四角い土
創磨は、ゲーム機の画面を食い入るように見つめていた。
「だけん、先に木ば取ったほうがよかって。暗うなる前にベッド作れんやったら困るけん」
「でも、めいはおうちば先につくりたかもん」
隣で芽依がほっぺたをふくらませる。そう言いながらも、画面の中の芽依のキャラは創磨の近くをうろうろしていた。文句は言う。けれど、離れはしない。いつものことだった。
「家つくるにも木がいるやろ」
「わかっとるし」
「わかっとらんやん」
「わかっとるって言いよるやろ!」
ぴしゃりと言い返されて、創磨は少しだけ口をつぐんだ。こうなると芽依は少し機嫌が悪い。けれど、そのあと何事もなかったみたいにまた話し始めるのも、創磨は知っていた。
二人のそばでは、望来がバナナを一本持ったまま、よたよた歩いていた。
「みく、バナナある」
「うん、あるな」
「みくの」
「そうそう、みくの」
満足したように笑って、望来はその場にしゃがみこんだ。小さな手には、白い薬ケースも握られている。
朝と夜に飲まなければいけない、大事な薬だった。
望来はそれがどれくらい大事なのか、まだちゃんとはわかっていない。ただ、母が毎日出してくるその白いケースを、自分のものみたいに持ちたがるだけだ。創磨はそのたびに、落とすなよと何度も言ってきた。
「みく、そこ座ったらいかん。踏まるっばい」
「ふまんもん」
「そういうことじゃなかと!」
口ではきつく言いながらも、芽依はちゃんと望来の近くへクッションをずらしてやっていた。
創磨はそれを横目に見ながら、画面の中の木を叩いた。四角い幹にひびが入り、やがて、ぽん、と木材になる。見慣れた光景だった。
なのに、その時だった。
ぶつん、と音が切れた。
創磨は瞬きをした。画面が一瞬だけ暗くなって、すぐに戻る。
けれど、戻った画面はどこかおかしかった。色が濃い。近い。草の揺れる音が、テレビやゲーム機からではなく、もっと近くから聞こえた気がした。
「そうま、今なんか変やなかった?」
「うん……」
握り直したコントローラーが、じわりと汗ばんでいる。
画面の中の草が揺れた。
さわ、と。
今度は、その音がはっきり耳のすぐそばでした。
創磨は顔を上げた。
部屋のカーテンが揺れていた。窓は閉まっているはずなのに、冷たい風が頬をなでる。
「そうま」
袖をつかまれて振り向くと、芽依が不安そうな顔でこちらを見ていた。
「……なにこれ」
望来がぽつりと言う。
「きらきら」
その声で画面を見た瞬間、創磨は息をのんだ。
ゲーム機の小さな画面から、白い光があふれ出していた。部屋じゅうを塗りつぶすような、目を開けていられないほど強い光だった。
「めい、みく、ちょっと——」
言い終わる前に、足の下が消えた。
ふわっと体が浮く。
胃がひっくり返るような感覚。目をつぶる間もなく、白い光が全部をさらっていった。
*
最初に見えたものは、四角かった。
草が四角い。土も四角い。少し離れたところに立っている木も、幹も葉も、びっくりするくらいきれいな四角だった。
創磨は地面に手をついたまま、しばらく動けなかった。
手の下の土はたしかにざらざらしている。けれど見た目がおかしい。絵本の中みたいに、全部が四角い。
「いたぁ……」
すぐ近くで声がした。振り向くと、芽依がしりもちをついたまま、ぽかんと口を開けていた。その向こうには、望来がバナナを握ったままぺたんと座っている。
バナナだけが、妙に現実っぽかった。
いや、バナナだけじゃない。望来の手には、あの小さな白い薬ケースも握られていた。
「みく!」
芽依が真っ先に立ち上がり、望来のところへ駆け寄る。
「いたい?」
「……ううん」
「ほんと?」
「みく、だいじょぶ」
その返事に少しだけ息をついたあと、芽依はようやく周囲を見回した。
そして、顔色が変わった。
創磨も立ち上がる。
家がなかった。
さっきまでいたリビングも、ソファも、テーブルも、テレビもない。壁も、窓も、何もない。ただ四角い草原が広がっていて、遠くに低い丘が見えるだけだった。
「……とうちゃん?」
創磨の口から、勝手に声が出た。
返事はない。
「ママ?」
今度は芽依が呼ぶ。声が少し裏返っていた。
何も返ってこない。
風の音だけがする。さっきゲームの中で聞いていたのと同じような、でも本物の、草を揺らす音だった。
「とうちゃん!」
今度は大きな声で呼んだ。
「ママー!」
芽依も負けじと叫ぶ。
望来が二人を見て、不安そうに眉を寄せた。
「とうちゃんは?」
その一言で、創磨の胸がぎゅっと縮んだ。
「おる。おると思う」
言った自分の声が、まるで信用できなかった。
「どこに?」
すぐに聞き返される。強い口調なのに、目はもう泣きそうだった。
「わからん。でも、近くに……」
「近くじゃなかやん!」
芽依が叫んだ。
「家もなかし、道もなかし、へんやし、とうちゃんもママもおらんし! そうま、どうにかしてよ!」
