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第9章 決断

【書店の暗雲、開かない専門書の扉】


 大原雅子からの温かい後押しを受け、修汰は仕事の合間を縫って新宿の大型書店へと足を運んだ。

 目指すは資格試験コーナーの「公務員試験」の棚だ。

 自分の描く新しい設計図――地元・大阪に戻り、公務員として街と家族を守る未来――を実現するための第一歩だった。


 しかし、棚に並んだ分厚い問題集を手にとり、ページをめくった瞬間、修汰の表情は凍りついた。


 (……なんなんだ、この量は……!?)


 教養試験のページに躍るのは、「数的推理」「判断推理」というパズルのような問題、さらには高校時代に避けてきた日本史、世界史、思想、生物、地学……。

 理系一本で歩んできた修汰にとって、広大すぎる試験範囲は眩暈(めまい)がするほどの絶望感をもたらした。


 さらに拍車をかけたのが、目的である「建築職」の専門試験の問題集だった。

 棚をどれだけ探しても、行政職(一般事務)の本ばかりで、技術職・建築職の過去問題集や対策本は一冊も見当たらない。


 (独学じゃ……どこから手を付けていいのかすら分からない……!)


 挫折感と焦燥感に苛まれた修汰は、たまらず渋谷の喫茶店へ木村先輩を呼び出し、泣きついた。


【先輩の助言と、大阪の予備校】


 「木村先輩……ダメです。本屋で公務員試験の本を見ましたけど、教養科目はやったことない分野ばかりだし、何より建築職の専門書が売ってすらありませんでした……。独学で合格するなんて、絶対に無理です」


 頭を抱える修汰に対し、木村はアイスコーヒーを一口飲み、うなずいた。


 「そりゃそうだよ、金子。理系の技術職試験、特に建築や土木は専門性が高すぎるから、市販の単行本なんてほとんど出回ってないんだ。教養の効率的な捨て方や、建築専門の出題傾向を独学で分析するなんて時間の無駄だぞ」


 木村は身を乗り出し、真剣な眼差しで修汰を見つめた。


 「本気で地元に帰って建築公務員を目指すなら、絶対に公務員予備校に通うべきだ。特に、大阪や京都にある予備校の校舎に一度相談に行ってみろ。関西の自治体(大阪府・大阪市・京都市・特別区など)の最新の出題傾向や、社会人経験者枠の面接ノウハウを一番持ってるのは地元の予備校だからな」


 「大阪か京都の予備校……」


 「そうだ。東京での仕事をきっちり引き継いで引き揚げたら、そのまま地元の予備校の門を叩け。プロの手を借りるのが、一番の近道だ」


【元ミュージシャンの異色公務員】


 木村の言葉に希望の光を見出した修汰だったが、ふと疑問が湧いた。


 「でも先輩……僕みたいに建築学科を出てから芸能界でマネージャーなんてやってた人間が、今さら公務員試験を受けて、面接で評価してもらえるんでしょうか……? 経歴が特殊すぎて、面接官に弾かれるんじゃないかって不安で……」


 すると、木村は破顔して楽しそうに笑い出した。


 「ハハハ! お前、自分の経歴を特殊だと思ってるのか? 上には上がいるぞ」


 「え……?」


 「実はな、最近まで俺と一緒に都庁の別部署でプロジェクトを組んでた職員がいるんだが……そいつ、昔はバンド一本で食おうとしてた元ミュージシャンだぞ」


 「えっ!? 元ミュージシャンが都庁の公務員に……!?」


 驚く修汰に、木村は懐かしそうに語って聞かせた。


 「そうなんだよ。そいつも二十代半ばまで夢を追って挫折して、崖っぷちで公務員を目指したらしい。その時に通っていた関西の予備校に、『伊崎進(いざき すすむ)』っていう伝説的な講師がいてな。ちょっと変わった先生らしいんだが、その伊崎先生のアドバイスで見事に面接のトラウマを克服して、都庁に内定したそうだ」


 木村は修汰の肩をぽんと叩いた。


 「その元ミュージシャンの奴が言ってたよ。『公務員面接は、一見ネガティブに見える経歴こそが、正しい自己分析を通せば最高の武器になる』ってな。だから金子、お前のマネージャーとしての修羅場も、建築の知識も、全部強みになるはずだ」


【描かれ始めた新たな図面】


 「伊崎進先生……」


 その見知らぬ講師の名が、修汰の心に強く刻み込まれた。

 元ミュージシャンすらも都庁職員へと導いた、プロの指導力。


 (独学で悩んでいる場合じゃない。俺も大阪へ帰ったら、その予備校を探して、伊崎先生のようなプロに相談しよう……!)


 暗闇の中で途切れていた修汰の設計図に、鮮明な一本の導線が引かれた瞬間だった。


 「木村先輩、ありがとうございます! 俺、東京での仕事を完璧にやり遂げて、堂々と大阪へ帰ります!」


 「おう! 応援してるぞ、金子。今度は『建築のプロ』として、どこかの現場で会えるといいな。まあ、東京と大阪じゃ会わないかもしれないけどな」


 先輩とガッチリと握手を交わした金子修汰の目には、もう迷いはなかった。

 大原雅子のマネージャーとしての最後の務めを果たし、地元・大阪で新たな人生のリング(試験)へと挑むためのカウントダウンが、静かに始まったのだ。

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