第7章 先輩との再会
【沈黙の臨床、深まる迷い】
誕生日パーティーでの惨劇を経て、事務所と家族はついに重大な決断を下した。
極秘裏に手配された精神科医とアルコール依存症の専門医が、雅子の専属ドクターとしてチームを組み、彼女の体調と生活習慣を24時間体制で監視・管理する体制が敷かれたのだ。
診断の結果は「軽度のアルコール依存症」ならびに「過酷なストレスによる心身症」。
芸能界のご意見番という虚像、世間からのバッシングへの恐怖、そして年齢からくる焦り――それらすべてが、彼女の精神を限界まで追い詰めていた真実が明かされた。
医療チームの徹底した指導のもと、雅子の断酒プログラムとカウンセリングが極秘裏に進められた。
仕事の量を大幅に削り、ドクターが処方した薬とスケジュール管理によって、雅子の情緒は少しずつ、だが確実に落ち着きを取り戻していった。
しかし――その一方で、修汰の心には暗い影が落ちていた。
(俺は……一体何のために東京へ出てきたんだ……?)
泥酔した雅子を抑え込み、割れたグラスで腕に負った傷痕を撫でながら、修汰はアパートの部屋でひとり考え込むことが増えていた。
現場の第一線で人の命を守る建築の道を捨て、華やかな世界に憧れて飛び込んだ芸能界。
だが、そこで自分が行ってきたことといえば、泥酔したタレントの不祥事のもみ消しや、大人たちの醜い駆け引き、そして酒に溺れる人間の監視だった。
「形のない『人の心』を動かす仕事がしたい」――あの頃、青臭く語っていた夢の無残な果てがこれなのか。
自分の選択は、単なる逃避だったのではないか。
答えの出ない問いが、夜ごとに修汰の胸を激しく締め付けた。
【渋谷の雑踏、再会した「あの頃の道」】
初秋の風が吹き抜ける、渋谷のスクランブル交差点。
雅子の休養期間を利用し、久しぶりにまとまった休日を得た修汰は、人波の中を宛てもなく歩いていた。
華やかな街の喧騒が、今の自分の孤独感をいっそう際立たせる。
「……ん? お前……金子か!?」
人混みの中で、聞き覚えのある声に呼び止められた。
振り返ると、そこにはスーツをビシッと着こなし、書類カバンを手にした男性が立っていた。
大学時代、建築学科のゼミで大変世話になった一学年上の先輩・木村だった。
「木村先輩……!? なんで東京に……!?」
「なんだよ、お前こそ! 大阪の大学を出てから急に連絡取れなくなったから心配してたんだぞ! ちょっと茶でもしばこうぜ」
駅近くの喫茶店に入り、近況を報告し合った。
木村は大学院を卒業した後、公務員試験を突破し、現在は**東京都庁の都市整備局で「建築職」の公務員として働いているという。
「都庁の建築職ですか……すごいですね。街づくりや建築行政のど真ん中じゃないですか」
「まあな。再開発の審査とか、耐震基準のチェックとか、派手さはないけどさ。でも、自分が審査した建物や安全な街並みが何十年も残って、そこで大勢の人間が安心して暮らしてるのを見ると……やっぱり建築を選んでよかったって思えるよ」
木村の目は、自分の仕事に対する誇りと充実に満ちあふれていた。
かつてインターンシップで「コストと安全策の繰り返しだ」と幻滅した建築の世界。
しかし、公務員という立場で「市民の命と安全を守る街づくり」に携わる木村の姿は、修汰の目には眩しすぎるほど魅力的に映った。
【突きつけられた問い、揺れる指針】
「で、金子は今、何やってんだ? 確か芸能関係の仕事に行くって言って、教授たちとケンカして飛び出したろ」
木村の問いに、修汰は詰まりながらも、これまでの経緯をかいつまんで話した。
マネージャーとしての挫折、大物芸能人・大原雅子との出会い、そして深夜の工事現場でのコーン持ち帰り事件や、酒に狂った夜の惨劇まで――。
話を聞き終えた木村は、コーヒーカップを置き、真剣な眼差しで修汰を見つめた。
「金子……お前、よく頑張ってきたな。お前が真面目で、人の気持ちが分かる奴だからこそ、その大物芸能人さんも救われたんだろう。……だけどさ」
木村は一呼吸置き、静かに言葉を続けた。
「お前、本当にその仕事を『一生の仕事』にしたいと思ってるか?」
「え……」
「お前の得意な理系的な思考、建築の知識、そして何より『人の安全や命を守りたい』っていう根底にある責任感。それって、芸能人のご機嫌取りや揉み消しに使うためのものじゃないだろ。お前が本当にやりたかったことって、もっと別にあるんじゃないか?」
木村の言葉が、修汰の胸の奥底に眠っていた「建築への情熱」を鋭く突いた。
「都庁でも特別区(23区)でも、社会人経験者採用の枠はある。お前のように『土壇場で他人の危機を救える覚悟』と『現場のリアリティ』を知ってる奴なら、公務員として街を守る仕事で絶対に大化けする。……将来のこと、もう一回真剣に考え直してみたらどうだ?」
渋谷の喫茶店に流れる静かなBGMの中、修汰は自分の手を見つめた。
腕に残る薄い傷痕。
工事現場の備品の重み。そして、先輩が語った「市民の命を守る街づくり」という言葉。
一度捨て去ったはずの「建築」という設計図が、修汰の頭の中で、まったく新しい形をとって再び描き直されようとしていた。




