第2章 ご意見番の急所
【繊細な大物の影、重圧を溶かす酒】
大原雅子の専属マネージャーとなってからの日々は、これまでのどんな現場とも違う、驚きと緊張の連続だった。
テレビ画面の中では「芸能界のご意見番」として豪快に笑い、横暴な毒舌を吐く雅子だったが、カメラが落ちた瞬間の彼女は、驚くほど繊細で気が利く人だった。
共演者の体調の変化にいち早く気づいて声をかけ、ロケ現場のスタッフ全員に温かい差し入れを配り、楽屋を去る時には「来た時よりも綺麗に」と自ら清掃する。
修汰が少しでも疲れた顔を見せれば、「金子ちゃん、ちゃんと寝てるか? 無理したらあかんよ」と母親のように気遣ってくれた。
しかし、修汰はその「完璧すぎる気配り」の裏に隠された、深い闇と重圧にもすぐに気づくこととなった。
「世間が求めてるのはな、強くて、怖くて、何でもズバッと言う『大原雅子』なんよ。……ちょっとでも弱気な顔見せたら、一瞬で弾き出される世界やからね」
昭和から平成、令和へと芸能界の第一線を走り続けてきた大歌手・大原雅子。
「ご意見番」という世間のイメージを演じ続けなければならない重圧。
年齢とともに増すプレッシャー。
彼女はその孤独と恐怖を紛らわせるため、毎夜のように酒に溺れるようになっていたのだ。
そして酒が入ると、繊細な性格は一変し、記憶を飛ばすほどの失態を繰り返した。
【消えた記憶、深夜の工事現場】
ある夏の夜。大きな特番の収録が無事に終わり、安堵した雅子は馴染みの店で深酒をした。
「今日は一人でタクシーで帰るから、金子ちゃんは先に帰りなさい」と笑顔で送り出された修汰だったが、その夜、雅子は自宅にまっすぐ帰らなかった。
泥酔した雅子がタクシーを途中で降り、深夜の静まり返った世田谷の住宅街をフラフラと彷徨い始めたのは、午前二時を回った頃だった。
街灯の光の下、彼女の目に飛び込んできたのは、道路拡張工事の現場だった。
赤と白のカラーコーン、夜間点滅する赤色誘導灯、そして「工事中」と書かれた黄色い看板。
酒で麻痺した雅子の脳内で、それらの光と色彩がどう映ったのかは誰にも分からない。
「あらやだ……こんな綺麗なおもちゃが落ちてる……持っていってあげなくっちゃ……」
自分でも何をしているのか全く分からないまま、雅子は工事現場の備品を抱えられるだけ抱え込み、千鳥足で自宅マンションへと持ち帰った。
翌朝、ベッドで目を覚ました雅子は、重い二日酔いの頭を押さえながらリビングへ向かい、絶句することになる。
高級マンションのリビングに、赤いカラーコーンが6個、点滅するLED誘導灯が10本、さらには「足元注意」のスタンド看板までもが整然と(あるいは乱雑に)飾られていたのだ。
「……嘘でしょ。……うち、またやったん……?」
雅子には、昨夜の記憶が文字通り「一秒たりとも」残っていなかった。
【鳴り響く電話、明かされた「四度目の怪異」】
午前九時。
修汰のスマートフォンが甲高い警告音を鳴らした。
画面には見知らぬ固定電話の番号。
嫌な予感を抱きながら通話ボタンを押す。
「はい、大原雅子の事務所の金子です」
『……ああ、金子さんですか。私、世田谷区の〇〇建設の工事現場責任者の佐藤と申します』
相手の声は、激しい怒りを押し殺したような重苦しいトーンだった。
『単刀直入に申し上げます。昨日の深夜、うちの作業現場からカラーコーンや光る誘導灯が大量に盗まれましてね。近所の住民の方から「大原雅子さんらしき人が両手にコーンを抱えてマンションに入っていくのを見た」と通報があったんですよ』
「えっ……!? 大原が……ですか!?」
修汰は背中に冷や汗が噴き出すのを感じた。
大物芸能人が工事現場の備品を窃盗――もしこれがニュースになれば、芸能生命は一発で終わる。
『金子さんね、言わせてもらいますけど……これで四度目ですよ!?』
「……え……? 四度目……?」
耳を疑う修汰に、現場責任者は呆れ果てたように吐き捨てた。
『前のマネージャーさんの時にも三回同じことがあってね! そのたびに謝罪に来られて「二度とさせません」って言うから警察沙汰にしなかったんです! なのにまたですか! 大原さん、うちの工事現場のコーンに何か恨みでもあるんですか!? 今すぐ返して示談にしてください。さもなければ警察に通報します!』
「す、すぐ伺います! 大変申し訳ありませんでした!!」
電話を切った修汰は、ガタガタと震える手で頭を抱えた。
建築学科出身の修汰にとって、現場の安全を守るカラーコーンや誘導灯の重要性は誰よりも分かっている。
それを大歌手が泥酔して家に持ち帰るという、あまりにもシュールで絶望的な不祥事。
(四度目ってなんだよ……! なんでそんな大事なこと、誰も教えてくれてないんだよ……!)
修汰は急いでタクシーに飛び乗り、大原雅子の自宅マンションへと猛スピードで向かった。
修汰のマネージャーとしての本当の「修羅場」が、ここから始まろうとしていた。