どうにかしてよ。
その言葉が、ずしんと胸に落ちた。
どうにかしないといけないのはわかっている。けれど、どうやってだ。
創磨だって泣きたかった。父も母もいない場所なんて、見たことがない。こんな広いところに、三人だけで放り出されたことなんて一度もない。
「……探す」
喉がからからだった。
「とうちゃんたち、探す」
芽依は唇をかんだまま、こくりとうなずいた。望来の手をぎゅっと握る。
三人で歩き出す。
けれど、歩いても歩いても、あるのは四角い草と木と土ばかりだった。少し高いところに登れば何かわかるかもしれないと思って、小さな丘を目指した。創磨が先に立ち、芽依は望来の手を引いてついてくる。
「とうちゃーん!」
「ママー!」
何度呼んでも返事はない。
丘の上まで来ても、見える景色は変わらなかった。四角い森。四角い起伏。遠くにきらっと光る水。知らない世界。知らない場所。
創磨は息をのんだ。
ゲームの中とそっくりだった。
いや、そっくりなんてもんじゃない。まるごとだ。
でも、ゲームなら、こんなに土の匂いはしない。風が冷たかったりもしない。芽依の手が震えているのも、望来が今にも泣きそうなのも、本物すぎた。
「やだ……」
芽依が小さく言った。
「やだ。めい、こんなんやだ」
ぽろぽろと涙が落ち始める。
「おうち帰りたか……」
望来もつられるように口をへの字に曲げた。
「ママ……」
創磨は何か言わなければと思った。でも、何を言えばいいのかわからない。だいじょうぶだよ、なんて言えなかった。だいじょうぶかどうか、自分にもわからなかった。
その時だった。
足元に伸びる影が、さっきよりずっと長くなっていることに気づいた。
はっとして空を見る。
四角っぽい太陽が、もうだいぶ傾いていた。
その瞬間、頭の奥で、ゲームの知識と父の言葉が一気につながった。
——暗うなる前に、寝る場所ば決めろ。
キャンプの時も、山に行った時も、散歩が長くなって夕方が近づいた時も、父が何度も言っていた言葉だった。
暗くなる前に、寝る場所を決めろ。
ゲームでも、最初の夜がいちばん危ない。
木がいる。土でもいい。囲いがいる。
まずは、暗くなる前に隠れる場所だ。
創磨はぎゅっと拳を握った。
「めい」
涙で濡れた顔が上がる。
「寝る場所つくる」
「は?」
「暗うなる。やばい」
「でも、とうちゃんたちは」
「探したか。ばってん、暗うなったらもっとやばか」
言いながら、自分でもわかっていた。声が震えている。怖い。本当は今すぐ、とうちゃんって叫びながら走り回りたかった。
けれど、望来がいる。芽依がいる。
母がいつも言っていた。小さい子から先に見なさい。
創磨は望来を見た。もう半分泣いていて、芽依の服を握りしめている。
「みく、さむい」
その一言で、腹が決まった。
「めい。みく、先」
芽依は鼻をすすった。すぐには返事をしない。けれど、少しして悔しそうに唇を曲げてから、うなずいた。
「……わかった」
創磨は丘の斜面にしゃがみこんだ。土の四角に両手を当てる。ばこん、と変な感触がして、土がひとつ崩れた。
「……取れた」
自分でも驚いた。
芽依が目を見開く。
「そうま、今の」
「いいけん、掘る」
もう一度叩く。土が崩れる。四角い穴ができる。
創磨は無我夢中で土を崩した。芽依も、望来を少し後ろへ下がらせてから、隣で土を掘り始める。
「こう?」
「うん、もっと。みく入れるくらい」
「みく、ここ?」
「まだだめ!」
望来が穴に近づいて、芽依に引き戻される。
土を崩して、崩して、三人がぎりぎり身を寄せられそうな穴ができた頃には、空はすっかり赤くなっていた。
「みく、先入って」
芽依が背中を押す。
「めいも」
「めいも入るけん、先」
望来が穴の中にもぐりこむ。続いて芽依も体を押し込んだ。創磨は最後にもうひとつ土を崩して、入口をできるだけ狭くする。
中は薄暗く、土の匂いがこもっていた。狭い。苦しい。けれど、さっきまで外に立っていた時よりは、少しだけましだった。
芽依が望来を胸の前に抱え込む。望来はぐすぐす鼻を鳴らしながら、芽依の服を握っていた。
「そうま……まだ朝にならんと?」
「……ならん」
外で、風の音がした。
さわ、さわ、と草をこする音。
そのあとで、べちゃり、と何かが土を踏む音が聞こえた。
三人とも、ぴたりと息を止める。
もう一度。
べちゃり。
今度は少し近い。
芽依がとっさに望来の口を手でふさいだ。望来の目が丸くなる。創磨は暗闇の中で、入口を見つめたまま動けなかった。
外に、何かいる。
返事をくれる父も、安心させてくれる母も、ここにはいない。
それでも、朝まで生きなければいけない。
土の向こうで、低くうなるような声がした。
創磨はぎゅっと歯を食いしばった。
——まずは、朝まで隠れる。
今日は、それだけでいい。




