても、裏から来たらわからんやん」


 芽依は言った。


 その言葉は、創磨の胸に落ちた。


 確かにそうだった。


 家の横だけでは足りない。


 クモは壁を登る。


 横だけではなく、裏にも、屋根にも行く。


 でも、糸は多くない。


 今ある糸を全部使えば、弓はもっと遠くなる。


 けれど、弓を作ったとしても、夜に近づいてくるものに気づけなければ意味がない。


「糸、足りるかな」


 創磨はつぶやいた。


「短くしたらよかやん」


「短くしたら、そこ通らんかったら鳴らん」


「でも、ないよりよか」


 芽依はすぐに言った。


「一本より二本がよか」


 創磨は黙った。


 芽依の言うことは、たぶん合っていた。


 完全なものを作ろうとして何もしないより、弱くても二か所に音がある方がいい。


 風で鳴るかもしれない。


 赤ちゃん村人が触るかもしれない。


 望来が気になって手を伸ばすかもしれない。


 でも、それでも。


 何もないよりは、いい。


「……じゃあ、裏にも作る」


 創磨が言うと、芽依はうなずいた。


「めいの石、使ってよかよ」


「返せんかもしれんよ」


「仕事したらよか」


「うん」


「でも、めいの石って言って」


「芽依の石」


「よし」


 芽依は満足そうに、手の中の灰色の石を創磨へ渡した。


     *


 家の裏は、思っていたより静かだった。


 村人の声も、井戸の音も、鉄ゴーレムの足音も、少し遠くなる。


 同じ家の周りなのに、角をひとつ曲がるだけで、世界が変わったみたいだった。


 創磨は壁に手を当てて、ゆっくり進んだ。


 盾は持っている。


 でも、両手を使いたいから、体の横に置いてあるだけだった。


 すぐに構えられるように、壁にもたせかけている。


「そうま、顔出しすぎ」


 芽依が後ろから小さく言った。


「出しとらん」


「出しとる」


「ちょっと見るだけ」


「そのちょっとが危なかと」


 芽依の声は、少し母に似ていた。


 でも、言っている芽依自身も、顔を出したくてうずうずしている。


 創磨はそれを見て、少しだけ笑いそうになった。


 でも、すぐにやめた。


 笑うには、家の裏は静かすぎた。


 地面を見る。


 草の面。


 土の角。


 壁の根元。


 朝見たようなはっきりした跡はない。


 けれど、何もないとは言い切れない。


「ここ、暗かね」


 芽依が言った。


「うん」


「たいまつ置く?」


「置きたい」


「じゃあ置こう」


「たいまつ、減る」


「暗いよりよか」


 また、芽依の言うことは合っていた。


 たいまつは大事だ。


 でも、暗い場所をそのままにする方がもっと怖い。


 創磨は家の中から持ってきたたいまつを一本、裏の壁の角に立てた。


 小さな火が揺れる。


 昼でも、その火があるだけで少し息がしやすくなった。


「ここ、くものみち?」


 家の入口の方から、望来の声がした。


 創磨と芽依が同時に振り返る。


 望来はつよし号に座ったまま、身を乗り出していた。


 赤ちゃん村人も隣で同じようにこちらを見ている。


「みく、そこから出ん!」


 芽依がすぐに言った。


「出とらん」


「乗り出しとる!」


「見よるだけ」


「見よるだけでも落ちると!」


 望来は少しむっとした顔をした。


 でも、赤ちゃん村人の服の端をつまんで、自分もつよし号の中へ座り直した。


「赤ちゃん、だめよ」


 望来は小さな声で言った。


「くものみち、だめ」


 赤ちゃん村人は何も言わない。


 けれど、望来に引かれて、つよし号の中でじっとした。


 芽依はそれを見て、少しだけ表情をやわらげた。


「みく、えらい」


「えらい?」


「うん。赤ちゃん止めたけん」


 望来はすぐに笑った。


「みく、止めた」


「でも、みくも出たらだめ」


「出ん」


「ほんとに?」


「ほんと」


 返事はいい。


 創磨はその返事を聞きながら、胸の中で少しだけ不安になった。


 望来は守ろうとする。


