第8章 幸せな結末
【最終面接、沈黙の首かしげ】
平成20年、晩秋。
ついに迎えた最終面接の部屋。
重厚な扉の向こうには、市長を筆頭に、市役所の幹部たちがズラリと一列に並んでいた。
これまでの面接官とは明らかに異なる、独特の威圧感と重苦しい空気が部屋を満たしている。
中央に座る面接官が、進と磨き上げたあのエントリーシートに目を落とし、最初の質問を投げかけた。
「森町さん。失礼ですが、お寺の副住職、つまりお坊さんというのは、世間一般から見れば非常に安定した、格式あるお立場ですよね。それをわざわざ辞めて、なぜ『市役所の一般職員』になろうとされるのですか?」
颯は、深く息を吸い込んだ。
「はい。お寺での仕事は、亡くなった方を弔い、残されたご遺族を支える大変尊い役割です。しかし、日々お盆や法事で檀家の皆様、特にご高齢の方々の切実な生活の悩みをお聞きするうちに、私は『人が生きているうちの苦しみ』を、行政のセーフティネットという形で直接支えたいと強く願うようになりました」
言い切った颯。
しかし、その答えを聞いた面接官たちは、一様に奇妙な反応を示した。
……ひたすら、首をかしげているのだ。
一人がかしげると、隣の面接官も、その隣の幹部も、まるで連鎖するように不思議そうな顔で首をひねる。
(え……? 僕、何かおかしなことを言っただろうか)
颯の背中に、冷たい汗が伝わる。
さらに次の質問が飛ぶ。
「お通夜や葬儀の場で、取り乱す遺族に冷静に対処してきた、とあります。……しかしね、役所の窓口には、それ以上に理不尽な怒りをぶつけてくる市民もたくさんいますよ。本当に大丈夫ですか?」
「はい。悲しみの極限にある方も、怒りの極限にある方も、本質的には『誰にも言えない苦しみ』を抱えている点では同じだと考えております。相手の感情に呑まれず、まずはその背景にあるお困りごとにじっと耳を傾ける姿勢は、お寺で叩き込まれてまいりました。必ずや窓口でも活かせると確信しております」
颯が真っ直ぐに答えるたびに、面接官たちはまたしても「ううむ」と唸りながら、ひたすら首をかしげ続けた。
手応えがあるのかないのか、全く分からない。
ただただ、面接官たちの首が傾傾られるのを見つめながら、颯の最終面接は、深い謎に包まれたまま終了したのだった。
【大歓喜のファンファーレ、そして夜明けへ】
11月。
最終合格発表の日。
颯は震える手で、市役所のホームページを開いた。
合格者の番号が並ぶ。
「……あった」
そこには、紛れもない自分の受験番号が刻まれていた。
「やった……! 合格だ!」
実家の居間で、颯は飛び上がって喜んだ。
その声を聞きつけた兄が、そして普段は厳格な父が、自分のことのように満面の笑みを浮かべて颯の肩を叩いた。
「おめでとう、颯。お前の選んだ道は、間違ってなかったな」
伯父たち親戚の言っていた「コネ採用」という亡霊を、颯は自らの実力と、血の滲むような努力で完全に打ち破ったのだ。
その足で、颯は予備校の講師室へと走った。
「伊崎先生! 最終合格しました!」
報告を聞いた進は、眉間の深い皺を一瞬にして和らげ、カッと目を見開くと、颯の手を強く握りしめた。
「やりましたね、森町さん! 本当におめでとうございます。あなたの勝ち取った合格は、過去の経験をすべて誇りに変えた、あなた自身の強さの証明です!」
「先生、ありがとうございます! ……でも、一つだけずっと気になっていたことがあって。最終面接の時、面接官の皆さんが、僕が答えるたびに『ひたすら首をかしげていた』んです。あれは一体何だったんでしょうか」
颯の疑問に、進は声を上げて笑った。
「決まっているでしょう。彼らはね、『困惑』していたのではなく、悩んでいたんですよ。この場で決断しないといけないからです。最終面接は、面接官が緊張するんです」
颯は驚いた。
面接官も、緊張していたのだ。
進が続ける。
「それと、履歴書を見れば20代の若者なのに、喋らせてみれば、圧倒的な内容と、住民対応の本質を突いた答えが返ってきたから驚いたのもあるでしょう。それも、首をかしげていた理由です」
進の解説に、颯は呆然とした後、ふっと心の底から笑いが込み上げてきた。
あの「首かしげ」は、不採用のサインなどではなく、彼らが颯の放つ「僧侶としての徳の光」に圧倒されていた証だったのだ。
平成21年の春。
森町颯は、あの黒い法衣を脱ぎ捨て、ピシッとした真新しいスーツに身を包んで市役所の門をくぐった。
配属されたのは、希望していた高齢者福祉関係の窓口。
そこには案の定、日々様々な事情を抱え、不安や怒りを抱いた住民たちが次々とやってくる。
しかし、颯の心に一切のブレはなかった。
「こんにちは。どのようなご用件でしょうか。どうぞ、お聞かせください」
穏やかに、しかし凛とした声で微笑む颯の姿は、すでに多くの市民の心を救う、立派な「公務員」そのものだった。
予備校の教壇では、今日も伊崎進が眉間に皺を寄せ、合格対策を熱く説いているはずだ。
(先生、僕は僕の場所で、この街の人々をハッピーエンドに導いていきます)
新緑の風が吹く市役所の庁舎で、元僧侶・森町颯の、輝かしい第二の人生の幕が、今、鮮やかに上がったのである。
(完)




