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妹の薬が尽きる前に  作者: MONEMOLT


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朝までの穴



 暗くなるのは、ほんとうにあっという間だった。


 さっきまで空のはしに少しだけ残っていた明るさも、気づけばもうなくなっていた。

 草原は黒く沈み、遠くの木も、土の段差も、形だけがぼんやり見えるくらいになる。


 創磨が掘った穴の中は、外より少しだけ風をさえぎれていた。

 でも、それだけだった。


 狭い。

 暗い。

 土のにおいが強い。

 背中や足にひんやりした冷たさがじわじわ上がってくる。


 芽依は望来を自分のほうへ引き寄せて、穴の壁にぴったりくっつくように座っていた。

 望来も、さっきまで「ねむい」とか「おうち帰る」とか言っていたくせに、今はもう何も言わない。

 ただ、芽依の服をぎゅっと握っている。


 創磨は穴の入り口のほうを向いて座った。

 手のひらには、さっき掘るのに使った土のざらざらがまだ残っている。


「……そうま」


 芽依が小さく呼ぶ。


「なに」


「これ、ほんとに大丈夫と?」


 その言い方は、強がってるくせに、ちゃんと不安が混ざっていた。

 創磨だって同じことを思っていた。


 大丈夫なわけがない。


 でも、それをそのまま言ったらだめな気がした。


「……外におるよりは、まし」

 創磨は言った。


 芽依は少し黙って、それから小さくうなずいた。


「うん……」


 望来が、芽依の腕に顔を押しつけたまま聞く。


「おうち、まだ?」


 その一言で、創磨の胸がきゅっとなった。


 おうち。

 その言葉が出るたびに、頭の中にとうちゃんとママの顔が浮かぶ。

 でも、見渡しても四角い土と草しかない。

 家なんて、どこにもない。


「まだ」

 創磨は言った。

「ばってん、朝になったら動けるけん」


「……あさ?」


「うん。明るくなったら」


 望来は半分わかったような、わかってないような顔で、こくんとうなずいた。

 それからまた芽依にくっつく。


 外で、かさ、と音がした。


 三人とも、ぴたりと止まる。


 草が揺れただけかもしれない。

 風かもしれない。

 でも、それがわからないことがいちばん怖かった。


 創磨は、穴の入口の暗がりをじっと見つめる。

 何かが飛びこんでくる気がした。

 何も来ない気もした。

 どっちもありそうで、どっちかわからん。


「そうま……」

 今度は芽依の声が、さっきより少し小さかった。


「おる」

 創磨はとっさに言った。

「おれ、おるけん」


 言ったあとで、自分でも変な感じがした。

 自分だって怖いのに、何を言いよるんやろうと思う。

 でも、芽依はその言葉に少しだけ肩の力を抜いたようだった。


「うん」


 外でまた、かさ、と鳴る。


 次は、少し離れたところで、べちゃ、という湿った音がした。


 創磨の背筋がぞわっとする。


「なに、いまの」

 芽依が聞く。


「……わからん」


 わからん。

 でも、聞いたことのない音だった。

 生き物かもしれないし、泥かもしれないし、この世界の何かかもしれない。


 怖い。

 ほんとうに、怖い。


 けれど創磨は穴の入り口から目をそらさなかった。

 そらした瞬間に何か来そうな気がしたからだ。


 しばらくして、望来がもぞもぞ動いた。


「……めい」


「なに」


「おくすり」


 創磨が振り向く。


 芽依も少しだけ目を見開いた。


「夜のやつ……?」

 芽依が小さく言う。


 望来はこくんとうなずいた。

 眠たそうな顔のまま、自分の胸のあたりを指でとんとん叩く。


「みくの、おくすり」


 創磨は、そこで初めて喉の奥がからからになっていることに気づいた。


 薬。

 夜の分。

 家なら、とうちゃんかママが時間を見て出してくれていた。

 水も用意してくれて、飲んだかどうかまでちゃんと見ていた。


 でも、今はおらん。


 芽依が、小さい肩かばんみたいなものを探る。

 中から白いケースを出した。


「……ある」

 芽依が言う。

「夜のやつ、ある」


 創磨は、ほっとしたのと同時に、胸がもっと苦しくなった。


 ある。

 でも、水はどうする。


「そうま」

 芽依がケースを持ったまま、創磨を見る。

「水……」


 創磨は外を見る。

 真っ暗や。

 どこに何があるかなんて、もうわからん。


「今、探しに行くのはだめ」

 創磨は言った。

「見えんし、危ない」


 芽依は唇をかんだ。

 それでも、ケースを持つ手は下ろさない。


 望来が、二人の顔を見ている。

 何か困ってるのだけはわかるらしい。

 でも、その理由まではたぶんわかっていない。


「みく、にがいのやだ」

 望来が言う。


「わかっとる」

 芽依は、できるだけやさしく言った。

「ばってん、飲まんばやろ」


 望来は少しだけ口を曲げた。

 でも、嫌だと泣くことはしなかった。

 眠くてそれどころじゃないのか、それとも、いつもの流れだと思っているのか。


 創磨は自分の舌で、口の中の乾きをたしかめた。

 少しだけ、唾を集める。

 それしかできないのが、情けなかった。


「……ちょっとだけなら」

 創磨は言った。

「そのまま飲めるかもしれん」


 芽依が創磨を見る。


「ほんとに?」

「わからん。ばってん……やってみるしかなか」