 でも、まだ三歳だ。


 守ろうとして、自分が前に出るかもしれない。


 赤ちゃん村人を止めようとして、つよし号から落ちるかもしれない。


 だから、望来をただ「えらい」で終わらせてはいけない。


 守れるようにするには、望来が動かなくても守れる場所を作らなければならない。


「芽依」


「なに」


「つよし号の場所、決める」


「場所?」


「夜、からん鳴った時、どこにおるか」


 芽依はすぐに真面目な顔になった。


 創磨は家の入口を見た。


 床下の扉。


 薬袋。


 水。


 つよし号。


 赤ちゃん村人。


 盾。


 全部が近くにある場所。


「入口の中。床下の近く」


「外じゃなくて?」


「夜は中」


「でも、からん見えんやん」


「見えんでよか」


「みく、見たがるよ」


「だから中」


 芽依は少し考えてから、うなずいた。


「そうね。みく、見たがるけん」


 見たい。


 触りたい。


 ちょっとだけ。


 それが望来だった。


 かわいい。


 でも、この世界では危ない。


 創磨は家の裏に、短い糸を張った。


 低すぎないように。


 高すぎないように。


 壁の木片に結び、芽依の灰色の石を軽くぶら下げる。


 何度も試す。


 指先で少しだけ揺らす。


 から。


 小さな音がした。


 昨日の音より、もっと軽い。


 頼りない。


 でも、鳴った。


「鳴った」


 芽依が言った。


「鳴ったね」


「でも、小さか」


「うん」


「夜、聞こえる?」


「わからん」


「またわからん」


「でも、ないよりいい」


 創磨がそう言うと、芽依は少しだけ笑った。


「そうま、めいみたいなこと言った」


「言ってなか」


「言った」


「言ってなか」


 小さな言い合いだった。


 でも、その言い合いができるくらいには、昼の光がまだ残っていた。


     *


 夕方になると、家の中の空気が少しずつ重くなっていった。


 窓の外の光が赤くなる。


 村人の動きがゆっくりになる。


 鉄ゴーレムの足音が、昼よりも大きく聞こえる。


 たいまつの火が目立ち始める。


 創磨は食べ物を並べた。


 パンを少し。


 焼きじゃがいもを少し。


 赤ちゃん村人にも、望来が分けたがる分を最初から小さく取っておく。


 そうしないと、望来は自分の分をどんどん渡してしまう。


「あの子、パン」


 望来はすぐに言った。


「ある」


 創磨は小さなかけらを見せた。


「これは赤ちゃんの分」


「みくがあげる」


「あとでね」


「いま」


「先にみく食べて」


「赤ちゃん、さき」


「みくが先」


 芽依が横から言った。


「みく、薬飲まんばやけん、ごはん食べんば」


「おくすり、あと?」


「あと」


「にがい?」


「にがい」


「やだ」


「水あるけん」


「パンもある?」


「ある」


 いつものやり取り。


 でも、創磨は薬袋を見ながら、手が少し止まった。


 朝の薬を飲ませて、残り三十一回。


 今夜飲ませれば、三十回。


 十五日分。


 三十。


 数字が丸くなると、なぜか余計に怖かった。


 三十一はまだ、少し余りがあるように見える。


 でも、三十になると、何かが一段減った感じがする。


 最初は四十二回あった。


 三週間あった。


 それが、三十回。


 十五日。


 まだ十五日ある。


 そう思いたい。


 でも、もう六日分が消えている。


 この世界に来てから、朝と夜がちゃんと来ている。


 薬は、そのたびに減っている。


「そうま?」


 芽依が見ていた。


 創磨は小さく首を振った。


「なんでもなか」


「なんでもなくなか顔」


「薬、先にする」


「うん」


 芽依はそれ以上、聞かなかった。


 でも、器に水を入れる手つきが少しだけ慎重になった。


 望来は布の上に座り、赤ちゃん村人の袖を握っている。


「みく、口」


「にがい?」


「にがい」


「パン、あと?」


「あと」


