第5話:現実の重みと、ほどけない絆
それは、いつものような穏やかな夜の電話でのことだった。 遠く離れた街で暮らす彼女と、日々の出来事をとりとめもなく話し合っていた。 仕事の疲れや、相変わらず消えない体の痛みについて少し愚痴をこぼしたあと、ふと会話の隙間に、不思議な静けさが訪れた。
受話器の向こうで、彼女が小さく息を吸い込む気配がした。 そして、ためらうように、しかしどこか強い決意を秘めた声で、彼女はぽつりと言った。
「あのね……私、いつか、子どもが生まれたらね……」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥はキュッと締め付けられた。 彼女はもともと子どもが大好きだった。当時、33歳だった彼女に対し、私は23歳。彼女の家には兄弟夫婦が子どもを連れて遊びに来ることがあり、そのときの楽しげな様子や写真をよく見せてもらっていた。写真に映る子どもたちのあまりの可愛さに、「これ買って」と言われると、ついつい何でも買ってしまいたくなるほど溺愛している――そんな彼女の優しい母親の一面を、私は何度も目の当たりにしていた。だからこそ、「女の子が生まれて、大人になったら一緒にお出掛けしたいんだよね」と、照れることもなくごく自然に語る彼女の姿は、あまりにもリアルで、鮮やかに目に浮かんできた。
けれど、その無邪気な夢の裏側で、私の頭には別の現実が激しく渦巻いていた。 ヘルニアを抱え、日々の生活を送るだけでも痛みに耐えなければならない彼女の身体。そして、ふたりの年齢差。お互いの年齢を考えたとき、「あと何年かしたら、高齢出産になってしまうんじゃないか」という焦りがどうしても頭から離れなかった。 自分自身が、母親が35歳のときに生まれた子どもだったから余計に、女性の身体にかかる負担や年齢のリスクが現実味を帯びて感じられたのだ。
「子どもを産みたい」という彼女の強い想いと、それを支えたい気持ち。同時に、彼女の身体を壊してしまうのではないかという拭えない心配。 その現実の重みを目の当たりにするたび、胸が締め付けられた。 当時の私たちは、遠距離ですれ違いが多く、お互いの状況も決して楽ではなかった。それなのに、どうしてここまで強い絆でつながり、お互いを求め合っていたのか――。振り返るたび、その不思議な縁に驚かされるほど、当時の私たちにとってこの未来の話は切実で、そしてかけがえのないものだった。
電話の向こうで未来を描く彼女の声はどこまでも温かくて、私たちの足元をしっかりと明日へと繋ぎ止めてくれていた。 痛みを抱え、現実の不安を抱えながらも、それでも未来を諦めないふたりの、遠いようで確かな約束の夜だった。
第6話:ふたりの距離を縮めるカタチ
それは、限られた時間のなかでようやく会えたときのことだった。 何ヶ月ぶりかの再会だったとしても、お互いに「久しぶり」「髪伸びたね」と、照れくささをごまかすようにあえていつも通りの、ごく自然な言葉を交わす。 遠く離れた離れ離れの日常から、一瞬で同じ空間にワープしたような、不思議で愛おしい空気感がそこにはあった。限られた数日間のデートの時間は、驚くほどの速さで過ぎ去っていき、別れ際の駅のホームではいつも名残惜しさが胸を締め付けた。
一緒に過ごせる時間が限られているからこそ、会えない時間を埋めるように、お互いのかたちを目に見えるものにしようと、ふたりは色々なことを試した。 そのひとつが、ペアリングを一緒につくることだった。 もちろん、相手の指のサイズなんて分からない。だから私は、Amazonでリングゲージを手配し、相手の家に直接送り届けた。 突然届いたリングゲージに、彼女からは「初めてリングゲージ送る人見たよ!」なんて笑い交じりの連絡が来たのを覚えている。「自分も初めて送ったよ、これからもずっと使えるものだと思うから使ってやって」と伝えると、彼女は迷うことなく、最初からすんなりと「左手の薬指」のサイズを測って教えてくれた。その自然な仕草に、どれだけ胸が熱くなったことか。お互いの誕生石を指輪に埋め込んで完成したお揃いの指輪は、離れていてもお互いを指先で感じられる、かけがえのないお守りとなった。
そして、さらに思い切ったことも仕掛けた。 SNSで見かけた、コピーして使える「結婚宣言書」のフォーマット。「練習用だからね」なんて照れ隠しの言葉を添えつつ、そこに自分の名前をしっかりと書き込み、付き合った日付を丁寧に記した。そしてそれを、レターパックライトで彼女の住所へと郵送したのだ。 数日後、それを受け取った彼女から連絡がきた。 「本当に名前が書いてある……!」 「なに? ちゃんと形として残してくれるの……?」 「そんな事までしてくれるの……?」 驚きと、隠しきれない喜びが入り混じったような彼女の声。後日、「わざわざダイソーでフレームを買ってきたんだよ」と、そこに大切に入れて部屋に飾ってくれている写真が送られてきた。そのフレーム越しに写る宣言書を見て、照れくささと同時に、愛おしさがこみ上げてきた。
遠く離れた場所からでも、こうして本気の想いを形にして届けること。 派手なサプライズや、いつでもすぐに会える環境ではないからこそ、不器用ながらも自分たちなりのやり方でお互いの存在を確かめ合い、未来へと結びつけていく。 それは、遠距離という歯痒さを乗り越えようとする、ふたりだけの愛おしい足跡だった。