 芽依は少しだけ迷って、それからうなずいた。


「みく」

 芽依がケースを開ける。

「おくすり、ちょっとだけがんばれる?」


 望来は眠そうなまま芽依を見て、それから小さく口を開けた。


 芽依が薬を入れる。


 望来はすぐに顔をしかめた。

 少しだけ咳き込みそうになって、芽依があわてて背中をさする。


「みく、大丈夫?」

 創磨が聞く。


 望来は目に涙をためながら、こくん、と一回だけうなずいた。

 どうにか飲みこんだらしい。


「……できた」

 望来が小さく言う。


「えらい」

 芽依がすぐに抱き寄せる。

「えらいよ、みく」


 その声を聞いて、創磨も少しだけ息を吐いた。

 でも、安心したのとは別に、別の重さが胸に残る。


 親がやるはずのことを、自分たちがやっている。


 その事実が、いまさらみたいにずしっと落ちてきた。


 望来は芽依の胸に顔を押しつけたまま、もう半分眠っていた。

 芽依はその小さな背中を、ぽん、ぽんとゆっくり叩いている。


 創磨はその横顔を見た。


 芽依だって五歳やのに。

 それなのに、いまは望来を安心させる役をやっている。


「めい」

 創磨が小さく呼ぶ。


「なに」


「……ありがと」


 芽依は一瞬だけきょとんとした顔をして、それから少しだけそっぽを向いた。


「別に」

 小さくそう言ったあとで、付け足す。

「みく、めいの妹やし」


 その言い方が、芽依らしかった。

 創磨は少しだけ口元がゆるむ。


 外でまた、何かが鳴いた。


 今度は、きぃ、みたいな細い音だった。

 風か、生き物か、やっぱりわからない。


 三人とも、また黙る。


 望来の呼吸だけが、少しずつゆっくりになっていく。

 芽依の肩に頭をのせたまま、眠りに落ちかけていた。


「そうま」

 芽依が、外を見たまま聞く。


「なに」


「朝になったら、どうすると」


 創磨はすぐには答えなかった。


 頭の中には、動画で見たマイクラの画面が浮かんでいた。

 最初にやること。

 木を取る。

 つくる台を作る。

 道具を作る。

 水を見つける。

 食べるものを探す。


 でも、ここはただのゲームじゃない。

 みくの薬もある。

 とうちゃんもママもおらん。

 怖いものが、ほんとに外を歩いているかもしれん。


 それでも、朝になったら、動かんといかん。


「……水」

 創磨は言った。


「水?」

 芽依が聞き返す。


「うん。まず水」

 創磨は少しずつ言葉にする。

「みくのおくすりもあるし。あと……木」


「木?」


「うん」

 創磨はうなずく。

「木があったら、たぶん、なんか作れる」


 芽依が創磨を見る。


「そうま、またマイクラのやつ?」


「……うん」


 芽依は少しだけ黙って、それから小さくうなずいた。


「じゃあ、朝になったら水探して、木取る」


「うん」

 創磨は答えた。

「そしたら、少しはましになるかもしれん」


 その「ましになるかもしれん」は、創磨自身に言い聞かせている言葉でもあった。


 いまは何もない。

 穴の中に座って、外の音にびくびくしているだけや。

 でも朝になれば、少しは世界を変えられるかもしれん。


 掘った土で穴を作れた。

 なら、木を取って何か作れるかもしれん。


 怖いままでも、やることがひとつでも見えると、少しだけ息がしやすくなる。


 芽依が、望来の髪をなでながら小さく言った。


「朝、早く来んかな」


「うん」


 創磨もそれに答えた。


 それからの時間は、長かった。


 何度か外で音がした。

 草が擦れる音。

 遠くで何かが鳴く音。

 湿った土を踏むみたいな音。


 そのたびに、創磨は入口の暗がりを見つめ、芽依は望来を抱きしめる腕に力を入れた。


 でも、何も入ってこなかった。


 何も起こらないままなのが、逆に怖い気もした。

 それでも、ただ耐えるしかなかった。


 創磨は何度か眠りそうになって、そのたびに小さい音で目を開けた。

 芽依も同じみたいだった。

 望来だけが、途中からほんとうに眠ってしまった。


 穴の上の空が、少しだけ薄くなったのが見えた時、創磨は最初、それが気のせいかと思った。


 でも違った。

 黒かった空が、少しずつ青に近づいていく。


「……めい」

 創磨が小さく呼ぶ。


「なに」


「朝」


 芽依が顔を上げる。

 穴の入り口の向こうを見て、それから、ほんとうにほっとしたように息を吐いた。


「……ほんとや」


 望来も、その声で少しだけ目を開けた。

 まだ眠そうなまま、創磨と芽依の顔を見ている。


「おはよ」

 芽依が言う。


「……おはよ」

 望来が小さく返した。


 創磨は穴の外を見る。

 草原は朝の色に戻り始めていた。

 まだ不安は消えない。

 でも、夜よりはずっといい。


 朝になった。


 動ける。


 そのことだけで、胸の奥に小さな火が灯るみたいだった。


「行こう」

 創磨が言う。


「うん」

 芽依が答える。


「みず、さがす?」

 望来が聞く。


 創磨は少しだけ目を丸くした。

 それから、こくんとうなずく。


「うん。水探す」

 そして、少し間をあけて続ける。

「あと、木も」


 穴の中で一晩耐えたあと、その言葉は昨夜より少しだけ本物に聞こえた。


 怖い世界のままでも、朝になれば手を動かせる。

 それが、いまの自分たちに残された、唯一の希望だった。

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