「ちょっと大きいパン?」


「ちょっと」


「大きいちょっと?」


「普通のちょっと」


 望来は不満そうに口を曲げたが、ちゃんと開けた。


 創磨は薬を入れた。


 芽依が器を支える。


 望来が水を飲む。


 こくん。


 小さな喉が動いた。


 創磨は、その動きを最後まで見た。


「飲めた」


「飲めた」


 芽依も言った。


 望来は顔をしかめ、すぐに手を出した。


「パン」


 芽依が小さなパンを渡す。


 望来は半分を自分の口に入れ、残りを赤ちゃん村人に差し出した。


「あの子も」


「ちょっとね」


「ちょっと」


 赤ちゃん村人はそれを受け取った。


 食べる。


 望来はうれしそうに笑った。


「あの子、食べた」


「うん」


 創磨も言った。


 そして、薬袋をしまいながら、胸の中だけで数えた。


 残り三十回。


 十五日分。


 声には出さなかった。


 出したら、芽依の顔がまた固くなると思った。


 望来はたぶん、全部はわからない。


 でも、創磨と芽依の声の変化くらいは感じてしまう。


 だから、声には出さない。


 ただ、袋をしっかりしまう。


 絶対に落とさない場所に。


 すぐ取り出せる場所に。


 水の近くに。


 床下の扉の近くに。


     *


 夜が来た。


 家の中のたいまつが、壁に揺れる影を作っている。


 望来と赤ちゃん村人は、床下の扉に近い場所に移したつよし号の中に座っていた。


 布もかけてある。


 眠れるなら眠ってほしい。


 でも、望来は眠らなかった。


「からん、鳴る?」


 小さな声で聞く。


「鳴らん方がよか」


 芽依が答えた。


「なんで」


「鳴ったら、何か来たかもしれんってことやけん」


「でも、からん、えらい」


「えらいけど、鳴らん方がよか」


 望来は少し考えた。


「じゃあ、からん、ねんね?」


「そう。からんも寝とってよか」


「からん、ねんね」


 望来は赤ちゃん村人にそう言って聞かせた。


「あの子も、ねんね」


 赤ちゃん村人は、望来の服の端を握ったまま、静かにしている。


 創磨は扉の近くに座っていた。


 盾は横。


 すぐ持てる場所。


 芽依はその隣。


 手には小さな石。


 投げるためではない。


 握っているための石だ。


 外は静かだった。


 昼に増やしたたいまつの光が、窓の外に少しだけ見える。


 家の横。


 家の裏。


 白い石と灰色の石。


 二つのからん。


 鳴らないでほしい。


 でも、鳴らないままだと、本当に何も来ていないのかわからない。


 鳴ったら怖い。


 鳴らなくても怖い。


 創磨は膝の上で手を握った。


 左腕は、まだ重い。


 盾を構え続けたら、すぐに疲れる。


 昨日までより少しましになった気もする。


 でも、ちゃんと治ったわけではない。


 もし今夜、本当にクモが来たら。


 もし窓の上から赤い目が見えたら。


 もし、二つのからんが同時に鳴ったら。


 創磨は息をゆっくり吐いた。


 父ならどうするだろう。


 そう考えて、すぐにやめた。


 父はいない。


 母もいない。


 ここで動くのは自分だ。


 でも、父の声だけは頭に残っている。


 危ない時の、短い声。


 ――そう。


 その声が、今もどこかで待っている気がした。


「そうま」


 芽依がささやいた。


「なに」


「眠たか?」


「眠たくなか」


「うそ」


「芽依は?」


「眠たくなか」


「うそ」


 二人とも、うそだった。


 眠い。


 昨日も眠れていない。


 昼もずっと動いていた。


 食べ物も少ない。


 体の奥は、もう布に入りたがっている。


 でも、耳だけは眠れなかった。


 外の音を拾おうとしている。


 風。


 草。


 遠くの村人の声。


 鉄ゴーレムの足音。


 たいまつが小さく燃える音。


 そして。


 かさ。


 創磨は顔を上げた。


 芽依も動きを止めた。


 望来も、つよし号の中で目を丸くした。


