第3章 四度目の正直
【質素な邸宅と、忍び寄る私服警備】
修汰はすぐさま事務所の社長に連絡を入れ、大急ぎで大原雅子の自宅へと向かった。
芸能界のご意見番、ミリオンセラー歌手――誰もが思い浮かべるのは、白金や六本木の超高級タワーマンションや、絢爛豪華な大豪邸だろう。
しかし、タクシーが到着したのは、世田谷の静かな住宅街にひっそりと佇む、驚くほど質素でごく普通の二階建ての一軒家だった。
(これが……大原雅子の家……?)
修汰が呆然としていると、周辺の道路をさりげなく歩いていた鋭い眼光の男たちが、すっと距離を詰めてきた。私服の警備員だ。
大原雅子は、誰もが知る、芸能界の大物だ。
しかも、毎年、嫌いな芸能人トップ3にランクインしている。
トラブルを未然に防ぎ、近隣住民や週刊誌の目から彼女を守るため、事務所が極秘裏に配置していたセキュリティだった。
「どちら様ですか」
「事務所のマネージャーの金子です! 社長も一緒です!」
修汰が慌てて社員証と身分証明書を提示すると、警備員は探るような視線を修汰に向けた後、無言で深く頷き、道を開けた。
【玄関の異景、旦那様の温もり】
修汰と社長が焦燥感を露わにしながら玄関のドアを開けると、そこには言葉を失う光景が広がっていた。
狭い玄関ホールを埋め尽くす、鮮やかな赤色のカラーコーン。
そして、まだ赤くチカチカと点滅を繰り返しているLED誘導灯の山。
それらの隙間に、肩をすぼめてうずくまる大原雅子の姿があった。
「どうしよう……金子ちゃん、社長……どうしよう……うち、またやってしもた……全然覚えてへんのよ……」
テレビで見せるあの堂々とした「ご意見番」のオーラは欠片もなかった。
昨夜のメイクも落とさぬまま、二日酔いの青ざめた顔で震える彼女は、まるでイタズラが見つかって怯える小さな子供のようだった。
「雅子さん、しっかりしてください!」
修汰が声をかけようとしたその時、奥の部屋から足音が聞こえ、小柄で穏やかな表情をした男性が現れた。
雅子の夫だった。
かつて彼女の売れない時代からずっと陰で支え続けてきた旦那様は、混乱する玄関の光景を見ても一切声を荒らげることなく、優しく雅子の背中を擦った。
「雅子、大丈夫だよ。やってしまったものは仕方がない。……金子さん、社長さん、朝早くから本当に申し訳ない。現場の責任者の方に、僕も一緒に行って頭を下げます。ちゃんと謝って、弁償して、許してもらいましょう」
旦那様の言葉には、妻の弱さも奇行もすべて包み込むような、深く温かい愛が溢れていた。
【社長の困惑、深まる泥沼】
しかし、旦那様のその誠実な言葉を聞いても、同行した事務所の社長の表情は晴れるどころか、さらに苦しく歪んでいた。
「……旦那様、お気持ちは分かりますが、そう簡単に『謝って終わり』というわけにはいかないんです……」
社長は重い溜め息をつき、頭をかかえた。
「相手は世田谷区の公共工事を請け負う建設会社です。これで『四度目』ですよ? 前回の二回目の時、先方の社長さんと『次があったら警察に被害届を出し、示談には応じない』という念書を交わしてしまっているんです。今回、もし表沙汰になれば、世間は『大物芸能人の度重なる窃盗癖』として叩き潰しに来ます。今期のCMも、レギュラー番組も、すべて飛ぶ……」
「そんな……念書だなんて……」
旦那様も言葉を失い、雅子は「ごめんなさい、ごめんなさい……」と顔を覆って泣き出してしまった。
点滅し続ける赤い誘導灯の光が、重苦しい室内を虚しく照らす。
誠意を持って頭を下げに行くだけでは、もう通用しない。
芸能生命の危機という巨大な崖っぷちに立たされた修汰は、玄関に並んだカラーコーンを凝視しながら、理系特有の思考回路を限界までフル回転させ始めた。
(ただ謝るだけじゃダメだ。この惨状をどう収束させる? 建築現場のルール、建設会社の立場、そして世間の目――どうすれば雅子さんを守れる……!?)
大歌手の絶望と、新米マネージャーの本当の覚悟が、この静かな玄関先で激しく交錯していた。




