第10章 募集なし?
【晴れやかな門出、枚方の風】
「雅子さん……実は、俺、実家の大阪へ帰ろうと思います。そして、もう一度建築を勉強し直して、地元の建築職公務員を目指します」
世田谷の自宅リビング。修汰が意を決して自分の胸の内を打ち明けると、大原雅子は驚く様子もなく、どこか愛おしそうな目を細めて深く頷いた。
「そうか……決めたんやな。……よかったわぁ!」
雅子は顔いっぱいに温かい笑顔を浮かべ、修汰の手を力強く包み込んだ。
「あんたが自分の人生を自分の足で歩み出すんや。こんな目でたいことないよ! 今までうちみたいな『ややこしいババア』の面倒、本当によう見てくれた。あんたの気配りとガッツがあれば、どんな公務員になったって市民から愛される良い役人になれるわ!」
引き継ぎのために手配された後任のマネージャーは、ベテランで落ち着きのある男性だった。
ドクターとの連携や過去のトラブルの注意点を完璧に引き継ぎ、数週間後、修汰は晴れてマネージャーの職を辞した。
「金子ちゃん! 応援してるからね! 合格したら真っ先に知らせてよ!」
雅子と社長、そして旦那様に見送られ、修汰は思い出の詰まった東京を後にした。
数日後。新幹線と京阪電車を乗り継ぎ、修汰は久しぶりに故郷である大阪府枚方市の土を踏んだ。
実家のドアを開けると、年老いた両親が目頭を熱くして出迎えてくれた。
両親の嬉しそうな顔を見た瞬間、修汰は「帰ってきて本当によかった」と心から思えた。
【予備校での相談、予期せぬ壁】
実家に荷物を置いた翌日。修汰は休む間もなく、木村先輩から聞いていた難波の公務員試験予備校へと向かった。
木村先輩の言っていた「伝説的講師・伊崎進」に会えるかもしれないという期待と、これから始まる受験勉強への高揚感で、修汰の胸は高鳴っていた。
予備校の受講相談ブースに通され、担当のカウンセラーに意気込みを語る。
「地元の枚方市が大好きなんです。枚方市役所の建築職公務員になって、街の安全と景観を守り、親孝行がしたいんです!」
しかし――修汰の熱い言葉を聞いた予備校スタッフは、困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「金子さん、熱意は素晴らしいのですが……残念なお知らせがあります」
カウンセラーはパソコンの画面を修汰に見せた。
そこには、近年の自治体採用試験の募集要項がずらりと並んでいた。
「今年度の枚方市役所の採用試験ですが……『建築職』の募集枠自体が存在しません」
「え……? 募集がない……!?」
「はい。地方自治体の技術職(建築・土木など)は、行政職と違って『毎年必ず定期採用がある』とは限らないのです。欠員が出た年や、大規模な都市計画がある年にしか募集がかからないことも珍しくありません。少なくとも、ここ数年の枚方市は建築職の採用を見送っています」
言葉を失う修汰に、カウンセラーは静かに告げた。
「地元で親孝行をしながら公務員を目指すという夢の前に、いきなり『募集がない』という最大の壁が立ちはだかってしまったわけです……」
【砕けた設計図】
予備校のビルを出た修汰の足取りは、鉛のように重かった。
東京での仕事を辞め、雅子にも背中を押してもらい、両親を喜ばせるために帰ってきた枚方。
それなのに、目指すべき「枚方市役所・建築職」というターゲットそのものが、最初から存在していなかったのだ。
(嘘だろ……。俺は何のために大阪へ帰ってきたんだ……?)
駅へ向かう雑踏の中で、修汰は立ち尽くした。
教養試験の難しさや専門書の少なさ以前に、試験すら受けられないという現実。
一度は捨てた建築の道。芸能界での挫折。
そして、地元でやり直そうとした矢先のハプニング。
自分が描こうとした人生の設計図は、またしてもスタートラインに立つことすら許されず、大きな破綻を迎えようとしていた。
途方に暮れる修汰のスマートフォンに、実家の母親から「今日の晩ごはん、何がいい?」と呑気なLINEが届く。
(おかんに……なんて言えばいいんだ……)
枚方の秋風が、打ちひしがれた修汰の頬を冷たく撫でていった。