「いま」


 芽依が言った。


「聞こえた」


 創磨はうなずいた。


 家の横か。


 裏か。


 まだわからない。


 かさ。


 もう一度。


 今度は少し低い場所。


 草がこすれるような音。


 創磨は盾に手を伸ばした。


「みく、動かんで」


 芽依が小さく、でも強く言う。


 望来は赤ちゃん村人の手をぎゅっと握った。


「動かん」


「赤ちゃんも」


「赤ちゃんも動かん」


 かさ。


 音が近づく。


 創磨は喉が乾くのを感じた。


 水はある。


 でも、今は飲めない。


 盾を持つ。


 左腕に重さが来る。


 まだ構えていないのに、腕が少し嫌がる。


 外を見るな。


 顔を出しすぎるな。


 でも、見なければわからない。


 その時だった。


 からん。


 家の横で鳴った。


 昨日と同じ音。


 小さくて、頼りない。


 でも、確かに鳴った。


 創磨の体が固まった。


 芽依が息をのむ。


 望来は目を丸くして、すぐに自分の口を手で押さえた。


 赤ちゃん村人にも、望来の小さな手が伸びる。


「しー」


 望来は声にならない声で言った。


 創磨はその姿を見て、胸が痛くなった。


 怖いのに。


 望来も、ちゃんとわかっている。


 音を立てたらいけないこと。


 赤ちゃん村人を静かにさせること。


 守られるだけではなく、守ろうとしていること。


 でも、今は見ている場合ではない。


 からん。


 もう一度、今度は少しだけ違う音がした。


 家の裏。


 昼に作った二つ目。


 灰色の石の音。


 小さく、軽く、から、と鳴った。


「二個目」


 芽依がほとんど息だけで言った。


「裏も鳴った」


 創磨の背中が冷たくなった。


 横だけではない。


 裏も。


 何かが、家の角を回った。


 または、壁を伝っている。


 創磨は盾を前に出した。


 でも、扉は開けない。


 開けたらだめだ。


 今は見に行く時間ではない。


 夜に外へ出たら、負ける。


 知りたい。


 でも、知るために出たら危ない。


 警報は、外へ出るためのものではない。


 中へ隠れるためのものだ。


「床下」


 創磨は小さく言った。


 芽依がすぐに動いた。


「みく、赤ちゃん、床下」


「うん」


 望来は驚くほど素直にうなずいた。


 つよし号から降りようとして、少しもたつく。


 芽依が支える。


 赤ちゃん村人の手も引く。


 創磨は盾を持ったまま、扉と窓を見ている。


 窓の外。


 たいまつの光の端。


 そこに、何かが動いた気がした。


 赤い目は見えない。


 足も見えない。


 ただ、壁の影が少しだけ濃くなったように見えた。


 かさ。


 屋根の方から。


 創磨の喉がひゅっと鳴った。


 上。


 やっぱり上。


 クモは、横だけではなかった。


 裏だけでもなかった。


 壁を上がる。


 屋根へ行く。


「そうま」


 芽依が床下の扉を開けながら呼ぶ。


「みく入った」


「赤ちゃんは」


「入れる」


 望来は床下の中から、赤ちゃん村人の手を引いていた。


「赤ちゃん、こっち」


 声は小さい。


 でも、ちゃんと動いている。


 赤ちゃん村人が床下へ入る。


 芽依も半分体を入れかけて、創磨を見た。


「そうまも」


「まだ」


「だめ」


「扉閉めるまで」


「そうまも入らんば!」


 芽依の声が少し強くなった。


 その瞬間。


 かさ。


 窓の上で鳴った。


 創磨は反射的に盾を上げた。


 何も飛んできていない。


 矢ではない。


 でも、盾を上げずにはいられなかった。


 腕が痛む。


 肩が震える。


 盾の向こうはほとんど見えない。


 見えないことが怖い。


 でも、見えることも怖い。


 窓の外のたいまつの光が揺れた。


 壁に、細い影が何本も走った気がした。


 虫の足みたいな影。


 創磨の頭の中で、父の声が鳴った。


 ――そう!


