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第13章 内定

【数字の示す焦燥、すれ違う歓喜】


「補欠……合格……?」


 不合格ではなかった。

 しかし、確実に採用される保証もない生殺しの状態。

 本合格者の辞退が出ない限り、繰り上がり採用は回ってこない。

 不合格以上の宙ぶらりんな焦燥感が、陽雅の心を苛んだ。


 翌朝、一刻も早く不安を解消したかった陽雅は、予備校へ駆け込み、進に相談を持ちかけた。


「伊崎先生……補欠合格でした。繰り上がる見込みなんて、やっぱり薄いでしょうか……?」


 頭を抱える陽雅に対し、進は動じることなくメモ用紙にペンを走らせた。


『松田さん、諦めるのはまだ早すぎますよ。補欠順位にもよりますが、10月採用枠は、想像以上に辞退者が出る可能性が高いのです』


「えっ……? そうなんですか!?」


 驚く陽雅に、進のペン先は滑らかに理由を書き出していく。


『10月採用枠の合格者の中には、他自治体の4月採用枠を本命として受けている者や、大学や現職の都合で10月からの即入校を土壇場で辞退せざるを得なくなる者が一定数存在します。そのため、繰り上がり合格の枠は通常の4月採用よりもはるかに動きやすいのです』


 進はメモ用紙の「繰り上がり」の文字を丸で囲み、温かい眼差しを向けた。


『今は通知ハガキで補欠順位を確認し、心を落ち着かせて待ち判定を信じましょう』


【ハガキの「2」、そして鳴り響いた吉報】


 進の言葉を胸に、陽雅は不安を紛らわせるため、日常の動きを止めることなく走り続けた。

 閉店が決まっている居酒屋でのアルバイトに精を出し、昼間は吉岡先生の紹介で母校の大学ボクシング部へ出向き、後輩たちの指導に汗を流した。

 ミットを受け、声を張り上げている間だけは、胸の中の恐怖を忘れることができた。


 そして数日後、ポストに一枚のハガキが届いた。

 京都市消防局からの補欠順位通知書。

 震える指でめくると、そこには鮮明な文字で記されていた。


『あなたの補欠合格順位:第2位』


(2位……! 上から二人辞退したら、俺の番が来る……!)


 合格の扉は、すぐ目の前まで開いていた。

 しかし、あと二人という数字が、あまりにも近く、そして果てしなく遠く感じられた。


 ハガキが届いてから二日後の午後。

 大学のボクシング場で後輩のミット打ちを受け終え、汗を拭いていた陽雅のスマートフォンが、ベンチの上でけたたましく震えた。


 画面に表示されたのは、忘れるはずもない『京都市消防局』の番号だった。


「……っ! はい、松田です!」

 息をのんで電話に出ると、受話器の向こうから落ち着いた人事担当者の声が響いた。


『松田陽雅さんでしょうか。京都市消防局人事課です。……補欠合格の繰り上がりについてのご連絡です。辞退者が出ましたので、松田さんを10月1日付けで正式採用(内定)とさせていただきたいのですが、ご意志にお変わりはありませんでしょうか?』


「――っ!! ありません! ぜひ、よろしくお願いいたします……っ!!」


 受話器を握る手が激しく震え、目頭から一気に涙が溢れ出した。

 ついに掴み取った。

 プロボクサーの夢を奪われ、暗闇を彷徨った男が、泥臭く這い上がり、ついに「消防官」という新たな命のリングへ立つ権利を勝ち取ったのだ。


【報告と感謝、新たなリングへ】


 内定の受諾を伝えた陽雅は、すぐさま吉岡先生のもとへ走った。

「先生……! 内定をもらいました! 京都市消防官になります!」


 報告を聞いた吉岡は、一瞬呆然とした後、顔をクシャクシャにして陽雅の肩を強く抱きしめた。

「よかった……! 本当によく頑張ったな、陽雅! お前は俺の最高の自慢の教え子だ!」


 続いて向かった居酒屋では、店長が「よくやった!」と厨房から飛び出し、自分のことのように喜んで特上の肉を焼いて祝福してくれた。


 そして最後に、予備校の個別面談室の扉を叩いた。

「伊崎先生……! 京都市消防、繰り上がりで内定をいただくことができました!」


 深々と頭を下げる陽雅に、進は目を細め、力強いガッツポーズで応えた。

 そして、メモ用紙に最後の筆談メッセージを書き上げた。


『おめでとうございます、松田さん。老占い師の言った通り「最高にラッキーで光に満ちた未来」の扉を、あなたは自らの努力と諦めない心で開けてみせたのです。これからは市民の命を守るヒーローとして、堂々と戦ってきたら良いですよ』


「はい! 伊崎先生、本当に……本当にありがとうございました!」


 かつてリングで拳を振るっていた男は、今、人を救うための熱い情熱と感謝を胸に、10月からの「消防学校」という新たな訓練の場へと、誇らしく足を踏み出していく。

(完)

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