第7章 集団面接
【秋風の吉報、集団の迷宮】
平成20年、10月。
市役所の一次試験を終えた颯は、しばらくの間、深い霧の中にいるような落ち着かない日々を過ごしていた。
手応えがあったような、あるいは全く出来ていなかったような、自己採点すら恐ろしいほどの不安。
お経を読んでいる時でさえ、ふと「数的処理」の数式が頭をよぎるほどだった。
しかし、自治体のホームページにその番号が並んだ日、霧は一瞬にして晴れ渡った。
「……あった。僕の番号だ」
一次試験、突破。
合格の二文字を手にした颯は、休む間もなく二次試験――鬼門と呼ばれる面接試験へと臨むことになった。
二次試験の形式は「集団面接」。
通された面接室には、颯を含めて5人の受験生が横一列に並んだ。
新卒の学生はおらず、全員がスーツを着こなした「社会人」の転職組だった。
張り詰めた緊張感の中、面接官が鋭い視線を投げかける。
「それでは順に伺います。皆様はそれぞれ社会を経験されていますが、なぜ民間企業等ではなく、この市役所を次の転職先に選ばれたのですか?」
最初に口を開いた男は、実に雄弁だった。
前職での営業実績や、いかに自分が優秀であるかを流暢なビジネス用語でアピールしていく。
(すごいな……やっぱり社会人はレベルが高い)
颯が内心で圧倒されかけた、その時だった。
真ん中に座る、少しくだけた様子の男性受験生が、事もあろうにこう言い放ったのだ。
「はい。前職の残業があまりにもきつかったので、公務員なら『楽で安定しているから』選びました。定時で帰って、趣味の時間を大切にしたいと思っています」
面接室の空気が、一瞬にして凍りついた。
あまりにも赤裸々、あまりにも浅はかな回答。
いくら本音の時代とはいえ、公を支える市役所の面接でそれを言ってしまえばどうなるか、少し考えれば分かりそうなものである。
隣に座る雄弁な男は、これ見よがしに「ふっ」と鼻で笑い、明らかに軽蔑しきった、相手をバカにするような表情を浮かべた。
一方で颯は、あまりの衝撃に、むしろ笑いをこらえるのに必死だった。
(社会人でも……こんな回答をしてしまう人が本当にいるんだ。伊崎先生が『格好をつけずに書くことと、他者への敬意を欠くことは違う』と言っていた意味が、今なら痛いほどよく分かる……)
颯は進と作り上げたあの三段論法を思い出し、自分の番が来ると、極限状態の人々と向き合ってきた経験と、地域福祉への熱い想いを、静かに、しかし真っ直ぐに語りきった。
【合否の明暗、面接官の見識】
数日後、二次試験の合否が発表された。
結果を確認した颯は、自分の合格に安堵すると同時に、その顔ぶれを見て大きな衝撃を受けることになった。
あの「楽で安定しているから」と答えた浅はかな受験生が落ちていたのは、当然の結果だった。
行政の現場は決して楽な場所ではない。
志望動機がそれだけでは、市民の命を預かる覚悟がないと判断されて然るべきだ。
しかし、颯が驚いたのは別のことだった。
あの時、誰よりも素晴らしい経歴を持ち、非の打ち所がないほど「雄弁で素晴らしい回答」をしていたあの受験生が、なぜか不合格になっていたのだ。
「……どうしてあの人が」
混乱する颯の脳裏に、面接室でのある光景が鮮烈に蘇った。
――そうだ。彼は、あの浅はかな回答をした受験生の発言の最中、明らかに相手を見下し、バカにした表情を隠そうともしなかった。
予備校でその報告を聞いた進は、眉間の皺を深く刻みながらも、我が意を得たりと静かに頷いた。
「森町さん。面接官は、発言している人間だけを見ているのではありません。他人が話している時の『態度』、その人の根底にある『人間性』を冷徹に見抜いているのです。他者の未熟さを公然とあざ笑うような人間は、役所の窓口に多様な事情や弱さを抱えてやってくる市民に対しても、心の中で同じようにバカにする。そんな人間を、自治体は絶対に採用しません。素晴らしい回答の彼が落ちたのは、市役所の面接官の眼識が正しかったという証拠です」
進の言葉に、颯は深く、深く得心した。
お寺の境内で、どんなに理不尽な言葉をぶつけられても、決して相手を侮らず、ただその悲しみや背景にじっと耳を傾けてきた。
あの「当たり前」の姿勢こそが、集団面接という人間性の見定めにおいて、颯の最大の盾となっていたのだ。
「さあ、森町さん。次はいよいよ、市長や幹部たちがズラリと並ぶ、最終面接です。これまであなたが培ってきたもの、ありのままの姿を、最上層の面接官たちにぶつけてきましょう」
「はい、伊崎先生!」
古い亡霊を振り払い、家族の愛を取り戻し、集団の迷宮を突破した元僧侶。
平成20年の鮮やかな秋晴れの中、森町颯は、己の人生の夜明けを告げる「最終決戦」の重い扉を、今、力強く押し開けるのだった。