 それは、前に出るな、という声だった。


 顔を出すな。


 見に行くな。


 戻れ。


 創磨は一歩下がった。


 もう一歩。


 盾を構えたまま、床下の扉へ近づく。


「芽依、先」


「そうまが先!」


「芽依!」


 創磨の声が少し強くなった。


 芽依は一瞬だけ悔しそうな顔をした。


 でも、床下へ入った。


 そのすぐ後に、創磨も体をすべり込ませる。


 盾が引っかかりそうになり、左腕に痛みが走った。


「っ」


「そうま?」


「大丈夫」


 大丈夫ではなかった。


 でも、今はそれしか言えない。


 創磨は床下に入ると、内側から扉を閉めた。


 小さな闇が、四人を包んだ。


 望来。


 芽依。


 赤ちゃん村人。


 創磨。


 狭い。


 息が近い。


 土と木の匂いがする。


 上で、かさ、と音がした。


 床板の向こう。


 家の壁か。


 屋根か。


 それとも窓の外か。


 わからない。


 でも、もう外ではない。


 扉の外ではない。


 床下にいる。


 創磨は盾を抱えたまま、息を殺した。


 芽依が望来を抱きしめている。


 望来は赤ちゃん村人の口元に、小さな手を当てていた。


「しー」


 ほんの少しだけ、声が漏れる。


「からん、きたけん」


 創磨は暗い中で、望来の方を見た。


 顔はよく見えない。


 でも、その小さな声だけでわかった。


 望来は怖がっている。


 怖がりながら、赤ちゃん村人を守ろうとしている。


 創磨は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 泣きそうな熱さだった。


 でも、泣かない。


 今は泣く音も怖い。


 上で、もう一度、かさ、と鳴った。


 それから、しばらく何も聞こえなくなった。


 静かになった。


 けれど、誰も動かなかった。


 朝まで、まだ遠い。


 からんは、二度鳴った。


 横も、裏も。


 そして、上にも何かいた。


 創磨は暗闇の中で、ゆっくり考えた。


 家の横だけでは足りない。


 裏だけでも足りない。


 上も見なければならない。


 でも、夜に上を見るのはだめだ。


 朝になったら。


 朝になったら、屋根を見なければならない。


 はしご。


 足場。


 たいまつ。


 屋根の上の明かり。


 クモが登れない形。


 まだ、どうすればいいかわからない。


 でも、やることは見えた。


 怖いままでも、次に手を動かす場所は見えた。


 からん。


 二度目の音は、ただ怖いだけではなかった。


 横から来たこと。


 裏へ回ったこと。


 上へ行ったこと。


 それを教えてくれた。


 創磨は盾を抱える腕に力を入れた。


 痛い。


 重い。


 眠い。


 腹も減っている。


 でも、今夜は外へ出なかった。


 見たくても、出なかった。


 それはたぶん、昨日より少しだけましな判断だった。


 芽依が暗闇の中で小さく言った。


「そうま」


「なに」


「朝になったら、上やね」


「うん」


「めいも行く」


「だめ」


「行く」


「危なか」


「でも、めいの石、上には届かんやん」


 創磨は答えられなかった。


 芽依は続けた。


「めい、拾うだけじゃなか。見ることもできる」


「落ちたら」


「落ちん」


「そんなのわからん」


「そうまもわからんやん」


 暗闇の中で、二人は黙った。


 その沈黙の中で、望来が小さく言った。


「みくは、つよし号」


 芽依が少しだけ息を吐いた。


「うん。みくはつよし号」


「赤ちゃんも」


「赤ちゃんも」


「からん、さわらん」


「うん」


 創磨はその声を聞きながら、目を閉じなかった。


 床下の暗さの向こうで、朝を待つ。


 上に何かがいるかもしれない。


 家の外を、まだ何かが歩いているかもしれない。


 でも、薬は飲ませた。


 残りは三十回。


 望来はここにいる。


 芽依もいる。


 赤ちゃん村人もいる。


 今夜も、まだ終わっていない。


 それでも、朝になればまた手を動かせる。


 創磨は、そう自分に言い聞かせた。


 床の上で、遠く、最後に一度だけ。


 かさ。


 小さな音がした。


 誰も声を出さなかった。


 床下の中で、四人は息をひそめたまま、二度目のからんが教えた夜を、ただじっと越えようとしていた。

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